論壇

“おかしいことは、おかしい”

黙らない女たち、かく闘う(下)――メトロコマース裁判原告インタビューから見えてくるもの

フリーランスちんどん屋・ライター 大場 ひろみ

やりたかった仕事、入ったら大間違いだったけど――トイレ交代要員がいない!

後呂良子さん。瀬沼さんより7つ違いで4人の中で一番の年下。三重県の南端の町に生まれた。母は布団店を営み、父は農業を兼業。文才があって中学生の頃から寸劇の台本を書いていた。高校生になって自ら演劇部を立ち上げ、演出。芝居好きの根は古い。東京は池袋にある舞台芸術学院を進路に定め、着たことのないレオタードなるものを手に入れて、試験のために一路上京。

後呂: 正直、家の手伝いするのいやだったのよ。父母が働いてたから、物心つく頃からずうっと家事やってたから。そういうことから解放されるのがものすごくうれしかったのよ。(学費は)安かったの。それが、そこ選んだ理由。最初だけ納めとけば、バイトしながら払えるほどの金額。

試験はそつなく受かった。入れるが途中で脱落する者が多い学校だったようだ。本科が2年で専科が1年。3年で21歳。

後呂: みんな卒業したらいろんな劇団の試験受けるの。行きたい劇団、文学座とか、青年座とか、いろんなとこの試験受けるわけ。その試験は厳しい。(学校の)卒業公演は俳優座借りてやるわけ。そのゲネプロ行ってた時に、交差点の所で倒れちゃったの。救急車で運ばれちゃって、それで(文学座の)試験受けられなかったの。

縁あってつかこうへいに入団を誘われたが、卒業公演があるからと断った。生真面目なせいですじを曲げないのは昔から。下町の労働者や玉ノ井の女性などを描く「中村座」の芝居を見て、「人間がきれいだな」と思って感動し、入団。7年いた。やめた後自分で芝居を立ち上げようとしていた時に、「夢一蔟」というテントを中心とした芝居の集団にこれまた感動して加わった。テント芝居は3か月ほど各地を転々と芝居をして廻るから、普通ならその度に仕事を辞めなければならない。学校時代からある会社に任されて3人で喫茶店を共同経営していたが、途中からチェーン店系の喫茶店にアルバイトで入った。

後呂: 店長さんが元SKDのダンサーだったの。それでそういうことよく分かってくれて。「あなた、一筆書いといてくれれば私が帰ったらちゃんと雇ってあげられるようにしといてあげるから」って言ってくれて、一筆書いて、私(芝居の)旅に出たの。帰って連絡したらすぐ働けたの。銀座の店で。その頃は景気良かったからね、何度も働けたよね。売上もよかったし。

芝居を抜けても同じ喫茶店で働いていたが、上司が変わって辞めた。

後呂: いやな店長が来たのよ。こんな奴と一緒に働けるかと思ってすぐやめたの。それまでは他の人もみんないい店長だったよ。当時は正社員が少なかったんですよ。だから私たちアルバイトが正社員の仕事してたの、発注から何から。それで店長さんたちが交渉して、アルバイトにも退職金がついてたの。仕事ができるようになったらどんどん時給上げてくれたの、店長が。20円ずつアップしていって、1040円くらいが打ち止めだったかな。どんどん上がったのよ。土曜日働いた後、稽古場行って、上野原の。土曜の夜中に稽古して、日曜に帰って来た、始発のバスで。日曜日休んで、週1で。でも週6働いてたから、貯まったよ。

きついスケジュールでも頑張れたのは、芝居が楽しかったのと、まだ30代で若かったから。しかし喫茶店の仕事で重度の腱鞘炎になり、時間の短い清掃の仕事に移った。

後呂: 8時間働かないで、6時間にしたの。「J」さんていう、清掃会社に1年間だけ働いた。それが新宿伊勢丹の清掃だったの。その時けっこう勉強させてもらった。その清掃会社の社長さんが苦労人で、ものすごく従業員に温かい人だったの。

