特集 ●歴史の分岐点か2022年

若手政治家泉代表、西村女性幹事長の2枚看板で立憲民主党の再生は可能か

[連載 第9回]キーパーソンに聴く――西村 ちなみさん

語る人 立憲民主党幹事長(衆議院議員)西村 ちなみ

聞き手 本誌代表編集委員 住沢 博紀

1.学生時代―多賀ゼミと東南アジア旅行での価値観の変化

住沢:本誌ではリベラル派政党を支援するため、キーパーソンとなる政治家へのインタヴィユーを続けています。政治的な経歴だけではなく、出発の時点からの抱負や人となりも含めて広く社会に知っていただくためです。偶然ですが、今回の代表選に出られた泉健太さん、逢坂誠二さんにもキーパーソンとしてインタヴィユーを行っています。今回は立憲民主党の新幹事長に就任された西村智奈美さんにお願いしました。

西村さんは「知る人ぞ知る」という段階で代表選に立候補され、政治家西村智奈美を知る人は少ないようですので、今回のインタヴィユーで自分を語っていただければと思います。また西村さんが政治家を志した原点が、新潟大学法学部、国際関係論の多賀秀敏教授のゼミであったという事ですが、私も社会党改革の時代から30年間の知人でもあります。それではまず自己紹介からお願いします。

西村:私は新潟で生まれ育って、家は農家です。新潟大学法学部に入り、大学ではじめて多賀秀敏教授のゼミ旅行で東南アジアに行きました。私が学生の時には男女雇用機会均等法ができており、女性の先輩達も名だたる企業に就職していました。自分もそうなるのだろうなと思いながらやっておりました。 

しかし東南アジアではそれまでの価値観、固定観念が根っこの方から揺らぐことに気が付いて、それで大学を1年間休学して、タイの語学学校に行ってタイ語を勉強しました。大学を休もうと決めたのはその年の1月だったので、とても留学先なんて探せず、面倒を見てくださる方がいて、就学のためのビザを書いてもらってタイに行きました。

大学を卒業して大学院に進んで、新潟大学とイギリスとの交換留学でブリストルの大学に行きました。その前後で、新潟で環日本海をテーマとした国際交流をやろうということで、多賀先生の手伝いをしながら大学や専門学校で非常勤講師として教え、自分でこういった形で社会貢献をしていくんだろうと思っていました。

ところが1999年に統一自治体選挙がありまして、そこで新潟の県議会選挙に立候補しないかと、関山信之さんから声がかけられました。男女共同参画社会基本法ができ、県議会では条例を作る時に県議会の女性議員がいないというのが良くないとおっしゃって。実は新潟県は半世紀近く女性議員がいなかったのですね。それで私ができたばかりの民主党の公認候補として立候補して、1999年で32歳の時です。それでその後関山さんが国政から引退するということで、公認候補に私の名前が上がって、県議会では一期四年を終えて次の選挙に出ずに、2003年の11月に初めて総選挙で立候補して、それから国会に来ているわけです 。

住沢:関山さんとは、1993年ごろの社会党改革をめぐりお会いした記憶がありますが、タイでは語学以外に何をされましたか。

西村:タイでは田舎に旅行したり、近隣の国ではベトナムにも行きました。ベトナムはまだドイモイの最中でした。学生との交流や、バンコクでタイの社会学を研究している方々と一緒にホームステイをしたりとかいろんなことをしました 。

住沢:日本に帰国されてから大学院に進学され、そうすると東南アジアの研究家というイメージなのですけども、その後イギリスに留学されるのですね、それはどうしてでしょうか。

西村:大学の交換留学生ですのでせっかく協定結んだので、先生からの要請もあって、第一号が出なければいけないということで機会を得ました。法学部の入学でディプロマコースで、好きな授業を受けていました。文化人類学とか社会学とかそちらの方が面白かったですね。 1991年ですのでブレア労働党の前です。

住沢:日本に帰国された頃、冷戦終結ということで EU が新しくでき、私も多少とも関係しましたけれども、日本周辺でも周辺諸国による新しい環日本海の形成というプロジェクトもありました。

西村:当時、新潟大学で環日本海研究会というのが学際的な研究会としてあり、新潟には環日本海経済研究所という新潟県が出資している研究所がありました。そういった中で学会を作ろうということで、主に日本海側の地方大学が参加して、それ以外の所の大学も参加して環日本海学会というのが立ち上がりました。その後、北東アジア学会に名称変更しまして、今もその学会は学術会議に登録して続いています。

