論壇

国際経済は高校でどう教えられているのか(上)

高校の科目「公共」教科書を読む

元河合塾講師 川本 和彦

1.はじめに

教科書執筆は大変な作業である。限られたページ数で、難しい内容を生徒に理解してもらうように書くのは、誰にとっても容易ではない。与党と野党の区別、日本銀行と市中銀行の区別がつかないどころか、「自民党と衆議院はどう違うのですか」「利息って何ですか」と大胆な質問をする生徒が珍しくないことを考えると、教科書を書くというのは、大リーグにおける大谷選手の活躍に迫る偉業ではないかとさえ思える。

だから、ある程度は断定口調、スパッと単純・明確な記述になるのはやむを得ない。そこは教員が教室でフォローするしかないが、教員自身が多忙で教材研究・授業の準備に全力を投入しづらい事情がある(それ以前の問題もあるが、大人の事情につき、ここでは触れない)。

今回は国際経済、特に貿易が高校でどのように教えられているかを取り上げ、その問題点を考える素材を供したい。

2.国際分業の利益

第一学習社の教科書『高等学校 公共』から引用する。

〈世界の国々には、人口や資源、技術などの面で様々な違いがある。ある国で生産活動を行う場合、他国よりも安くできる商品は、その商品をつくって輸出し、他国よりも生産費用が高い商品は輸入した方が有利である。〉

要するにアウタルキー(自給自足経済)を否定して、国際分業の利益を説いているわけだ。詳しくは後述するが、この部分だけでも「商品価値は価格だけで決まるのか」「有利/不利は誰にとってのことなのか」という疑問が浮かぶであろう。

もう1冊、数研出版の教科書『公共』から引用する。

〈イギリスの経済学者リカードは比較生産費説を唱え、国際分業の利益を説明した。また彼は、国際分業を進展させるには、関税など貿易に対する制限を課さない自由貿易が必要だと主張した。これに対し、ドイツの経済学者リストは、自国の未成熟産業を保護・育成するには、外国商品に関税を課して輸入を制限する必要があるとして、保護貿易を主張した。〉

そして各社の教科書は、自由貿易の問題点を指摘しながらも、結論としては保護貿易よりも自由貿易が望ましいとする点で共通している。理論上も、現実の歴史を見ても、自由貿易が正しいというのが教科書の立場である。

3.比較生産費説とは何か

この「自由貿易正当化」に疑問を持ってもらいたい(「否定」でなく「疑問」です)。その手掛かりとして、いまだに信者が多い比較生産費説を検証しておこう。「信者」というと何やら宗教のようであるが、事実、この説はインチキ宗教にかなり近い。

比較生産費説を説明するため、リカードは『経済学および課税の原理』で、国としてイギリスとポルトガル、商品として毛織物とぶどう酒を挙げた。

(1)特化前 

ある時点で、両国はそれぞれの商品を自国で生産している。毛織物1単位を生産するために必要な労働量は、イギリスが40人、ポルトガルが30人である。

つまり、イギリスは40人で毛織物1単位を、ポルトガルは30人で毛織物1単位を生産している。1+1=2で、両国合計で2単位の毛織物が生産されている。

また、ぶどう酒1単位を生産するために必要な労働量は、イギリスが120人、ポルトガルが10人である。言い換えれば、イギリスは120人でぶどう酒1単位を、ポルトガルは10人でぶどう酒1単位を生産している。1+1=2で、両国合計で2単位のぶどう酒が生産されている。

イギリス国内を見ると、「1単位生産するのに必要な労働量」では、毛織物が40人でぶどう酒が120人となる。イギリスでは、ぶどう酒より毛織物のほうが、より少ない労働量で1単位生産できる。毛織物のほうが生産性は高い。

ポルトガル国内を見ると、「1単位生産するのに必要な労働量」では、毛織物が30人でぶどう酒は10人である。ポルトガルでは、毛織物よりぶどう酒のほうが、より少ない労働量で1単位生産できる。ぶどう酒のほうが生産性は高い。

(2)特化後 

そこで両国が、それぞれ生産性が高い商品に特化するとどうなるか。

イギリスはぶどう酒生産をやめる。ぶどう酒を生産していた120人をすべて毛織物生産に投入すると、それまで毛織物を生産していた40人と合わせて160人で毛織物を生産することになる。イギリスでは40人で毛織物1単位を生産できるので、160人いれば160÷40=4で、4単位の毛織物がイギリス単独で生産される。両国合計で2単位生産していたときに比べると、倍増である。