黙っていても忌引き休暇を付けてくれた。伊勢丹の清掃の仕事は他の会社も狙っていて、賃金を低く見積もってきたので、賃金を下げないJは次回請け負えないと思われていたが、たまたまその時に後呂さんがあるお客さんのトイレの便器に落とした大切なブローチを拾ってあげたところ、そのお客さんがお礼を言ってきた。それを聞いた当時の伊勢丹の社長が、「来年度もJさんにやってもらいます」となった。昔の経営者にはまだ人情があった。

後呂: でも私すぐやめたの。メトロコマースが募集してたから。(清掃会社で)ちょうど1年経った時に、病院通ってたら、中野坂上の売店に張り紙があったの、募集の。6時間働いてもお金にならなかったわけよ。大分貯金を崩しちゃってたから、もう8時間働こうと思ってメトロコマースに入ったの。元々この仕事やりたかったの、若い時から。

1991年のオムニバス映画「ご挨拶」中の第2話「佳世さん」(監督:市川準)のことを書いた新聞の記事で、駅売店の販売員の役をヨネヤマママコが演じるのを知って、販売員の役、延いては売店業務に憧れたのだという。

後呂: キヨスクとか見てるじゃん。好きだったんだよね、ああいう小さいとこで売ってて。だから売ってりゃいいと思ってたのよ、入ったら大間違いだったけど。

まずポスターを見てすぐ応募出来なかった。

後呂: そのポスターにね、連絡先書いてなかったの。で、販売員に、「連絡先書いてないんですけど」って言ったら慌ててたもん。3日ぶりに病院行ったら、ポスターの下に書いてあった。私に言われて書いたんだよ、連絡先。採用された。簡単な暗算やって、いくら払っていくらの物買っていくらおつりとか。私暗算得意だったから、パっと言ったら「ハイ合格」。

他の3名の話では暗算の試験はなかったが、瀬沼さんが面接などのことについて聞いてみたところ、会社の人間から「担当者によって変わるから」と言われたそうだ。

2006年8月、52歳で丸ノ内線新宿駅東口ホームの売店に配属され、正社員に仕事を教わった。

後呂: ホームはとにかく大変。3か月で6キロ減ったもん、体重が。その当時はコンビニとか無かったから、ものすごい売れるわけよ。(朝から晩まで)全部忙しかった。今はこの3つは売れてないけど、その当時は新聞、雑誌、タバコがメインだった。

独り立ちする時、何故か正社員が移動になり、同じ売店に残されて契約社員Bのベテランと組むことになった。

後呂: 夢中だったからね。仕事覚えるまでは夢中。お弁当持って行くでしょう、お弁当食べたらもう休憩時間も働かないと間に合わないの。遅番の人が来る前にやらなきゃいけないことがあんのね。それが出来ないのよ、新人だから。それでもうご飯食べたらすぐ働く。休憩時間も働いてた。だから痩せちゃう。トイレも我慢しなきゃいけないし。

――トイレ休憩はこの時来てくれた?

後呂: 最初の頃は、100パーセント子会社になる直前だったのね。直前は来てくれた、社員さんが毎日。でも、私が8月に入って、10月に「関連会社」から「100パーセント子会社」化したわけ。なったとたんに休憩来なくなっちゃったの。結局休憩回りの人件費かかるじゃん。それを削られちゃったわけ。

――すごく待遇が悪くなった

後呂: うん、100パーセント子会社になってから、一気に悪くなった。それまではよかったよ、それなりに。

2006年10月、東京メトロの関連会社から100パーセント子会社になる。会社としてどのような経緯があったのか定かではないが、この子会社化に伴ってか、いきなり様々な待遇の変化があり、トイレ交代要員が来てくれなくなったのはその一つだった。