当時も長期的なプロジェクトと想定していましたが、今から振り返ると日本海を巡る緊張関係が緩んだ面もありますけれども、しかしまた逆に緊張関係が激化している面もあり 質が変わってきたという感じがあります 。あの頃は東西の冷戦が終わったので、東西の緊張は解けるんじゃないかという期待があったわけです。また南北の経済格差の問題も なんとか和らぐんじゃないかと思っていたわけですけども、冷戦が終わってまた別の緊張関係が生まれてしまっています 。

その経済格差の問題も、なかなか陸部の方や国内まで含めて格差が解消してきているかと言うとそうでもない。これが非常に大きくて、この地域を見ていくことで、いってみれば国際社会の何か大きな動きが起きる時に、この地域がその縮図というか、そういった未来までも共通していると思っていますので、その地域が今後どうなっていくかということはこれからも注視していきます。私たちが生活しているまさに環境そのものですので。

2.半世紀ぶりの新潟県議会女性議員に

住沢:それで次に新潟県議会としてただ一人の女性議員という立場ですけれども、その時の一期4年の経験を語ってください。 

西村:1999年の統一地方選挙で私ともう一人の女性が当選しました。もう一人は長く市議会議員を務められていたベテランさんで、無所属のかたですが、およそ半世紀ぶりに2人が当選しました。私は実際にその現場を見ていないのですけども、二人が当選したことで議場に女性用トイレが増設されたり、私は当時独身だったんですけども、ある方が本会議の質問の時に、西村議員も早く結婚して出産されることを願いますというような発言があって抗議したり、いろんなことがありました。 

一番大きかったのは男女共同社会参画基本法です。新潟県で条例を作る時に市民の皆さんと勉強会をやって、新潟県ならではの条例を作ることができたと思います。一つはタイトルに男女平等という言葉が入ったんですね。男女共同参画というのはジェンダー・イクオーリティなんですけども、基本法を政府が作る時に、男女共同参画という言葉になった訳です。けれどもそこはやはり原則に沿って平等ということにしました。あとは新潟は女性の就労率が高いのですが、それに沿っていくつかの手直しを、例えば農林水産分野における女性とか、そういったことをきちんと押さえた条例が作れたと思います。

住沢:1999年というと地方分権一括法が審議され施行される直前ですが、新潟県議会ではそれに対応する地方分権の時代ということでの関心はなかったですか。

西村:一括法には高い関心を持っていましたが、国と地方の関係を大きく変えるか否かは特に感じられませんでした。

3.民主党政権と政務三役の経験

住沢:それで、2003年に新潟一区の関山さんの後を次ぐ形で、民主党で立候補され当選するわけですが、時間の都合でこの部分は飛ばし、3期目の2009年鳩山民主党政権に行きます。西村さんは鳩山政権から菅政権まで外務大臣政務官になるわけですね。これは経歴などからは少し唐突な感じがするのですが、この背景と政務官としての経験や仕事を教えてください。また野田内閣では厚生労働副大臣に就任されるわけですが、今調べてみると民主党政権では意外と女性の政務3役は少なく、野田内閣でやっと幾人かの副大臣と政務官では多く登場する印象です。

西村:私が副大臣だった時の厚生労働大臣が 小宮山洋子さんでした。それで一緒に政務官で入っていたのが藤田一枝さんでした。女性の政務三役はおられたと思います。大臣では千葉景子さんとか福島瑞穂さん(社民党)、蓮舫さんですね。

  岡田さんが外務大臣になられてその時、つまり鳩山内閣が出来た時には政務三役は大臣が指名するというような形になっていて、今はちょっと違うと思うんですけれども、岡田さんが外務省の政務三役の一人は必ず女性にしたいということで、お声がかかりました。私が岡田さんと一緒に NGO の議員連盟をやらせて頂いたことがあったので、その関係だと思います。

住沢:当時の外務省、防衛省は鳩山民主党内閣に対して、辺野古移転などさまざまな情報操作を行い面従腹背という側面が指摘されていましたが、政務官としての体験からはどうでしたか。

西村:政務官の中でも役割分担がありました。辺野古移転などの問題は岡田大臣が直接行っておられて、私の担当は、気候変動や核軍縮や国際協力や人権、エリアで言うととても広くて欧州アジアアフリカみたいな、要するに南北アメリカを除くと全てが対象みたいな感じで非常に大変でした。

