特集 ●総選挙 結果と展望

男女共同代表制で立憲民主党の再生を

総選挙結果へのもう一つの分析 3分の1の壁を越え、閉塞日本の再建のために

本誌代表編集委員・日本女子大学名誉教授 住沢 博紀

1.総選挙へのマスメディアとは異なる分析

今回の総選挙はコロナ対策における自公政権の混乱、菅内閣の退陣など自民党の安定多数の維持が問われていたが、 多くのメディアの予測に反して結果は自民党は減少したものの安定多数を維持し、比例区ではむしろ票を伸ばした。 また維新が躍進し、逆に立憲民主党は109議席から96議席13議席を減らすという結果になり、枝野代表の退任表明に繋がった。直前の自民党総裁選における4人の候補者のメディアへの大露出と、自民党の「幅広さ」のキャンペーンなどが大きな影響を与えたことは疑いない。今回は事前投票が多く、自民党総裁選の影響がそのまま表れ、それがNHKなどは、メディアが出口調査でおこなった予測と食い違う結果を生んだと分析している。

この結果を受けて野党第一党の枝野立憲民主党の自民党政権への対応を批判する声や、共産党を含む野党共闘への疑問などがメディアで論じられている。しかしこの結果は、一部メディアによる「中道保守から逸脱した枝野立憲民主党」キャンペーンでいわれるほど悪くはないということをまず確認しておきたい。同時に、以下で述べる「与えられた条件」を覆すことができなかった枝野代表はやはり退任すべきである。それを受け立憲民主党は、「男女共同代表制」により新しい道を切り開くべきであるというのが本論の主たる主張である。

この選挙結果を今回の2021年選挙だけではなく民主党が政権の座を降りた2012年から過去4回の選挙分析を通してみるとそれほど意外な結果ではない。

私たちもメディアも立憲民主党と国民民主党が合同した折に、「野党の大きな塊が必要だ」という議論にあまりにもこだわりすぎたきらいがある。当事者の立憲民主党や国民民主党の議員たちも、そのような大きな塊をつくることが両党の合同の意義であると強調していた。しかし下の総選挙の表(2012‐2021)を見る限り、立憲民主党と国民民主党の合同も、決して大きな塊ではない。それは2017年選挙の特殊な事情を反映している。この場合、政党の得票数を見てみることが大事なので、比例選挙区への投票数を掲げる。

衆議院議員総選挙 2012〜2021年

2012201420172021
自民党16,624,45717,658,91618,555,71719,914,883
公明党7,116,4747,314,2366,977,7127,114,282
民主党9,628,6539,775,991
日本未来の党3,423,915
生活の党1,028,721
立憲民主党11,084,89011,492,115
希望の党9,677,524
国民民主党2,593,375
共産党3,689,1596,062,9624,404,0814,166,076
社民党1,420,7901,314,441941,3241,018,588
れいわ新選2,215,648
みんなの党5,245,586
日本維新の会12,262,2283,387,0978,050,830
維新の党8,382,699
次世代の党1,414,919
合計59,626,56654,741,35255,757,55257,465,978
投票率59.32%52.62%53.68%55.93%
▽9.96%

 

表にあるように民主党が分裂した2012年から、狭い意味での民主党への支持は1000万票から1400万票前後で変動している。この時は橋下徹と石原慎太郎が組んだ日本維新の会が、比例区では約1226万票をとっている。そしてみんなの党も、前回の選挙に引き続き500万を超える票をとっている。もう一つ注目すべきなのは自民党で、自民党は2012年には1662万票で、それからあと毎回選挙ごとに100万票ずつ増えてきているが、それでも全体から見れば1/3強で終わっている。