トイレ交代要員が来てくれるといっても、早番なら午前中の1度で、後は昼休憩の間に行くくらいで、ただでさえトイレの自由がない仕事なのに、会社はトイレ交代要員を無くし、行きたければ店を閉めていけと言った。店を閉めろと簡単に言うが、そうするには外に張り出したラックなどをすべて中に入れ、シャッターを閉めて行かなければならない。地下鉄のトイレは混んでいることも多いので、時間も手間もかかるトイレ行きを我慢して、多くの人が膀胱炎になった。トイレに行かないように飲み物も我慢した。

組合立ち上げ後、トイレに関する待遇改善を何度も求めたが、長い時間売店を閉めてもいいから交代要員は用意しないと、会社は最後まで方針を変えなかった。会社の対応に絶望して従業員の士気は下がり、売店を閉めて皆行くようになる。体を犠牲にして誠意を持って働いても何も答えてくれない会社に、もう遠慮は無用だ。結果、売上が下がっても会社は無頓着のままだった。

それでもまだ時給1000円はいい方だ、ボーナスもくれるしと思っていた後呂さんだが、仕事の過酷さが身に染みてくるとボーナスくらい当たり前だと思うようになった。それほど見合わない。

後呂: (遅番業務で)閉めようと思うとお客さんが来る。10時15分に閉めたいんだけど、10時半になっちゃうこともある。そうするとサービス残業がすごく増えてくる。これはおかしいと。そうこうしているうちに、待遇差が分かって来て、その時に初代委員長のKさんていう人が、いつも私の売店で買ってくれて、いろいろ話すようになった。「月1回棚卸しの日に女子会やってんのよ」って誘ってくれたの。その女子会に、瀬沼さんと初代委員長と加納さんといたの。

初代委員長は4年前から組合を立ち上げる準備をしてた。で、私考えて、一緒にやらせて下さいって。私たち何にも知らないもん、組合のことなんか。東部労組には、「会社の組合があるんなら会社の組合入れば?」って言われたんだけど、最初は。その当時は会社の組合は正社員の組合だからBは入れませんって言われたの。

団交で吠える!――積み上げる成果と正社員の壁

2009年3月、「何も知らない」で勇気を奮った女性たちが、全国一般東京東部労働組合メトロコマース支部として立ち上がった。最初の団交は4月13日、組合員に加え、東部労組からも3名が参加し、要求書を突き付けた。

後呂: 組合立ち上げたじゃない。1回目の団体交渉ですごくなめられてたね、私たち。

瀬沼: メモ取る奴もいないし。

後呂: 手ぶらで来て。

瀬沼: それで3時間締め上げたんだよね。

後呂: 一人一人が思いのたけぶつけたんだよね。みんなすごかったよね、あれ。みんな女の販売員でしょ、大したことないと思ったんだよ。

瀬沼: いざ開いてみたら狂犬だらけだった(笑)。

後呂: それで、あまりにも3時間わあっとみんなで言ったでしょ、その本部長がね、あっけにとられたんだと思うのね、サインしちゃったの、協定書に。もう何が何だか分からなくなって、「サインすりゃいいんでしょう!」って。それが1回目団交。「やった!」と思ったけどね。団交の仕方も知らないくせにね、私たちもそうだけど、会社も知らなかった。知ってんのは初代委員長だけだった。

瀬沼: こんなにちょろいもんかってこっちは逆に思ったんだよね。

委員長のKさんは自分のことを元々活動家だったと言い、組合に関する知識もあったので、とりあえずついていくだけの4人だったが、Kさんは3か月ほどで組合を抜けてしまった。委員長には後呂さんがついた。

2009年10月1日に制度として正式にスタートした成果は、

・駅の休憩室を売店の従業員も利用できるようになった(が実際は男性ばかりが利用して売店の女性は入っていけなかった)

・忌引き休暇が有給になった(それまでは有給休暇を使っていた)