その他すごく印象深かったのは、外交記録の公開を進めたことです。いわゆる核密約をめぐる密約問題を含めて、その公開の仕事をやらせていただいたことです。辺野古の問題につきましては私たちのところに来なくて、たぶん岡田大臣が中心でやっておられたと思いますけども、やはり日米安保条約が、これがもう非常に外務省の中では、そこを前提に全てが組み立てられているということは随所で感じました。今でも外務省の方々との関係は残っています。

2012年、社会保障と税の一体改革を巡って、当時副大臣だった方が離党されまして、さらに労働法制も自民党政権では行き過ぎた点を見直そうという流れの中でした。野田総理から副大臣になって大臣をサポートしてほしいという話がありました。私は初当選の時から、厚労省関係の女性3人チーム、小宮山さん、藤田さんと私の3人で、パート労働法とか男女雇用機会均等法とか、そういう女性とか非正規の働き方に関するいくつかの改正案を、この時は3人でいつもやってきたチームだったのです。その意味では厚生労働省関連のことは、いくつか取り組ませていただいた中の、私にとって割と大きなウエイトを占める一つと思います 。

住沢:政務官、副大臣等を経験され、その後民主党は野党になるわけですが、党内ではどのような役割となりましたか。

西村:私は2012年の選挙では落選して、2年間、選挙区内の地域をいろいろと歩き回り、地域の人々の話を聞いていました。それで2014年の選挙では戻ってくることができまして、その後は厚生労働省関係の委員会で筆頭理事とかやらせていただいて。それから厚労省関係の仕事が続いている感じです。

4.2021年立憲民主党代表選への立候補

住沢:2016年には蓮舫さんが女性で代表となりましたが1年間ほどでやめられました。都議選結果や個人的な問題は別にして、女性であることでどのような問題が党内ではありましたか。私は今回の総選挙の前に、「立憲民主党の男女共同代表制」を提言しました。女性首相や女性党首の国は今では多いですが、ドイツなどではいくつかの政党も男女で共同代表制になっています。

西村:立憲民主党はできた時から、女性の政治参画を進めていこうという設定でした。その2017年の初めての選挙の時に、女性候補の比率が一番高かったのが立憲民主党です。けれど、やはり現実問題と言ったらいいのか、色んな所で家庭的な責任を負っている女性が、例えば国会の日程をこなし選挙で勝ち続けるとか、そういうことはなかなか難しいところがあるなと思っています。そんな中で蓮舫さんの場合も、女性が女性を支えると言うか、それにしても人数が少ないなどの理由でなかなか支えきれないところがあったんじゃないかと思います。

住沢: それではいよいよ立憲民主党の代表選の話に行きたいと思います。その直前に自民党の総裁選挙があって二人の男性に二人の女性ということになりました。それで当然立憲民主党の場合も、代表選挙に女性が出るだろうということでメディアでも色々報じられました。その中で西村さんが一人の女性候補として登場したわけですけれどもその背景など少し話してください。

西村:代表選挙があるという時に、何人かの同僚や自治体議員から電話いただきまして、ここはやはり出てくれとか、女性が出なきゃいけないとかそういうお話だったんです。私は自民党の総裁選挙で、女性と男性がそれぞれ二人立候補されて、当時でいうと立憲民主党ではまだ女性の名前があがってなかったですし、このままゼロというのは厳しい、誰か出なきゃいけないという思いはありました。

けれども私が出るという時に、女性だから名前をあげるということでは私自身もそれは望んでいないことですし、応援してくださる方々も、女性という記号で見られるということはよくないということでしたから、しっかりと代表選挙の候補者の一人として戦って代表を勝ち取っていくという、そういう気持ちでみんなでやろうと確認していただきました。そんな中で、私は思う存分自分の政策なりを、代表選挙で訴えることができたと思っています。

私が自ら手を挙げたわけではありませんが、手を挙げないと代表選の規定である20人の推薦員が集まらないのには苦労しました。私は執行役員のメンバーになったことがないし、 言ってみれば政策畑で、政策を作って法案提出したり修正したりする方が好きな人間なので。もちろんそれだけではないですが、こういう代表選に出るとなると知名度は全然ない。まあこんな人いたんだと言われました。街頭演説会等で地方に行ったりしますとですね。応援してくださる方々からのメールとかいろんな声が届くのですけども、それも初めて知りましたという方が圧倒的に多くて、西村を前から知っていたから応援するという方は逆に少なかったです。