ここから日本の政治は、21世紀に入ってから三つの大きな流れがあると思われる。第一に自民党と公明党が結ぶ、いわば伝統保守・現状維持の政治勢力である。そしてその対極にあるのは、民主党から現在の立憲民主党に至る、よりリベラルに近い改革派のグループでこれは1/3弱である。この箱の中に、客観的には共産党や社民党も入る。そしてその中間に入るのがおそらく都市無党派中間層で、その都度みんなの党や日本維新の会など、自公政権には不満だが、かつての民主党政権を望まないという第3勢力である。この票数は非常に大きなもので、海外ではポピュリズム政党と言われているものである。

しかし前回2017年選挙では、「維新の党」の多くと民主党が合同した民進党が、さらに選挙直前に希望の党という形で再構成され、それに反発した枝野幸男ら少数の政治家が立憲民主党を立ち上げ、結果としてこの立憲民主党が野党第一党になったという特殊な経緯がある。2017年選挙では、「維新の会」などの第三勢力はいわば不透明なままであった。それが再び2021年には、日本維新の会は単に大阪だけではなく、県庁所在地の小選挙区でも候補者を擁立し、結果として比例区でも多くの票を集め、再び全国政党としてのポジションを築くことになった。

その結果、共産党との野党協力に批判的な国民民主党が、日本維新の会との連携という新しい選択肢ができ、これまで国会では潜在的であった第3勢力が顕在化しつつあるという新しい状況が生まれた。ただ強調したいのは、メディアはあまり書かないが、8議席から11議席に「微増した」国民民主党は、枝野立憲民主党より明確な敗北であることを認識すべきであろう。

これからこの三つの政治勢力がどのような形で結びつくかまだ不確定であるが、ポスト枝野の立憲民主党はそうした勢力が存在することを前提に、自らの政権構想を考えなければならない。それは政権構想だけではなくて、自らの存在意義や存続に関わってくる問題になる。そのことを前提にここで三つほどの提言をしてみたい。

まず第一に、枝野立憲民主党では行ってこなかった、あるいは行おうとしたができなかったことを、自民党総裁選と大阪という地域拠点を持つ日本維新の会から学ぶことである。

自民党が選挙直前に行った、菅首相の総裁選辞退に際して女性候補2名を含む四人の候補者を出し、テレビなどのメディアを通して大々的な「自民党の幅広さ」をアピールしたことである。総選挙直前に、民放も含めて公共的性格を持つテレビメディアが、あまりにも政権政党に加担していると批判されても仕方ないほど報道することになった。それは安倍―菅政権のマイナスイメージを上書きして、次の政権への期待感にすり替えるというプロフェショナルな選挙戦術であった。しかしそれでも2000万票の壁は突破できず、自民党の限界を示している。

これに対して、立憲民主党は枝野代表に象徴され、一つのチームとして立憲民主党の幅広い立ち位置で対抗するという事がなかった。しかも女性候補者数も限定されており、これらは中道左派政党としては大きな欠陥であった。

もう一つは日本維新の会の地域拠点の話である。大阪の小選挙区で日本維新の会は全ての自民党候補を破った。このことは自民党は特に大都市において、対抗勢力があればその基盤は非常に脆弱であることを示している。日本維新の会は、大阪府吉村知事の好感度の高い印象を最大限に活用し、全国区に比例票を伸ばした。今回は表に出なかったが、東京都の小池都知事の「都民ファースト」にも当てはまることで、コロナ禍や頻発する災害などで行政の首長の役割りやメディアへの登場は増えており、この意味で地域の行政に拠点を持つことは非常に重要になってきている。

ここで特徴的なことは、大阪の吉村知事にしても、東京の小池知事にしても、例えばコロナ禍に対して本当に成果を出しているかどうかは疑問であるが、そのイメージ作りにたけているという事である。もし立憲民主党が、イメージだけではなく、リアルに地域の生活者のための政治を提言し実行できるなら、それは大きな資産となる。この二つの他党の事例を前提に、さらに共産党を含む野党協力の「必要・緊急」性について、ポスト枝野の立憲民主党に向け提言したいと思う。