・食事補助券を契約社員Bにも配布

・営業中に丸イスに座ってもよいことになった

・全店にサーキュレーター設置

・売店の蛍光灯を熱くないものに取り替えた

要求自体は有期雇用から無期の正社員として雇用すること、非正規への差別廃止と格差の是正から始まって14項目の根源的な待遇改善要求だったが、認められたのは小さな事柄のみ。しかし効果はあり、以後少しずつ前へは進んでいった。

・社内報を契約社員Bにも配布

・東急グループのホテル・契約旅館を利用時の割引補助をBにも支給

・Bにも昇給制度が導入された。1年に10円アップ、1100円が上限(今まで何年働いても1000円のまま)

・早番手当導入(早番手当とは早出残業分の支払いのことではなく、早番の時に150円支給することである。早出残業については後述する)

・売店内に設置された監視カメラを全売店撤去させた(売上金のマイナスが多い売店があったため取り付けられた。いつ取り付けられたのかなどの経緯はわからず)

この間に、2011年1月契約社員A登用試験が始まった。論文・一般常識・専門知識について筆記試験をし、点数を付けて合否判定するというものだが、これは組合の要求ではなく、会社側が考えたものだ。これまでBからAへの登用の基準が示されてこなかったことについて組合が開示要求してきたことに向けての対抗措置とも見える。後にはこの登用試験があることを、労契法20条の「その他の事情を考慮して不合理と認められるものではあってはならない」の「その他の事情」にあたるとして、「不合理と認められるものに当たらない」との理由の一つに挙げられた(最高裁判断)。しかしこの登用試験の実施は組合の団交後に考えられたもので、完全に後付けである。

組合の活動は団交のみならず、度々全売店販売員に対してアンケートを実施したり、全売店にチラシを配布して団交の経過などを報告した。

2011年12月、間もなく定年を迎える瀬沼さんの再雇用を要求して回答を得た。「1年契約、1日5時間、週3日勤務、月に40時間以内の登録社員として契約する。特段の処置である」。「特段の処置」という言葉は何かある度繰り返されたが、会社側のこの「特別にくれてやるんだ」という「上から目線」を彼女たちは痛いほど受け止めた。

瀬沼さんが2012年3月末定年退職、5月に再雇用がスタート。2013年3月、65歳定年制に反対しストライキ決行。瀬沼さんの再雇用延長6か月を獲得。残念ながら瀬沼さんは数か月後母親の介護で出勤出来なくなった。8月にはビデオプレスが彼女たちのドキュメンタリー「メトロレディーブルース」を制作。最高裁判決の後々まで続編・総集編を作り続けて闘いを見守った。2014年3月、加納さんが定年退職、その再雇用を要求したが決裂。

疋田: いっくら団体交渉やっても、住宅手当とか、我々は月給制にしろといったって、本質的なものは梃子でも動かなくて、だからそれも裁判するきっかけになって。いっくら団体交渉やっても、「出来ません出来ません」でしょ、平行線ですもん、いやだねって、それで裁判起こそうと思って。

いざ、裁判!――ビックリ、ハテナ?と門前払い 売店はローソン化へ

2014年5月、非正規労働者への差別撤廃を求めて東京地裁へ提訴。労契法20条は2013年4月に施行された「期間の定めがあることによる不合理な労働条件を禁止」する法律で、非正規差別を正そうとする多くの裁判を生んだが、この文言の中の「労働条件の相違は、労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度(以下この条において「職務の内容」という。)、 当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情を考慮して、不合理と認められるものであってはならない」の「その他の事情を考慮」することと「不合理と認められるものであってはならない」という回りくどい表現を盾にとって、差別があってもしかたがないという解釈を生み出すこともあり得る。(なお2020年4月からはパートタイム労働法8条に統合された)。

