論壇

翁長知事が国連人権委理事会で訴え

“沖縄の人権や自己決定権がないがしろ”

沖縄県知事 翁長 雄志

翁長雄志沖縄県知事は10月13日、前任の仲井真知事が承認した米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設の埋め立て承認を取り消した。これによって沖縄の最大の焦点となっている辺野古新基地建設問題は新たな局面を迎えた。安倍内閣は、同じ政府仲間の国交相に「承認の取り消しは違法」と効力取り消しを求める不服審査請求と執行停止申立てを行った。それは脱法・違法の疑いが濃いと指摘されている無理筋で、なりふり構わず工事の続行をはかっている。

この承認取り消しについて日本弁護士連合会(日弁連)は「知事による承認取り消しは法的に許容される」との声明を同日発表した。

一方翁長知事はこの間、辺野古新基地建設阻止で注目すべき新たな取り組みを展開してきた。一つは6月の翁長知事の訪米であり、米政府機関や議会人らとの懇談で訴えを行ったこと。もう一つは9月21日に国連人権理事会(ジュネーブ)で声明を発表し、「沖縄の人々の人権や自己決定権がないがしろにされている辺野古の状況を世界中から関心を持ってみてください」と訴えた。これに先立ち開かれたシンポジュームには翁長知事のほか、「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」の島袋純部会長(琉球大教授)らも参加した。

この知事の国連発言について、沖縄にアイデンティティを持つ作家の佐藤優氏は、琉球新報紙上で、「知事の演説は、歴史的、政治的に大きな意義を持つ」「まず沖縄の最高指導者が史上初めて国連の場で沖縄の自己決定権に基ずく自己主張をした」「沖縄にこういう問題があることを意識させるには、短時間で論点提示の演説は有効だ」などと積極的に評価している。そして知事演説に反抗している日本政府には「菅さんよ、翁長知事の演説を国際社会で評価する主体は、鈍感力の塊のようなあなたではなく、人権基準を備えた全世界の人々だ」と。

この歴史的な翁長知事の二つの演説について全文掲載し、本誌の記録にとどめたい(なお、国連人権委理事会での2分間演説は英語で行われその翻訳、またサイドイベントの講演全文もいずれも沖縄県が発表したもの)。

本誌編集委員会

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翁長知事の国連での演説全文(訳)

ありがとうございます、議長。

私は、日本国沖縄県の知事、翁長雄志です。

沖縄の人々の自己決定権がないがしろにされている辺野古の状況を、世界中から関心を持って見てください。

沖縄県内の米軍基地は、第二次世界大戦後、米軍に強制接収されて出来た基地です。沖縄が自ら望んで土地を提供したものではありません。

沖縄は日本国土の 0.6%の面積しかありませんが、在日米軍専用施設の 73.8%が存在しています。戦後 70 年間、未だ米軍基地から派生する事件・事故や環境問題が県民生活に大きな影響を与え続けています。このように沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされています。

自国民の自由、平等、人権、民主主義、そういったものを守れない国が、どうして世界の国々とその価値観を共有できるのでしょうか。

日本政府は、昨年、沖縄で行われた全ての選挙で示された民意を一顧だにせず、美しい海を埋め立てて辺野古新基地建設作業を強行しようとしています。私は、あらゆる手段を使って新基地建設を止める覚悟です。

今日はこのような説明の場が頂けたことを感謝しております。ありがとうございました。

以上

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国連サイドイベントでの翁長知事講演

どうも皆さんこんにちは。ご紹介いただきました沖縄県知事の翁長雄志といいます。今、画面の方で美しい海が埋め立てられる、あるいはまた、そこ(辺野古)に新しい基地をつくらさない、いろんな場面が出てきておりましたけれども、今回初めて国連の人権理事会にこのように参加をさせていただいて、皆さま方に沖縄で起きていることの紹介をし、そしてそれはある意味で世界的な意味合いを持つんだということを含めて、今日はお話をさせていただきたいなというふうに思っております。本当に心から感謝申し上げます。