住沢:こうした状況、つまり知名度がない中でも手をあげ、推薦人も集まり代表選に加わることができたことを振り返ってご自分で分析できますか。

西村:本当はこれが分からなければいけないと思うんです。これが理解できないと、立憲民主党がこれから伸びていくために、私自身がどういう風にやっていくべきかということが見えないと思います。けれども結局選挙をやって四人中四位だったので、知名度が低かったということがあるでしょうけども、やはり4位だったということでその現実を見た上で、それでも幹事長に代表から任命されて、両議院総会で承認されているわけです。

今回の代表選で初めて知って応援してくださる方がたくさんいてくださったという事実と、だけど選挙の結果で4位だったという事実と、今幹事長になっているということと、ここをどうつなぎ合わせていくかというのが今の課題です。

5.泉代表と共に幹事長として党の立て直しへ

住沢:それではいよいよ核心の質問に入りたいと思います。今話をお聞きしましても、西村さんはこれまで党の執行部の経験がなく、つまり党運営ではなく政策畑で議員活動していたわけですが、今野党第1党の幹事長、事実上のナンバー2として登場しているわけです。 おそらく立憲民主党でも幹事長と言いますと、政党助成金がありますのでその配分とか、あるいは差し迫る参議院選挙への候補者選出あるいはその資源の配分とか、大きな権限を持っていると思うのですけども、その辺のギャップをこれからどういう風に克服していこうとお考えですか。また初めての幹事長職という事で、これまでの経験者や党内の有力議員にいろいろ相談したり、サポートを受けるということはないのですか。

西村:もちろん前任者の福山さんからは引継ぎの際にいろいろな話をしていただきました。幹事長に就任した折りに、これまでの経験者の方々が幹事長のイメージとして浮かびました。現在、特定の方のサポートということではなく、いろいろな方の話を聞きながら幹事長の仕事を進めていますが、他方で、私の一政治家としての個人の意見、政策があります。これを持たないと政治家とはいえませんので、要はこの二つのバランスをどのように作っていくかという事だと思います。

普通にいえば、アメリカの大統領のように準備期間というかハネムーン期間とかあるわけですが、私たちは突然新しい体制の中で、とにかくやらなきゃいけないことがとても多い。まずはその去年の秋の衆議院選挙の総括をしなければならないし、それから今年の参議院選挙体制作り、そして今まさに始まっている国会のこの三つを同時に行っていかなければならない。

やはり優先すべきは参議院選挙ですが、それでもやはり国会対応と衆議院選挙総括とは不可分のものがあって、そこをどうするか。なおかつ、旧立憲民主党と旧国民民主党が合流して1年ですけれども、衆議院選挙が終わってから整理しようと言っていたことが、まだ党内で残っていたりとか、そういったことが多くあるので、なかなか大変です。

住沢:総選挙の総括ですけれども研究者の間では、立憲民主党はリベラル派の1/3と政権の1/2の間で、その山を越えられなかったという分析があります。 この点で総選挙では何が足らなかったのか、どのように考えられますか。また立憲民主党の支持率を考えると、2017年の発足時が最高で、それからだんだんと落ち込んでいき、今では一桁台ですから、そもそももっとリアリティを持った提起をすべきだという意見もあります。

西村:枝野代表が選挙前に、現有議席を超え政権をとるという事を言われました。過半数1/2、これは一つの旗印になると思います。結果としてその1/3に留まったことでいろいろあるんでしょうけどもやはり、自分としても、これが目指していく目標ではないかと思っています。

今で言えば政権交代は遠いということはよくわかります。しかしそこを目指すということを止めてしまうことはありません。その途中の段階でどこまで目標にするかということは、その時々の選挙状況を見ながら簡単にいえる話ではないと私は思います。少なくとも強い野党となり、立憲主義ですとか、民主主義の原則とか、それから国民の声を聞かないウィルス対策とか、そういったものが簡単にまかり通るような、そういう状況は絶対作らないということではないかと思います。

住沢:衆議院選挙の総括ですが、共産党との野党共闘の問題とは別に、政策的な課題はなかったのですか。官公労系を中心とする産別労組の前で、衆議院選直前に、当時政調会長であった泉健太さんが「変えよう、支え合う日本へ」という政権政策2021を詳しく説明しました。Zoom会議ですので私も傍聴していたのですが、形式的な質問を除いて誰も質問しませんでした。おそらく誰も批判しようがないような内容、いいかえれば総花的で原則論にたち、政権を担当して実行するリスクを負う迫力に欠ける内容であったと思います。理念としては承認できるが、琴線に触れるものではないというような。