同様にポルトガルは毛織物生産をやめる。毛織物を生産していた30人をすべてぶどう酒生産に投入すると、それまでぶどう酒を生産していた10人と合わせて40人でぶどう酒を生産することになる。ポルトガルでは10人でぶどう酒1単位を生産できるので、40人いれば40÷10=4で、4単位のぶどう酒がポルトガル単独で生産される。両国合計で2単位生産していたときに比べると、これまた倍増である。

それぞれが生産性の高い商品に特化したうえで、イギリスはポルトガルからぶどう酒を、ポルトガルはイギリスから毛織物を輸入すればいい。

数字の上ではウィン・ウィン。両国にとってハッピーな結果になるとリカードは主張した。

‥‥そんなわけはないでしょう。これは仮定として無理があり過ぎるし、ウィン・ウィンどころかイギリスが一方的に得をする内容である。

以下、それを検証するが、その前に歴史上の事実に触れておこう。比較生産費説はリカードの夢想ではない。1703年のメシュメン条約は、イギリスが毛織物に、ポルトガルがぶどう酒に特化する方向を強化するものだった。両国の分業は歴史的事実である。

4.比較生産費説成立の条件

さて、比較生産費説が成立するための条件は以下の通りである。

① 世界には2つの国、2つの商品しか存在しない。
② 両国とも完全雇用が達成されている(リカードの例でいえば、毛織物もぶどう酒も生産していないという労働者はいない)。
③ 労働者は国内では、自由に生産物を変更できる。
④ 両国とも、賃金は同額である。
⑤ 国境を越えた労働力移動はない。
⑥ 今までと異なる商品生産に従事するにあたり、新たな職業訓練は不要である。
⑦ 貿易における運送費はゼロである。

これは説、理論というより出来の悪いSFではないか。とりあえず、①〜⑦のそれぞれにツッコミをいれておこう。

5.比較生産費説の怪しさ

① 世界はイギリスとポルトガルだけなのか。そして両国民は毛織物を身に纏い、ぶどう酒だけで生存することになる。この地上には宮﨑あおいさんもいなければ、博多ラーメンもない。そんな地球は「死の星」だ。

② 古今東西、失業者がゼロの国なんてあり得ない。

③ 現実においても、転職そのものはある程度自由だ。しかしリカードの説明では、あたかも自発的にイギリスのぶどう酒職人が一斉に毛織物職人へ転職したとしか思えない。政府の命令 そんなものはない。毛織物・ぶどう酒いずれかを生産する労働者だけの国だから、政府の官僚も資本家もいないはずだ。これ、究極の社会主義国家なのか。ポル・ポトの妄想か。

④ アメリカも日本もベトナムもペルーも、労働者は同じ賃金を受け取るという世界は実現するのか。実現すれば、やはり究極の社会主義である。リカードはバリバリの資本主義者だったはずですが。

⑤ 毛織物やぶどう酒という実物商品だけが越境して、人間は越境しないということは、これまたあり得ない。

⑥ 職業訓練については、現在では別の現実がある。毛織物からぶどう酒へ、ぶどう酒から毛織物への転職は、ゼロとはいえないまでもそれほどの訓練コストはかからなかったかもしれない。21世紀の今日、それは通用しない。昨年まで米作りに従事していた農民が、今年から最先端のITベンチャーで働くのは、ものすごくハードルが高い。

⑦ 船であれ飛行機であれ、燃料費はかかりますなあ。そもそも誰が船を建造するのか。商品は毛織物とぶどう酒しかないはずだ。

リカードの自由貿易論は、国内では安価に生産できる商品に特化しよう、国内で高くつく商品は、安く生産できる外国に生産してもらってそれを輸入しようということである。だが「高い」「安い」というのは、一定ではない。ポルトガルが凶作でぶどうが収穫できなければ、イギリス国内でぶどう酒を生産したほうが安上がりになることもある。運賃や賃金の変動も影響するだろう。

何より、外国商品の価格は外国為替相場に左右される。愚策アベノミクスによる円安で、そのことは十分理解されたはずだ。

そもそも、ぶどう酒よりも毛織物のほうが高額で取引されていたことを考えれば、比較生産費説に基づく国際分業が、毛織物に特化したイギリスを利することは明白である。

比較生産費説とは学説というより、リカードがイギリス資本家の利益を守るために編み出した詭弁である(必ずしも「イギリスの国益」のため、とは言えないことは、穀物法をめぐるマルサスとの論争でも明らかである)。