今、画面でもありましたし、写真の方でもありますけれども、いわゆる沖縄県にある世界一危険と言われている普天間基地。周辺は全部住宅街でありまして、小学校、中学校、高校、すぐ基地のそばにたくさんあるんですけども、それ(普天間基地)を移転をするというときに、今後はまた沖縄県がそれを負担をして、あの美しい海を埋め立てて、新しい基地を造っていくというようなことで物事が進んでおります。

その中には何が含まれているかというと、私ども沖縄県民の自由と平等と人権と民主主義、そういったものが全く無視をされている。ある意味で自己決定権というものがないがしろにされているというものがそこにしっかりと見えてまいります。なおかつ、美しいサンゴの海、ジュゴンの写真もありましたけども、これは絶滅危惧種でありまして、このジュゴンが(音声不明瞭)ウミガメ、そしてサンゴ礁の美しい海、ここが埋め立てられて基地になります。ですからこの実情を是非とも多くの方々にご覧になっていただいて、そして、そして世界からこの状況を見ていただいて、この沖縄に新しい基地を造らさないというような流れをつくっていきたいということで今日は皆様方にお話させていただきます。

まず、この沖縄と言いましても、さっき簡単な地図もありましたけれども、日本国の中で 600 キロほど離れた南の方に亜熱帯の気候を持って、東西 1,000キロ、南北 400 キロの広い範囲の中に 160 の島々がございます。そしてそのうちの 40 には人が住んでおりまして、全体での人口は 140 万人でございます。そういったような沖縄でございますけれども、沖縄で世界的に恐らく知られているということからしますと、空手ですね。沖縄の文化でもあり、スポーツでもあります空手。これは世界で6千万人が愛好しているといわれておりますけれども、その発祥の地が沖縄でございます。ですからヨーロッパからも空手をやっている空手マンが毎年、多く沖縄に訪れて交流をしながらやっている様子が見えてまいります。

なおかつ、沖縄は観光立県、美しいサンゴの海とそれから昔、東南アジアを含め、いろんなアジアの国々との交流の中から出来上がった独特の文化がございます。そういったこと等が多くの方々に受け入れられて、いま観光立県として沖縄は大変大きな成果を上げております。昨年、沖縄に観光客が来られたのが 720 万人。そしてその中の 100 万人は外国からおいでであります。そして今年はさらに外国からは 40%ぐらい上積みをされるというこれまでの前半の成果がありますので、140 万人おいでになるのではないかというふうに思っております。そういう沖縄でございますけれども、じゃあ、どういう歴史的な経緯があるかと言いますと、沖縄県はもちろん、一番長い(歴史の古い)人間の骨というのは、1万年、2万年という中でありますけれども、人が住んでいたのですが、このいわゆる有史といいますか、お城ができたり、人が本当に国として成り立ってきたのが 600 年前であります。600 年前に琉球王国が沖縄に出来まして、そして営々と独立国家としてやってまいりました。その間の 450 年間はどうやって生きてきたかと言いますと、ちょうどそのときは日本が中国が外国との貿易を禁止している鎖国の状態でありましたので、沖縄、琉球がそういった日本や朝鮮や、あるいはまた中国、あるいは東南アジアのタイやベトナム、フィリピン、こういった所と交易して、私どもは琉球王国として栄えてまいりました。しかしながら、1879 年、今から 136 年前になりますけれども、日本国に併合をされました。私どもは琉球王国として 450 年ほど独立をしてやってきたわけでありますが、1879 年に日本に併合されたわけであります。独立国である時は、1800 年代になりますが、米国のペリー提督がきて、日本の浦賀に行く前に琉球に来て琉米修好条約を結んだり、フランスと琉仏修好条約を結んだり、オランダと琉蘭修好条約を結んだりということで、独立国としてしっかりと外国との条約を結んでおりましたが、1879 年に日本国の一員となった訳でございます。