2017年3月の判決で、地裁は20条の上記のような論点の上に、売店業務に携わる正社員だけでなく、メトロコマースの全社員と比較するというウルトラC級の拡大解釈を施して、後呂さんの残業代差額以外、すべて棄却した。それが4109円(弁護士費用500円含む)。そのちまっとした数字に私もビックリした。当の4人はほっぺたを殴られたような思いだったろう。

そもそも彼女たちの話によれば、早出残業については支払われていなかった。会社としてはあることになっていたが、タイムカードが無いため出勤時間が確認出来ないのを理由に請求出来ない。実際はハンディという端末にスイッチを入れれば会社はその時間で出勤を確認出来るがそれも認めない。組合は何度もタイムカード導入と残業代の支払いを要求したが、店の開店時間をじゃあ7時15分にするから7時出勤で15分を開店準備に充てろとなり、しまいには7時30分を開店時間にしろとなった。

一時期早出残業分を1年間ほど組合員にだけ支払ったこともある。「申請したら支払う」。組合員は請求して支給され、他の契約社員にもそのことを知らせたが、組合員以外が申請すると所長が本人を呼んで取り消させた。残業代支給の許可を出した本部長が定年で去ると、その申請も出来なくなった。

後呂: 7時半開店にしろと言ったって、いつも7時に通るお客さんだっているじゃない。

真面目な販売員はお客によかれと早出して店を開くが、そういうことは配慮されない。しまいに誰も積極的に早出しなくなった。後呂さんの残業代は棚卸など、会社の要請で残業した分を支給されたもので、その金額は法定の割増額で2割5分増しだが、正社員は2割7分増し、2時間を超えると3割5分増しになる。その差額(2分)分、労契法20条施行後の2013年5月から2016年9月支払い分までの3609円のみ認め支払えというのが地裁の判断だ(なお会社はこれを不服として控訴した)。1審判決後、契約社員Bにはいっさいの残業をさせなくなった。

裁判中の2015年3月末、疋田さんが定年退職。その直前疋田さんの再雇用を求め本社前で4日間の座り込みを行った。4月1日には本社前でストライキ行動。17日、団交で会社側は65歳後の雇用を制度として提示した。雇い止めの契約社員B11人にグッズやイベントの販売補助など。ただ日数は少なく、時給は950~1000円。疋田さんは賞味期限切れのチェックを週2回、1日4時間時給1000円。これでは食べられないのでダブルワーク、そしてトリプルワークと1日も休まず働いた。

4月27日に東京メトロとローソンの業務提携が発表された。売店50店を2,3年かけてローソン化していくという。組合との裁判が影響したことは間違いない。2015年1月に正社員18名、契約社員A14名契約社員B78名、2014年4月に56店舗あった直営店(全部で110店舗,他は委託)は2016年8月には8店舗、契約社員Bは33名になった。ローソン化には時代の変化も関係がある。

後呂: 新聞、雑誌、タバコがメインだったわけ。今全然ダメじゃん全部。食べ物中心じゃん、だから。今のコンビニ型の。それでメトロコマースもローソン型に変えた。おにぎりとかの方が売れるわけ。

スマホなどのデジタル化が進み、紙媒体や健康志向でタバコが売れなくなる。コンビニ化は必然でもあったかも知れない。売る身になればレジだってあったほうがいい。そもそもメトロコマースは、2014年には正社員601名の内、東京メトロ退職者135名、互助会出身者67名(うち売店12名)、東京メトロからの出向者102名と半分が天下りなどの身内、2016年も560名の内、東京メトロ退職者120名、互助会出身者65名(4名)、東京メトロからの出向者81名(高裁判決文より)と半数近くに上る、身内で固めた企業で、売店業務に携わる「財団法人地下鉄互助会」出身者のこの「互助会」なるネーミングも何やら曰くがありそうだ。

100店舗以上ある売店の半分を委託にしているところや、「売店を閉めてトイレに行け」、などということにも経営意欲を感じないし、契約社員募集のポスターに連絡先がないとか、契約社員Bと契約書も交わさず雇用するところなどもやっつけ仕事に見える。

