特集●戦後70年が問うもの Ⅰ
〔連載〕君は日本を知っているか ④
海外に神社が少ないわけ その一
神奈川大学名誉教授・前本誌編集委員長 橘川 俊忠
神社に溢れる日本
あまりにもありふれているので、つい見逃してしまう問題はいくつもある。これから取り上げる神社の問題もその一つであろう。実際、日本には、数え切れないほどの神社がある。文化庁の『宗教年鑑』によれば、神道系の宗教団体は約八万五千あるという。しかし、これは実際の神社数を示すものではない。鳥居があり、社殿があっても、宗教法人法第2条にいう「宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする」団体でなければ、宗教団体とはされないので、この八万五千に洩れた神社の数はどれくらいにのぼるのか想像もつかないほどである。
たとえば、同じ神社の境内にある末社、摂社などは独立の神社として数えたらどうか。山の登山口などに多い山の神とよばれる祠(ほこら)や地神塔なども神社として数えたらどうか。個人の屋敷地に祀られているお稲荷さんも神社ではないのか。宗教法人法で規定された宗教団体には入らないと思われる神社はいくらでもある。どんな小さな集落でも、神社の一つや二つは必ずある。なにしろ八百万の神が住むとされる日本だから、その神を祀る施設が溢れるほどあっても不思議ではない。
もっとも、同じ日本といっても、当然地域によって濃淡はある。先にあげた八万五千の宗教団体の中でいえば、沖縄には十三しかない。沖縄には、他府県とは異なる歴史的条件があり、宗教的風土の違いがあった。神道の神々は、沖縄に浸透することに失敗したのである。その問題は別に論じるとして、沖縄以外では、神道は日本人の固有信仰として日常生活に浸透し、その施設としての神社はどこにでもあると思われているようである。だから、日本人のいる所どこにでも運ばれ、そこに礼拝施設としての神社が建てられているはずだと思われていないだろうか。しかし、実態はどうもそうではない。実は、海外には神社は極めて少数しかないのである。
現在、在外邦人(日本国籍を有し、海外に長期滞在している日本人)は百二十五万人以上、日系人(日本人の出自を持ち、海外で滞在国の国籍を取得している者)は約三百万人以上にのぼると推定されている。両方合わせて、四百数十万の日本人・日系人が海外で暮らしているにもかかわらず、そして、その人々が日本にいれば、何かにつけて神社にお参りすると思われるにもかかわらず、居住・滞在先の海外には、神社はほとんど無いに等しいのが現状である。
これは不思議ではないだろうか。仏教寺院や、新宗教の施設は、海外にもそれ相当にあるが、それに比べても海外にある神社の数は極めて少ないのである。そこには何か理由があるはずである。その理由を検討する前に、極めて少数とはいえまったく無いわけではないので、まず海外の神社の現状を見ておこう。
海外神社の現状
現存する海外神社についての本格的な調査は、現状では行われていない。日本の宗教団体としての神社の九割以上(八万五千のうち七万九千余)をまとめている包括宗教法人である神社本庁も完全に把握しているわけではなさそうである。インターネット上には、海外神社に関する情報がアップされているが、どれも確実な情報に基づいているとは必ずしもいえず、全体を把握することはできない。しかし、よるべき情報が不十分であることを前提として、その概況をまとめ、その上で筆者が実見した海外神社について報告してみよう。
神社新報社の前田孝和氏の報告に基づいた「海を渡ったお伊勢様」というブログによれば、現存する海外神社は世界各地に二十六社あるという。地域別に数字をあげると、ハワイに七社、アメリカ合衆国本土二社、ブラジル十一社、パラオ三社、サイパン一社、フランス一社となる。この数字は、前田氏の調査に基づいた数字であるので、信頼性は高いと思われるが、それでも十分とはいえない。実際、ネット上には、別の海外神社についての情報がまだ掲載されているからである。たとえば、サンマリノに建立されたという神社は、二十六社の中に入っていない。
サンマリノは、イタリア半島中東部にある人口三万ほどの小さな共和国で、日本とも大使を交換している独立国である。そこに、昨年、サンマリノ神社が創建されたというのである。紹介記事によれば、神社本庁が公認したヨーロッパ初の神社ということになっている。創建したのは、元外交官の加瀬英明の呼びかけにこたえたサンマリノ人で、宮司もその人物が勤めることになっているという。神社本庁公認というような正確性を欠く記述もあるなど問題もあるが、これなどは、つい最近のことでもあり、洩れていても仕方がないかもしれない。