西村:私は基本政策は良かったと思っています。ただそれが国民には届かなかった。党が提起する基本政策を、国民がよりよく分かるようにするにはどのようにしていけばよいか、それは大きな課題になっています。

労組の方々の反応に関しても、それが皆さんの切実な問題に直接触れていないように受け止められたのであれば、それは問題だと思いますね。

住沢:国会内での野党共闘から国民民主が抜けるという事が報道されていますが、この辺は、国対委員長に就任された馬淵さんとの分業になっているのですか。また泉代表は、執行部役員を男女同数の6名ずつにして、党の女性重視の方針を明確にしました。新しい方々も多く新鮮ですが、執行役員会は順調に機能していますか。

西村:国会内の対応は国対の方でやって頂けるのですけれども、 やはり統括するということが代表幹事長の仕事になっていますので、そこはいろいろなことをよく話をしながらやっていかなければなりません。

男女同数の執行部役員、それぞれが担当していることがあります 。国対委員長、政調会長、選対委員長とか、さらに組織委員長、企業・団体交流、ジェンダー平等推進、国民運動など、それぞれ担当があります。それぞれの執行役員が振り分けられていますので組織としては機能していると思います 。

今までは男性中心で執行部が運営されてきましたけれど、 女性が入る ことで何か地殻変動的なことが起きているのではないかと思っています。見やすいところで言いますと、会議がすごく活発になっておりまして、皆意見をすごく言うようになりました。みんなの問題意識がどういうものかというものを非常に分かりやすくなりました。これはいいと思います。今までは阿吽の呼吸というのがあって、それはいろいろな評価もあると思いますけれども、私は男女同数の現執行部は随分と活性化してきているのではと思っています。

住沢:この新しい役員が多い男女同数の新鮮さを評価する面と、もう一つは今まで多くの経験をしているベテランの議員たちが、どのような役割でその能力を生かされているのか、という二つの側面があると思うのですが、その辺りはどうなんでしょうか。この新しい多くの人々を含む執行部の決定が、それまでのベテラン議員、あるいは役職経験者の方々によって尊重されるという党内体制が、もう目途がついているという事でしょうか、それともまだ始まったばかりでしょうか。

西村:執行役員会の中で議論されていることは、 幹事長をはじめとする執行役員が提案することなので、そこで党内の会議の場にかけてあらためて意見をただすこともあるし、その時に結局その提案がどういったところの意見を聞きながら提案をしていくかということかと思います。ですので、執行役員が大きく変わったから党の決定の在り方や方針が違うという事ではありません。両議院総会も今まで3回程度開催されています。参議院は議員総会、衆議院は代議士会がありますが、コロナの影響で衆議院はずっとオンライン会議です。

住沢:今メディアでは、新しい立憲民主党は若手の泉代表とそして女性の西村幹事長という新しい二枚看板というイメージがありますけども、西村さんと泉さんもそのような党の新しい形を意識されているでしょうか。

西村:私はそのような自覚はあります。

住沢:そうであればその新しい党の形をどういう形でプレゼンテーションしていくのかということですけども、私は前に言いましたように、男女の共同代表という提案をしました。そしてドイツの報道を見ていますと、記者会見は必ずその男女二人の代表で行うということが通例になっています。ですから立憲民主党も共同代表ではありませんけれども、2枚看板の若手代表の泉さんと女性幹事長の西村さんと、常に二人で記者会見をすれば新しいイメージになるのではないでしょうか。

西村:それは興味ある一つの提案として受け止めておきます 。日本の政党だとあまりそういうことは現実的ではないような、そうした文化がないような気もしますけども、そうした新しいスタイルがありうるなら一つの提案として考えます。

6.参議院選挙に向けての女性候補者の擁立

住沢:参議院選挙に向けてどのような政策を提起するのか、そして幹事長として優先すべき政策はどのようなものなのかをお聞かせください。泉代表の政策提言型と言う路線に対していろんな意見がありますけれども 、枝野・福山体制の立憲民主党の時代に対して、学者や識者の側から、あまりそうした広く専門家の意見を活用せず、執行部の狭い範囲で色々決めていくというそういう閉鎖性がしばしば指摘されていますが、この辺はどうなるでしょうか。