後呂: 売店の仕事って女性の仕事という面が多いから、他の社員よりも会社の中でものすごい差があるんだって。正社員が言ったの。「後呂さん、社員だってね、ほんとに給料、ピンからキリまであるのよね。私はキリの方です」って。あんなに仕事のできる人なのに。

売店の仕事自体が低く見積もられている。売店の人手が足りなくなったから何となく安く人を雇ったが「差別撤廃」などと騒がれて、知り合いしかいない地球に宇宙人が襲来したような驚きだったのではないだろうか。もちろん宇宙人バンザイである。天下りして楽な仕事をしながら2度目の退職金ももらう社員も存在するのに対して、彼女たちは何の見返りもなく、スキルの高い仕事をこなしてきたのである。

2016年4月、契約社員Aは職種限定社員に改められ、無期契約となり退職金制度が設けられた。格差がまた拡がった。

2019年2月、高裁判決はいくつかの手当と共に退職金の支払い(正社員の4分の1)を加納さんと疋田さんに対して認めた。瀬沼さんは20条施行以前の退職として門前払いだった。この組合を分断するような判決に瀬沼さんは体を震わせていた。退職金を認めたのはいいが、4分の1の理由が判然としない。裁判なのに、何となく4分の1、なのである。4分の1の価値と判を押されたような悔しい気持ちで原告は無論上告。4109円も惜しかった会社もさらに支払いが増えるので上告。

最高裁判決――取り消された退職金、でも「おかしいことはおかしい」

この間に「メトロレディーブルース」のDVDは各地で上映会を重ね、彼女らの活動は人に知られ、様々な人たちの支持を得るようになった。メトロスの直売店は2017年3月末にはゼロになっていた。ローソン(ローソンメトロス)は12月には25店舗になった。後呂さんは表参道、永田町、押上、八丁堀の各土産物店で引き続き働き、2020年3月末日、八丁堀で定年退職を迎えた。

いよいよ最高裁、だったが、判決前の2020年9月4日、退職金以外は争わず、の決定。つまり他は高裁までの判決で決着である。瀬沼さんは門前払いのままだった。根源的差別撤廃の要求も通らなかった。

そして10月13日、最高裁判決で退職金支払いは棄却された。

すべてに共通する理由として、正社員にはエリアマネージャーや代行業務があったが契約社員Bにはない、というのと正社員には配置転換の可能性があるがBにはない、として業務の違いを認めているが、エリアマネージャー業務に含まれる「指導」は実際にはBも行っていたのは証言にある通りだし、代行業務は代わりに入るだけで売店での仕事としては同じである。配置転換は前述の通り売店の移動の方が負担が大きいし、売店業務の正社員はそれのみにしか従事していないにも関わらず、会社の「組織再編等に起因する事情」だから「その他の事情」として考慮すべし、との判断である。何で会社にはひたすら「考慮」してあげるのだろう。

肝心の退職金については、有期雇用扱いだが、実質的には自動的に契約更新して20年勤める例もあったにも関わらず、「継続的に就労することが期待される正社員」にのみ支払うのは「不合理であるとまで評価することができるものとはいえない」と判断。何でこんなにくどい言い回ししかできないのか。奥歯に物が挟まって取れないんだろうか。まあ突っ込まれると「不合理である」と言ってしまいそうなので「違い」を嚙み砕かず飲み込んでいるのだろう。

だが、何としたって退職金が出るのと出ないのとでは雲泥の差である。彼女たちは65歳になってから辞めたので、失業手当も50日しか出ない。65歳未満で辞めれば10年以上働いた場合120日分もらえるのに、だ。踏んだり蹴ったりである。