そしてその後、私達の言語は、やはり独自の言語がありましたけれども、それも使用を禁止されまして、良き日本人として頑張るようにと、日本語を勉強するなかで、その後の沖縄が推移していきました。そして沖縄の人もよりよい日本人になろうということで一所懸命、日本語を勉強してやっておったのですが、それから約 60、70 年たった後、待ち受けていたのが 70 年前のあの第二次世界大戦の沖縄、日本で行われた唯一の地上戦であります、沖縄の戦争でありました。その沖縄の戦争は本当に大変な地上戦でありまして、全部で 20 万人、人が亡くなりましたが、そのうち沖縄県民が 10 万人を超えております。そして日本軍が 8 万人、9 万人、或いは米兵も1万人を超えて亡くなっているわけでありまして、その唯一の地上戦の一番の厳しかったのは、住民が日本軍隊と一緒になって逃げ惑ったというところに大きなことがございます。そして沖縄の良き日本人として日本語を覚えたにしても、(沖縄では)まだまだ独自の言語を使う人が多かったものですから、その言っている意味がわからないということでスパイではないかということで殺されたりもしました。そして墓に逃げたり、洞窟に逃げていても、日本軍がきて沖縄の人をそこから出して、そこに立てこもるというようなことも残念ながらあったわけであります。ですから、沖縄の地上戦というのは私達にとりましては、70 年たった今も、本当に一時も忘れられない、おじいちゃんやおばあちゃんから告げられた平和の大切さ、戦争の醜さ、人間の醜さというようなものを私どもは島全体で、体で感じたところでございます。

そうしますと、戦争が終わりましたら、今度は何が起きたかと言いますと、米国軍が占領したわけでありますから、戦争が終わって沖縄の人はほとんど全て、収容所という、自分たちの住んでいる古里ではなくて、遠く離れた所にプレハブやなんかを造ってそこに住まわされるようになりました。その住んでいる間に、いわゆる米軍が、今、写真にもあります、普天間基地、そして世界的に有名な嘉手納基地、そういったようなものをある意味で強制接収しました。沖縄の人がいない間に全部基地に変わっておったんです。そういったような状況がありましたから、沖縄にある基地は沖縄県民がどうぞということで差し出した基地は一つもございません。全部、沖縄にある基地は強制接収されて今日まで使われてきております。

そうこうしている間に、戦争が終わって7年目、1952 年には、今度は日本が、それまで日本も全体が米国の占領下にあったわけですが、米国から独立をする引き換えに、私ども琉球・沖縄を米軍の施政権下に差し出したわけであります。私達は、米軍の施政権下のなかで日本人でもなく、日本の国籍もない、米国の国籍もない。そして国会議員を出したり、あるいは日本国憲法の適用があるとか、そういうことのないような時代を 27 年間過ごしました。大変厳しい時代でありました。ですから 1879 年に日本に併合されたと思ったら、それから 70 年後ぐらいには、今度は日本から切り離されてしまって、米軍の施政権下に入ったわけであります。

その施政権下では何が行われていたかといいますと、当然、治外法権、いわゆる無法地帯であります。米軍の高等弁務官が全てを取り仕切って、私どもは任命の主席と言いましたけれども知事や、あるいは県議会や市議会もありましたけれども、ほとんど自己決定権のないまま、高等弁務官がすべてを布令・布告という法律を出して私どもを管理したわけであります。

ですから私達はその中で、大変過酷な、自らのアイデンティティーを問われる、人権問題というようなものを、このサンフランシスコ講和条約で切り離されて、72 年に日本に返るまでですね、私たちはそれがなされたわけでございます。この土地の強制接収、ですから普天間基地も、普天間も強制接収で、ここに住んでいる人達が収容所に入っている間に、米軍が造った基地でありますから、私達が差しだした基地ではないんです。

それから 60 年以上たちまして、この普天間基地が住宅街ができて危ない、そして老朽化しているということで何が起きたかといいますと、「もう一度、沖縄県、お前たちがその基地を負担しろ。この普天間を返してやるから新しい基地を差し出しなさい」ということで、今、あの大浦湾の美しい海を埋め立てて、そしてそこに普天間の基地を移して、「どうだ、これで厳しい環境にあるところから、人口の少ない所に移るからいいだろう」というようなことで今、起きているのがこの基地問題でございます。