とはいえ、リカードが唱えた自由貿易論が誤りでリストが支持した保護貿易論が全面的に正しい、というわけでもない。リストはリストで、当時は後進国であったドイツの国内産業が発展するまでの、いわば時間稼ぎとして保護貿易論を展開しているのだ。その意味では同じ穴の狢(むじな)である。

唐突であるが、学力とは何か。

学力とは知識ではない。文字通り「学ぶ力」である。学力向上のために教科書があるとすれば、客観的に見える学説も、それが唱えられた時代や国家、階級と無縁とは言えないことに、教科書自らが触れてもいいのではないかと思う。

6.現実の歴史

最後に、現実の歴史がどう動いたかについて触れておく。ここでは話を第二次世界大戦より前に限定する。

しばしば誤解があるのだが(これは世界史など他科目でも同様であるが)、比較生産費説に基づいてイギリスは自由貿易で発展した、後進国ドイツは保護貿易政策を採用した、しかしながら長い目で見れば世界は、自由貿易の拡大という歴史を歩んでいる。そういうセオリーが広まっている。

実際はどうであったのか。

(1)イギリス 

イギリスが毛織物産業に特化した(特化できた)のは、実は自由貿易ではなく保護貿易のためであった。15世紀から16世紀にかけて、イギリスは羊毛の輸出に輸出税をかける一方で、国費を投じて毛織物職人を養成した。輸出税の分、原料が値上がりするのでヨーロッパ大陸諸国の毛織物産業は打撃を受けた。また、イギリス国内では国産の毛織物が輸入品を駆逐するに至る。

17世紀から18世紀にかけては、工業製品に関して輸入関税が引き上げられた。

国内製造業への補助金が増額され、工業製品の品質管理が政府主導で進められた。「安価な政府」どころか親方日の丸、じゃなくて親方ユニオンジャック資本主義であった。

(2)アメリカ 

アメリカは自由貿易の旗手という印象がある。だが1776年の建国から第二次世界大戦に至るまで、アメリカほど保護主義を実施した国はない。ドイツのリストは建国直後のアメリカに滞在しており、このときの経験がリスト自身の思想を形成した。

南北戦争のテーマは奴隷解放、ではない。保護貿易を支持する北部と、自由貿易を主張する南部との対立であった。北部が勝つと、平均関税率は20〜30%から40〜50%に引き上げられた。「20世紀の世界恐慌で、アメリカは保護主義になった」というのは事実に反する。ずっと前から保護主義なのだ。

(3)ドイツ 

ドイツはリストの祖国であり、保護主義のイメージが強い。これはほぼその通りで、鉄血宰相ビスマルクは農産物の関税を引き上げる一方で、政府主導のカルテル形成や官営工場の設立など、日本にも影響を与える政策を実施した。

だが鉄鋼業など製造業の関税は低く、自由貿易を否定していたわけではない。

1870年代、ドイツの工業製品はその95%が関税ゼロであった。

(4)フランス

ナポレオン失脚後のフランスは、世界で最も自由放任主義であり、関税も低めに抑えられていた。そのため多くの分野で他国の安価な商品が流入して、国内産業の多くが停滞した。第二次世界大戦後のフランスは国家主導、中央集権的な方向へ進むが、これは19世紀までの失敗を反省した結果である。

7 おわりに

欧米、そして日本は自由貿易より保護貿易で発展してきたとも言える。この「発展」は植民地主義と一体であり、手放しで礼讃できるものではない。だが教科書の執筆者はともかく、政府・文部科学省は日本経済の発展、それが無理なら現状維持を願っているのではないか。だとしたら、単純に自由貿易を肯定している教科書を放置するのは、失礼ながら勉強不足であろう。

20世紀から21世紀にかけて、国際経済は大きく変動したし現在も変動を続けている。これに対する教科書の姿勢は、やはり現実とのズレが散見される。南北問題などに関しては良心的な記述も見られるが、問題解決には逆効果であると考えられるものがある。

これについては、次号で展開したいと思う。

かわもと・かずひこ

1964年生まれ。明治大学政経学部卒業。日本経済新聞記者、河合塾公民科講師を経て、フリーランスの校閲者。「劇団1980を支持する会」会員。

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