なお、裁判長は補足意見として、「企業等が、労使交渉を経るなどして、有期契約労働者と無期契約労働者との間における職務の内容等の相違の程度に応じて均衡のとれた処遇を図っていくこと」は、「法律8条(労契法20条を引き継いだパートタイム労働法8条のこと)の理念に沿うものといえる」とし、「有期契約労働者に対し退職金に相当する企業型確定拠出年金を導入したり」するなどの「企業等も出始めていることがうかがわれるところであり、その他にも、有期契約労働者に対し在職期間に応じて一定額の退職慰労金を支給することなども考えられよう」と、将来的変化の可能性にも言及している。じゃあ何故今じゃあないのか。

裁判所が法に基づき揉め事の判断をするのは社会の安寧を保持するためだとすれば、社会の基準を会社に置き、正社員を守ることでその安寧を図っているのが今回の判断だといったら穿ち過ぎか。しかし、だとしたら、この判断は時代に合っていない。もはや非正規労働者は2000万人をはるかに超えている。最低賃金に近い(1・3倍以下)給料で働く労働者は31・6%、これは正社員を含んだ数字だ(2021・9・14付け東京新聞)。正社員制度自体が自己崩壊していき、低賃金の非正規が社会の主流になっていくのを目前にして、これからの裁判所は誰の顔を見て判断していくのだろう?

疋田さんは現在ローンも払い終わったのでやっと肩の荷を下ろし、週2日の仕事に減らした。加納さんも瀬沼さんも家があるのでその分は楽だが、瀬沼さんは今闘病中で仕事が出来ない。後呂さんはアパート住まいなので清掃とポスティングの仕事で何とか食べている。加納さんはメトロコマースで働いた期間が4月5日就労で10年に数日足らないため、裁判で支払いが命じられた褒賞金の規定(10年継続勤務)に当たらず、その分の3万円をもらえずに悔しがった。

加納: 「4月に来てください」って言われたけど、4月1日は担当の者がいないから次の週の月曜日、4月5日から来てくれって。1日から来てたら10年(勤続)だったのに。

金額が問題なのではない。会社都合でそうなったことにモヤモヤしているのだ。

この裁判で勝ち取った中に住宅手当があるが、ひと月9200円の支給は大きい。2021年度4月から、現在雇用されている契約社員Bには支給されているとのことで、成果は上げた。特に礼も言われないそうだが。

疋田: 社会は厳しいなと。結局「分断」だよね。ちっちゃい時から「徳を積みなさい」と言われてきた。善を積み重ねて財産になる。だから私は黙ってられない。人生最後にいい経験したなと。最後までやり抜いたから。結果はあんなんだったけど。こんなおばさんたちが、私たちがここまで最高裁までやったなんて、すごいねって言われたし。

加納: それが自分のためにもなったしね。私、しなきゃよかったとは絶対思わないから。おかしいことはおかしいって言う、私たちのスローガンにもなってるけど、そのことだよね。最近ここで培ったもの、地域の活動でも生かされてるよ。私が言わなきゃいけないのかななんてこと、人より頑張っちゃったりして。言える人になっちゃったね。

彼女たちは東部労組を退会し、「女闘労倶楽部」という会を立ち上げた。月1回ほど集まって様々な問題を抱える人や仲間が話し合う場だ。「メトロレディーブルース」の上映会や講演も行っている。89回に及ぶ団交と裁判は彼女たちの力になっている。「おかしいことはおかしい」と言えば何かが変わる、と信じられるだけでも何かが変わる、とはいえないだろうか。奥歯に物が挟まってるみたいだけど、小さい声でも言ってみたい。

おおば・ひろみ

1964年東京生まれ。サブカル系アンティークショップ、レンタルレコード店共同経営や、フリーターの傍らロックバンドのボーカルも経験、92年2代目瀧廼家五朗八に入門。東京の数々の老舗ちんどん屋に派遣されて修行。96年独立。著書『チンドン――聞き書きちんどん屋物語』(バジリコ、2009)

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