2.男女共同代表制による立憲民主党のイメージチェンジ

元気のない日本ということでいつも指摘されるのは、世界経済フォーラム、ダボス会議がだす「グローバル・ジェンダーギャップ報告」である。女性が活躍できないことや社会的地位が低いことが、日本停滞の原因の一つとされている。2020年報告書では153カ国中120位であり、大事なことはこの中で三つの項目、つまり議会の構成員、大臣、企業や大組織の幹部職やマネージャーの男女比率の項目であり、ここで女性の数が非常に低くなっている。

それを受け国会でも自民党及び立憲民主党を含む超党派の議員により、政治分野における男女共同参画推進法が2018年に施行された。男女の候補者ができるだけ均等になるように政党に求められていたが、しかし今回も候補者に占める割合は17.7%と前回の17.8%を下回っていた。女性議員が占める割合も45人の当選で全体に占める割合は9.7%で前回の41人、10.1%を下回った。(詳しくは本号の辻論文参照)

このことで思い出されるのはドイツの例である。イギリスのサッチャー首相やドイツのメルケル首相など、女性の首相として著名であるがどの国でもそうした人材はなかなかいない。それに対して共同代表制という形であれば、比較的無名の女性でもトップの位置で活躍する場所が与えられる。2017年選挙において大連立政権には参加しないという公約で選挙に臨んだ社会民主党 SPDは、 第二党として連立政権に参加せざるを得なくなった。その結果、党内は混乱をきたし、党の再建に向けて奇策とも思えるような方針を出した。つまり党首選出は、男女ペアの候補者で行い、各地の公聴会を経たのち党員全員の投票で決めるというものである。

私もいくつかの州における公聴会が配信されていたのでそれを閲覧したが、それまでの党首選挙を知っている者にとっては異例な光景であった。そして当時連立政権の財務大臣として本命視されていたショルツのペアが敗北し(今回の選挙での勝利で次期ドイツ首相の可能性が高い)、どちらかと言うと無名の国会議員と元州財務大臣のペアが左派ということもあり選出された。一体どうなるかその後の動きを危惧していたが、とにかく民主主義的な選出方法で党の総意を反映する執行部が形成されたという事で、党組織は落ち着きを取り戻した。

そして今回の選挙では、ショルツは党を挙げての支援があり、社民党は支持率を持ちなおした。他方で保守政党のキリスト教民主同盟は、候補者ラシェットへの不満も党内にあり(詳しくは本号の野田論文参照)、歴史的な敗北を被った。ここで大事なことは男女共同代表制だけではなく、その選出のプロセスの中で、幅広く党内から人材を集めて公聴会を開き、オープンな形で党員の意思を汲み取るというデモクラシーの手続きの話である。

緑の党は女性運動を含む結党の由来から、1980年代の当初から女性を含む複数代表制を実行してきた。今ではドイツでは一番左にいる左翼党も男女共同代表制であり、面白いのは極右といわれる「ドイツのための選択肢」もやはり男女共同代表制をとっていることであり、それがスタンダードになりつつある。

立憲民主党も、夫婦別姓を認めるジェンダー政策や男女雇用機会均等を大きな旗印にしている立場からいっても、男女共同代表制を導入するに十分な根拠を持っている。またそのことによって他の政党と区別化でき、「男たちの議員政党」というイメージを変えることができる。

もちろんドイツのように6組のペアの候補者が出ることは今の状況では不可能だろう。しかしもし3組ぐらいの代表候補者が男女ペアで登場し、各地でペアとして幅広い討論会を開催できれば、来年7月の参議院選挙に向けそれだけで立憲民主党の有力な武器となる。

これまで民主党から民進党そして現在に至るまで、菅・小沢対決を例外として 、代表選出選挙は国会議員の間で行われてきたので、これを機会に組織そのものをデモクラシーに変えていくという選択をすべきだと思う。これから生じる混乱は決してマイナス面だけではなく、むしろ党の独自性や親しみやすさを国民の前に示すひとつの大きな契機となる。