それはともかく、この二十六ないし七の神社の実態を概観しておこう。まず、ハワイの七社であるが、これはいずれも明治・大正期に建てられた神社で、ハワイに多い日系移民が創建したものである。大神宮を称するものが、オアフ島とハワイ島にあり、その他は出雲、石鎚、金比羅等の社号を称している。日本の神社との関係ははっきりしないが、現在は本社―分社というような明確な関係はないようである。出雲、石鎚、金毘羅等の神社は、神社本体とは別に、出雲大社教、石鎚本教等の信徒による宗教団体を形成しており、その信徒団体との関係は維持されているとみられる。しかし、神社本庁とは組織的な関係は、いずれの神社ももっていない。
つぎに、ブラジルの十一社であるが、これらの神社は、移民した日系人が創建したものであるが、いずれも戦後の創建である。ブラジルには、戦前にも日系移民が創建した神社が十数社あったが、それらはすでに廃絶し、現存する神社とは直接の関係はないようである。というのも、第二次大戦中、ブラジルは連合国に参加し、日本は敵となったため、ブラジルの日系人は厳しい監視下に置かれ、日系移民が建てた日本語学校も閉鎖されるという状況であったため、神社も維持できなくなったと思われる。
また、十一の中には、神棚、民家の祭壇として祀られているだけで、いわゆる神社の観念からすると神社とはいえないようなものも二、三含まれている。ブラジルの神社の内三社は、筆者が直接調査しているので、その実態については後述する。
合衆国本土、フランスそれにサンマリノの神社は、もちろん戦後に建てられたものであるが、日系人ではなく、それぞれの現地人で、日本の文化に興味を持つものが創建している。宮司も現地人で、教義や祭神はかならずしも明確ではない。
最後に、パラオ、サイパンの神社であるが、ここは戦前には日本の委任統治領であったところで、すでに日本統治時代に相当の規模の神社が建てられていた。それを再建したと称している神社もあるが、社殿自体は統治時代に比べれば、極めて小規模で、戦前のものがそのまま再建されているわけではない。建設の主体は、第二次大戦の戦没者遺族が中心で、戦没者の慰霊を目的として現地の協力を得て建てられている。したがって、宗教的信仰施設というよりは、慰霊碑という性格が強い。
以上、ネット上に見られる海外神社の現状について概観してきた。それらの神社は、その所在地の状況によって多様なあり方を示しているが、全体として日本国内の神社あるいは宗教団体との明確な関係を結んでいるものは少なく、特に神社本庁との関係の点では、本庁関係者との個人的関係によって一定の協力関係にあるものはあっても正式な組織的関係を形成しているものまったくないというのが実情である。
ブラジル三社の実情
海外神社の実態をさらに検討するために、筆者が実見してきたブラジルの神社について報告してみよう。筆者が実見し、関係者に話を聞いた神社は三つで、サンパウロ市内にある南米大神宮、サンパウロ州西部のバストス近郊にある蚕祖神社、パラナ州ホーランジァにある開拓神社である。
なお、ブラジルには、各地に鳥居が建っているのをよく見かける。代表的なものは、サンパウロ市リベルタージというかつて日本人街とよばれ、日系人が多く居住していた地区(現在は、中国系、韓国系の人口が増え、東洋人街とよばれている)にある朱塗りの大鳥居である。この鳥居は、観光案内などにもよく写真が掲載されているので、有名であるが、この鳥居の先どこまでいっても神社はない。鳥居は、いわば日本を象徴する標識のようなもので宗教的意味は持っていない。各地に建てられている鳥居も、日本庭園と併設されているものが多く、鳥居が日本の象徴として使われているのである。だから、鳥居の先をずっと見通すとキリスト教の教会が見えるなどということもおこるのである。
① 南米大神宮
それはともかく、南米大神宮を知ったのは、リベルタージの広場で毎週日曜日に開かれる市でのことであった。シャツやら、サンダル、バッグなどを売る出店、食物の屋台などがぎっしりと立ち並ぶ中に、お守り・お札を売る南米大神宮の小さな出店があった。当時、ブラジルでは漢字が装飾として流行していたようで、その関係もあってかお守りやお札も売り物として意味があったらしい。その時、南米大神宮というのはどんな神社なのかと興味を引かれた。実際に神社を訪ねたのは、その後数年たって三回目にブラジルに行った際であった。
大神宮のある場所は、サンパウロのごく普通の住宅街の一角で、入口には鳥居が金網のフェンスに埋め込まれるように立っていたのですぐに分かった。前庭の奥に「社殿」が建っていたが、それは神社というよりキリスト教会に近い外観であった。中に入ると正面に祭壇があり、大きな丸い金属製の鏡が掲げてあり、神社らしい装飾が施されていた。その祭壇の前には椅子が並べられており、これも教会に近いしつらえであった。宮司によれば、祭神はデウス天照と号しているとのことであった。これは、非日系のブラジル人にも布教活動をしており、そのための配慮であるとのこと。実際、非日系人の信者も少なくないという。それらの信者を含め、伊勢神宮参拝旅行なども実施しており、その旅行の世話など神社本庁から実質的な協力はえているが、組織的には関係を持っていない。なお、ブラジルでは、宗教法人として認められているとのことであった。
