コラム/沖縄発
古くて新しい問題
ウチナンチュのアイデンティティ
出版舎Mugen代表 上間 常道
第47回衆院選が公示された昨年2014年12月2日から2、3日後の週末の夕方、仕上がったばかりの新刊書『名桜叢書第1集 ものごとを多面的にみる』(名桜大学編)をパレットくもじ7階にあるリブロ・ブックセンターに納品したあと、ビルの前庭に止めてあった自転車に乗っかって事務所まで帰ろうとしたら、目の前の県庁北口交差点で信号に引っかかってしまった。
信号待ちの人だかりに紛れ込んでいた私の左耳後ろで、なにかごそごそ音がした瞬間、
「すみません。こんどの選挙についてお聴きしたいのですが」
振り向く間もなく、
「こんどの選挙の争点はなんだと思いますか」
ときた。どこのテレビ局の取材クルーか俄かには判断できなかったが、そのしぐさや口ぶりから地元局でないことはすぐにわかった。
「辺野古の新基地建設問題。」
「本土では無関心で争点になっていないんですが……」
即座の切り替えしに、即座に答えた。
「だから本土は無責任。そういうことを言うあなた自身、無責任だと思わないの!」
少しムカッと来て、思わず記者の胸倉を指さしてそういったら、のけぞるようにして立ち去ったが、もちろん、その場面が画になるはずもなく、放映されることもなかった。
*
不愉快な気分で国際通りをのろのろとペダルを漕ぎながら帰途に就いたが、なぜあんなに怒ったんだろう? 自分でも不思議で、自問自答を繰り返していた。
記者の挙措や口の利き方のせいだったのだろうか。質問自体が問題だったせいだろうか。そのいずれでもある気がしてきた。
挙措や口の利き方はその人の属する社会のあり方や文化を意識的・無意識的に反映しているから、異質であればそれを鼻が敏感にかぎわける。どことなく横柄で上目目線――それはテレビマン特有のものなのか、東京あたりの文化のせいか。いずれでもあり、いずれでもないのか。
そんなことをうすらぼんやり考えていると、つい先日(11月16日)行われた県知事選のことが頭をよぎった。辺野古新基地建設に反対を表明した元那覇市長の翁長雄志氏が36万票余りを獲得、新基地建設容認派の現職・仲井眞弘多氏に10万票ほどの大差で当選したことは周知だが、できればもっと圧倒的な差で完膚なきまでに打ちのめしたかった、というのが偽らざる心境で、この大差の要因の一つに、「オール沖縄 イデオロギーよりアイデンティティ」のスローガンが有権者のこころを摑んだことが反映していたことは否めない。
このスローガン自体、一つのイデオロギーであるが、右も左もあらゆるものがイデオロギーによって系列化され分断されてきた沖縄の戦後、とくに「復帰」以後の歴史に異議を申し立て、沖縄(人)のアイデンティティを楯にヤマトゥと対峙するという布置を、知事選の舞台で提起した点で、有意であった。
このスローガンは、1985年、県知事在任中の西銘順治氏が朝日新聞のインタビューで、「沖縄の心とは」と訊かれたさい、「ヤマトゥンチュになりたくて成りきれない心」と答えた心意とどこかで共通している。
ウチナンチュとしてのアイデンティティというコンテキストが、いずれも沖縄の保守本流を代表する政治家から語られたことの意味を改めて考えるべきだ、と、国際通りから脇道に逸れ小路(スージ)をぬいながらサドルの上で考えたりしているうちに、ジュンク堂書店那覇店の真向かい、出版舎 Mugen事務所のあるビルの前に至った。
ウチナンチュのアイデンティティはいまだにあちこちをさまよっているが、どのようなかたちで着地点を見つけ出すのだろうか。それは私自身の課題でもある。
うえま・つねみち
東京大学文学部卒。『現代の理論』編集部、河出書房を経て沖縄タイムスに入る。2006年より出版舎Mugenを主宰。
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