そして国会議員による党の中央組織の代表だけではなく、立憲民主党組織が弱い各都道府県においても、同じように男女共同代表制にするということが大事である。都道府県議会や市町村議会でも旧国民民主党の議員を中心にそれなりの数はいるので、男女共同代表制が可能なところは逐次、導入していけば、男女均等を部分的に実現していくということになる。このすべてをすぐに行うことは困難だろうが、少なくとも年度内に臨時党大会を開いて、男女共同代表制をテーマとすることは可能であろう。

なぜ男女共同代表制が大事かと言うと、立憲民主党が1150万の比例票の壁を破り、働く女性や若い世代に党のウイングを広げるためである。いつの時代でも、世の中の変化というのはそのシステムの中から排除されている人々が多く存在することにより生じる。今の日本で考えると、働く女性たち、雇用者の3分の1以上に及ぶ非正規雇用の人々、さらに当事者はあまり意識せず、就職氷河世代に比べれば今はまし、と思っている若者たち。これは国際比較をすれば歴然としていて、地球気候変動は若者世代にとってとりわけ脅威であり(未来を奪う)、多くの若者は抗議活動に参加しているが日本では発信は少ない。また就活に見られるように、社会の中で自由に発言できずむしろ自らをシステムに合わせることに苦労している。

私はたまたまエンターテイメント業界の、プロダクション組織の「おきて破り」のタレントやアーティストの排除の問題に関心を持っていて、ここ数年追跡調査をしている。8年程度の定点観測をすると、キーテレビ局、電通、大企業のC M、プロダクションを中心とする業界組織の支配と排除構造が絵を描いたようにわかる。それが日本のエンタメ業界をいわばガラパゴス化し、国際的な流れに取り残される事態を生んでいるのだが、大事なことは、この業界システムは新しい時代を作り上げるような創造力をすでに持たないが、このシステムに異議を申し立て、自立しようとするアーティストあるいは組織に対しては、これを長きにわたり排除できるほどには強いという事である。

こうした「日本権力構造の謎」はすでに1990年にオランダのジャーナリスト、ウォルフレンにより明らかにされていたが、私たちは安倍政権の時に「忖度」という言葉で、さらにコロナ禍では「自粛」という言葉で再度、出会うことになる。これは官僚制だけではなく、また政治や企業システムだけでもなく、学校・教育界、地域社会など日本社会のあらゆるところに蔓延する現代の宿痾ともいえるものである。日本の記者クラブ制度、与党や政府をあからさまに批判できないテレビなど、メディアの自由度は世界ランキングの中で落ちる一方で、中国の露骨な言論統制に比べてソフトではあるが、とても他国を批判できるものではない。人々は政治や社会に対する批判的な議論や意見を控え、自分の思う行動ができずいわば忖度してその枠内で行動するという委縮した状況に慣れてしまい、これらがひいては「日本の失われた30年」の根っこにある問題の一つである。

3.18歳の若者にも政治家に選出される権利を

2016年の参議院選挙からすでに参議院2回、衆議院2回、計4回の18歳選挙権の行使が行われ、いずれも最初の18歳では最も投票率が高く、19歳から減少しはじめ20代で最低となり、30代以後、徐々に高くなる。また一般的に若い世代は政治に無関心で、自民党支持者が他の世代に比べて多く(30代も含めて)、維新の会を改革派、共産党を最も保守派と見なすアンケート調査結果が多いという研究結果もある。また今回の衆議院選挙でも、30代、40代男性で、日本維新の会が立憲民主党よりも高い比例票を獲得したとも報道されている。これに対して立憲民主党は60代、70代の高齢者に安定した支持層をもち、これを若い世代に拡大することが課題となっている。

