コラム/沖縄発

『沖縄大百科事典』の精神

出版舎Mugen代表 上間 常道

今回のテーマは編集部からの注文なので、できるだけ応えたいのだけれど、同じようなテーマの原稿をある所からも依頼され、先月原稿を送ったばかりなので、さてどうしたものやら。

やや旧聞に属するが、2015年4月19日、沖縄県立博物館・美術館で「日本編集者学会沖縄大会」なるものが開かれ、その1部の講演 川満信一「私の沖縄戦後出版事情―『琉大文学』『新沖縄文学』から『沖縄大百科事典』へ」にコメントを寄せてほしいとの依頼を受けた。初めて聞く、ちょっと妖しい名前の学会のように感じたので、最初FAXで依頼を受けたときは躊躇し断るつもりだったが、そのご参考資料として送られてきた学会誌『EDITORSHIP』の数冊を手に取って驚いた。

なにしろ雑誌の造りはさすがに玄人の手になるものだと感じさせる出来栄えで、ページをめくれば東京時代の懐かしい編集者たちが顔を覗かせている。最初にFAXをくれた文藝春秋のWさんの手がけた本を見ると、沖浦和光『幻の漂泊民・サンカ』、塩見鮮一郎『貧民の帝都』など! 沖浦さんは50年以上も昔『現代の理論』の編集アルバイトを学生だった私に紹介してくれた大先輩だし、塩見さんは河出書房新社時代、労組の委員長と書記長という関係にあったから、なつかしさが込みあげてきて、喜んで依頼を引き受けた。

ところが当日、コメントはあらぬ方へ流れ、東京時代の知り合い編集者の思い出話がメインになり、『沖縄大百科事典』などへの言及はほとんどないまま、急き立てられてコメントを終えるはめになった。学会の趣意に沿えず申し訳ないと思っていたところに、改めて原稿で『大百科』などに触れてほしいとのありがたい申し出があったので、書かせてもらった次第である。

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出版編集者とは、ある意味で、時代の組織者・工作者であるべきだ、それも黒子の、と考えていた当時の私にとって、『沖縄大百科事典』の仕事場は願ってもない闘いの場だった。編集事務局は出入りする多種多様の人たちでいつもわさわさとして、活気に満ちていたし、何か沖縄の新しい文化、新しい時代をみずからの手で創り出そうとする意欲にみなぎっていた。

その熱気は間違いなく、1972年の「復帰」以降、ようしゃなく押し寄せてくる日本的なるものによって、長い時間をかけて先人たちが築き上げてきた沖縄的なるものがどんどん後景にやられ、あっという間に破壊され、浸食されていく現状への抵抗を反映していたと言える。

日本的なるものに対抗できる新しい文化を創造するための中核として、『沖縄大百科事典』は位置づけられた。そのことは次のような事情に目をやれば明らかだろう。

まず、事典の記述は徹底して沖縄的なまなざしで書くことを、日本にいる執筆者を含めたすべての執筆者に求めた。ほとんどの執筆者もそれを当然のように受け入れてくれた。大百科ができるまでは、沖縄に関する知識を得ようとすれば、おおむね日本の視点から見た沖縄に関する記述をいやおうなく受け入れざるを得なかったのである。

第二に、主に21分野にわたる項目委員会の委員などを媒介にして、これまで疎遠であった分野どうしが対話したり、対抗軸を形成したりして、さまざまに刺激し合って、新たな横断線を築くことができたことである。交流が密でないことによって生じる、いわれのない排除や蔑視を克服するうえで、大百科は大きな役割を果したといえよう。

第三に、「沖縄戦」を独立した一分野として設定することによって、日米両政府に対する対抗軸を設定しようとしたことである。沖縄戦を、日米とは完全に独立した沖縄的観点から記述することによって、今も続く軍事的不条理の根っこの部分を明らかにしようとした。

第四に、沖縄(本)島中心主義、とくに首里・那覇中心主義を否定して、奄美―宮古―八重山を貫く「琉球弧の視点」でモノを見ることによって、日本が沖縄を見るときのやや威圧的な上目目線をも否定する方向を打ち出した。

総じて、日本とは相対的に別箇な沖縄的まなざしを築くうえで、必要不可欠の資料としての役割を担ったといえよう。沖縄のアイデンティティ形成のうえで、沖縄大百科は必要不可欠の素材なのである。

1983年以降、かりに『沖縄大百科事典』が存在しなかったら、どうなっていただろうか。日本―沖縄を隔てる境界線はあいまいになり、日本の辺地となり果て、独自の歴史と文化と社会を築き上げてきた、日本とは相対的に別箇な領域としての特性すら失っていただろう――なにか、そんな気がしてならない。

うえま・つねみち

東京大学文学部卒。『現代の理論』編集部、河出書房を経て沖縄タイムスに入る。沖縄タイムス発刊35周年記念で『沖縄大百科事典』(上中下の3巻別刊1巻、約17000項目を収録)の編集を担当、同社より83年5月刊行。06年より出版舎Mugenを主宰。

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