私達からすると、自分で差しだした基地でもないにも関わらず、老朽化したから、世界一危険になったから、今一度お前達が負担をして基地を差しだせということに対して、大変理不尽さを感じて、今、その新辺野古基地を造らせないということで、先ほど、おじいちゃん、おばあちゃんが画面にも出ておりましたけれども、若い学生さんとか、そういったいろんな市民や県民が今向こうに集まって、いわゆる新辺野古基地は造らせないということでやっております。

残念ながら日本政府はこれを一蹴いたしまして、つい4~5日前、工事をまた再開するということで、工事をやり始めようとしております。そこはいずれにしろ基地ができましたら米軍が使うわけでありますから、米軍も当事者であると私たちは思っておるんですけれども、6月にワシントンDCに行って、向こうの上院議員や下院議員や国務省、国防総省の高官とお会いをしましたけれども、「これは日本の国内問題だから、日本政府に言いなさい。」。そういう話であります。私からすると、沖縄県民からすると、目の前にあるのは米軍の基地でありますから、米国の方が私達の当事者であると思うのですが、「これは日本の国内問題だから、日本国内で解決しろ」と言うことでございます。 ですから日本国に帰ってきて、私どもが外務大臣や防衛大臣にそういった話をしますと、「後ろでアメリカがだめだと言っているんだよ」ということで、私たちはたらい回しにされて、自己決定権、あるいは人権、そういったような意味でも、他の都道府県の日本国民と全く違う形で沖縄が今日まで推移をしております。

そして 72 年に日本に復帰しましたら、どういうことが起きたかといいますと、基地が減るかと思いましたら、日本本土にいる米軍が沖縄に移ってまいりました。沖縄には海兵隊は基本的にはいなかったんですが、日本本土にいる、山梨県や岐阜県や岩国にいた海兵隊が(1950 年代以降に)沖縄に移ってきて、沖縄の基地はさらに倍加していきました。沖縄は日本の国に返ったにもかかわらず、基地問題は何ら解決しないというですね、こういう状況になってまいりました。

私は今日、こうして国連の人権理事会で話をする前に、東京の方でイギリスとドイツとフランスのメディアにインタビューを受けて、今日ここに来ておりますけれども、それぞれ 30 分の話しをそれぞれのメディアの方と話しをしました。その中で質問がございました。
「知事、あなたは一体誰に、いわゆる物事を伝えようとしているんですか。それは日本政府・中央政府なんですか、アメリカ政府なんですか」と。

私もたらい回しにされていますので、大変突然の質問で戸惑ったんですが、考えてみますと、私たちのこの沖縄県、本当にある意味で時代の変化の中でですね、自己決定権というのをある意味蹂躙(じゅうりん)されてきたわけでして、そういった意味からすると、沖縄県が小さな国で、武力もなく平和であったということ自体が、この基地問題の原因なのか。あるいは日本政府が日本全体でこのことを考えるというようなことがやりきれない、そういう日本政府の責任なのか。或いは沖縄県の基地は全部米軍の基地であるにもかかわらず、私は当事者ではないと言って知らんふりを決め込む、あのアメリカが私たちの沖縄に基地を置いている人なのか。あるいはまた人類の英知というものの限界がそういった所にあるのか。私はこのもののですね、今日は国連人権理事会にまいりまして、是非とも皆様方に、これから行われる辺野古基地の建設をどのようにして建設されるか、或いは私たちがどのようにして止めるか、日本の民主主義というのは一体どうなっているのか、アメリカの民主主義というのはどうなっているのかというようなことを、是非ご覧になってですね、沖縄の基地問題の真犯人は一体誰なんだ。この4つ項目をあげましたけれども、沖縄の基地が置かれている真犯人は一体誰なんだということを世界中でぜひとも謎解きしてもらってですね、今置かれている沖縄の現状というものに関心を持って頂きたい。そして、私たちの沖縄がこれからもしっかりと子や孫のためにですね、誇りをもって生きていけるようなことを皆さん方が助言して頂けますように心からお願いをしまして、私の持ち時間が終わったようでありますので、これで私の皆様方への報告に変えさせて頂きます。ありがとうございます。

以上

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