西村:政策の中身ということで言えば、私はシンクタンク的な機能をどうするのかという事は、整理を必要としていると思っています。特に今回の新型コロナウィルスみたいな医学的な知見をすぐ必要とすることになると、こちらとしてもう一つのコロナ分科会みたいな、そういったものもあっても良かったと思っています。

もちろん中長期的なところで言うと、支援をしてくださるいろいろな研究者、専門家の方々もおりますし、そうした方々の力もお借りしてと思っています。今、泉代表が作ろうとしている新しいビジョン策定委員会があり、そこでは広く意見を収集しながら参議院選挙に向けてまとめていくということで、1月中には立ち上がると思います。そこでこれまでのビジョンとどう違うかということよりも、まず政策形成のプロセスを大事にしたいと思っております。

住沢:最後に、参議院選挙に向けた野党共闘の問題を、連合との関係も含めて言ってもらえますか。

西村:代表選挙に立候補していた四人とも、一人区での候補は野党の統一候補にするという事では共通していました。またそれ以外の選挙区に関しても、国民民主党との関係では、それまで同じ党として活動していた現在の立憲民主党の候補者の方々も多いのです。共産党とは一本化ということで連携を維持したいと思います。それぞれ地域事情もいろいろあると思いますので、原則・方針としては党本部は持っていますが、地域事情によっていろいろなことは考えられると思っています。

連合とは自民党を利することのないように、また働く人たち、生活する人たちの生活向上のためにどのような政治を行っていくべきか、ということを虚心坦懐で話をしていきたいと思っています。連合の人々とは当然ながら私達も会って話をしています 。連合のそれぞれの産別からの比例候補者がいらっしゃるので、比例区での候補者を当選させるという事で、私たち立憲民主党も産別の比例区候補がいますので、その点では一致して共に行って行きます。一人区に関しては候補者一本化、これは一つの方針として連合にもご理解していただけるようにしていきたいです。そこは本来政党がやるべきことなので、政党間の話としてご理解していただけると思っています。

住沢:西村さんは幹事長として、そうした候補者の擁立なども権限に入ると思うのですが。とりわけ女性候補の数値で示せるような積極的な擁立は、新執行部にとっても重要目標であると思うのですが、他方で一人区の場合は女性候補は当選が難しいという分析もあり、この辺はどういう方針ですか。

西村:幹事長の仕事に関しては、権限というかその候補者の擁立だけではなくて、調整も含めて色んな仕事があります 。女性を擁立して落選の可能性が高いというのは、それはちょっと違う見方をしております。良い陣立てができればそれは女性でも男性でも当選すると思っています。そういう陣立てを急ぎたいと思っています 。

NHK の日曜討論に各党の女性ジェンダー平等推進に参加する女性議員の討論会があり、これは森喜朗さんがオリンピック委員会で「わきまえない女性」発言を契機としたものですが、私は衆参で女性議員3割目指すとその時に言いました。それを覚えていた人に、西村さんは幹事長として3割をめざすのでしょう、と言われました。パリティというのは50対50ですが、そこまではいかないとしても「クリティカルサーティ」、30%を一つの目標としたいと思っています 。

今回の参議院選挙では、泉代表が女性の50%擁立をめざすとしました。現時点で選挙区では50%ですので、これを維持できるよう、引き続き努力していきます。

にしむら・ちなみ

西村智奈美。1967年新潟県生。93年新潟大学大学院法学研究科修了。NVC新潟国際ボランティアセンター事務局長。新潟県会議員を経て2006年衆議院議員当選、現在5期目。外務大臣政務官、厚生労働副大臣を歴任。立憲民主党政調会長代理、同ジェンダー平等推進本部長、同新潟県連代表。2019年10月、衆議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会野党筆頭理事。19年10月、党自治制度調査会長、20年10月、党社会保障調査会長。20年10月、衆議院沖縄および北方問題に関する特別委員長。2021年11月、立憲民主党代表選挙に立候補。2021年12月02日、両院議員総会にて立憲民主党幹事長に就任。

すみざわ・ひろき

1948年生まれ。京都大学法学部卒業後、フランクフルト大学で博士号取得。日本女子大学教授を経て名誉教授。本誌代表編集委員。専攻は社会民主主義論、地域政党論、生活公共論。主な著作に『グローバル化と政治のイノベーション』(編著、ミネルヴァ書房、2003)、『組合―その力を地域社会の資源へ』(編著、イマジン出版 2013年)など。

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