② 蚕祖神社
この神社のあるバストスは、サンパウロから高速バスで八時間ほど西に行った町で、日本人移民の古い入植地の一つであった。養蚕・製糸業が盛んなところで、現在でも製糸工場は稼働しており、生産された生糸はフランスやイタリアに輸出されているという。蚕祖神社という珍しい社号も、バストスの養蚕・製糸業と深くかかわっていると思われる。
バストスに着いて、筆者が最初にたずねたのは、バストスの日本人会であった。そこに居合わせた若い人に神社の所在を尋ねたところ、神社のあることすら知らないとのことであった。しかし、親切に方々に連絡を取り、かつて製糸工場に勤めていたという年配の方を紹介してくれた。その方は、車を出してくれて、たしかこの辺にあるはずだと市街地を離れたサトウキビ畑とジャングルが広がる一帯を、記憶を頼りに探してくれた。その結果、やっと神社にたどりついた。そこは、サトウキビ畑の横のジャングルを切り開いた草地で、コンクリートづくりと思われる一坪か二坪ほどの小さな建物がぽつんと立っているだけだった。建物の中に入ると、たしかに流れ造りの小さな社殿がおさめられていた。かつては近隣からも人が集まって盛大にお祭りが行われていたとのことであったが、もう何年も前からそれも行われなくなっているとのことであった。もはや神社としての機能は失われているといってもよい状態になってしまっていた。
③ 開拓神社
開拓神社のあるパラナ州は、サンパウロ州に隣接した州で、ここも日本からの移民が多いところであった。ホーランジァも日系移民の代表的入植地の一つで、そこに移民資料館が建てられ、開拓神社はその敷地内に創建された。資料館の敷地は、相当広く、全体の入口にはコンクリート製の大きな鳥居が立っていた。神社の建物は、神明造り風の小じんまりとしたもので、中には開拓時代の苦労をしのばせる象徴として三種の農具が飾られていた。祭神は、開拓に功績のあった人物達の霊で、形は神社であるが、顕彰碑に近い性格のように思われた。また、その隣には開拓時代の民家を復元した建物もあり、全体として資料館の一部を構成しているようにも見えた。
以上が、筆者が実見したブラジルの神社の様子である。ブラジルには、百五十万以上と推定される日系人がいるが、そこでも神社は日系人の宗教的よりどころとしての性格を失いつつある現状がうつしだされている。宗教的性格を維持する努力は、すでに述べたように祭神をデウス天照と称したり、アパレシーダ(ブラジル最大の信仰を集めるカトリック教会で、川から漁師が引き揚げたと伝承される「褐色のマリア像」を祀っている)との融合を図ったりするというように、現地の宗教事情を取りこむという形でなされている。これは、ハワイでも同様で、祭神としてハワイ王国のカメハメハ大王やジョージ・ワシントンを合せ祀る神社もあるのである。
考えるべき問題は何か
こうした海外神社の状況は、神社とは何か、神道とは何かを考えさせる重要な問題を含んでいる。その問題は、いずれ論じるとして、海外神社の現状を確認してきたので、つぎに海外神社についての歴史的問題を検討したい。というのは、かつて日本が帝国支配を行った旧植民地、占領地域には千六百以上といわれる神社があったという事実が確認されているからである。それがどのような理由で創建され、その後どうなっているのかを検討することによって、これまで述べてきたような海外神社の現況をもたらした原因を探り、さらに神社をめぐる根本的問題に接近することができると思われるからである。それは、また、日本人とは何か、日本とは何かという問題にもつながっている。
国内ではありふれているために疑問を持たないようなことについて、外側からの視点を持つことによって問題の発見に至ることがあるという現象は、この場合にも典型的に現れているのではないだろうか。
きつかわ・としただ
1945年北京生まれ。東京大学法学部卒業。現代の理論編集部を経て神奈川大学教授、日本常民文化研究所長などを歴任、昨年4月より名誉教授。前現代の理論編集委員長。著作に、『近代批判の思想』(論争社)、『芦東山日記』(平凡社)、『歴史解読の視座』(御茶ノ水書房、共著)、『柳田国男における国家の問題』(神奈川法学)、『終わりなき戦後を問う』(明石書店)など。
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