とりわけ10代、20代の場合は、新聞をほとんど読む習慣がないことが指摘され、特に高校生では新聞を読んだことがない生徒が圧倒的多数という報道もされている。LINEなどネットニュースで済ませる生徒が多いことが予測できるが、新聞がなければ全体を見渡して、バランスのある視点や自らの意見を形成することも難しくなる。とりわけ18歳選挙権導入と共に、「主権者教育」として高校生を対象に、都道府県や基礎自治体の議会、教育委員会、選挙管理委員会などが主体となり、模擬投票や高校生議会が企画された。

とりわけ高校生議会は自治体により多彩で多様性があり、地域の政策作りを通して地域の課題や、政治・行政の役割を体験できる場所を提供している。しかしイギリスの子ども議会や、ドイツの一部自治体の子ども議会と異なり、予算的措置を伴う政策論議や採決を行える高校生議会は日本では例外的であり、文字通り「模擬議会」で終わっている。こうした若者の政治への低い関心、低い投票率に関して、いくつかのNPOが若者によって立ち上げられている。その中でいつも指摘されることは、同世代の政治家がいなく、身近な自分事として考えることができないということである。

しかし海外に目を向けると、イギリスとEC諸国は、ほとんどが18歳で選挙権と被選挙権が与えられている。オーストリアは16歳で選挙権があり、北欧諸国では自治体選挙ではさらに低年齢化する傾向にある。要するに公民権をめぐる教育は、投票や現実の政治への参加が最大の効果を生み出すとみなされているわけである。

ひるがえって日本を見ると、18歳選挙権導入に際しても、被選挙権は衆議院25歳、参議院30歳のままである。これを2歳引き下げるべきであるという意見もあるが、EU諸国の例に従うと、選挙権と被選挙権で区別する理由はどこにもない。そうであれば日本でも、被選挙権を18歳に引き下げることが、若者世代が政治に関心を持ち、投票に加わる最大の施策という事が予想される。

国政選挙はまだ日本で無理でも、例えば基礎自治体の被選挙権が18歳に引き下げられ、大学生・高校生市議会議員などが誕生すると、大学生・高校生の政治への関心も生きたものになり、身近なところで若者も政治家や政治という世界と接点を持つことになる。そうすれば日本の政治が持つ、人々の暮らしや仕事とかけ離れた世界というイメージも払しょくされ、政治文化も変わる可能性がある。これこそ立憲民主党の立憲主義が掲げるデモクラシーの実践ではないだろうか。

4.共産党を含む野党連携は「必要・緊急」

いくつかの新聞・メディアでは、今回の総選挙での289の小選挙区に対して、いろいろな形での野党統一候補が213小選挙区で成立し、しかしそのうち3割に満たない59の選挙区でしか勝てなかったと否定的な見出しとなっている。読売、産経やこの系列のテレビ、さらには週刊新潮やビジネス系の雑誌も、「国民の共産党アレルギー論」による「立憲民主党の議席減少」論の大合唱である。よほど立憲民主党と共産党を含む野党統一候補の存在が目障りであるようだ。

しかし考えればわかるように、与党は自民党公明党の連立で候補者を出しており、野党は普通に戦えば勝ち目はない。例えば参議院選挙の一人区を見れば2013年にはいくつかの野党が一人区でも乱立し、与党29名に対して全体で2人の当選者しかいなかった。しかし2016年参議院選挙ではいくつかの一人区で野党の協定が成立して11人の当選者を生み、与党は21人に減った。また2019年も同じく10人対22人となり、もし2022年の参議院選挙で野党の選挙協力がなければ、選挙以前に敗北は必至となる。

こうした小選挙区制の導入や一人区の場合の選挙制度の下では、与党も野党も政党間の協力なしには選挙に勝つことはできず、それは誰にでもわかる自明の事である。ただ今回色々言われるのは、それが共産党と立憲民主党の、これまでとは一歩踏み込んだ政策分野も含めた協力関係であったということが挙げられている。

そのことに対して、11月3日の読売新聞の本社世論調査と称する調査結果は面白い。「立憲民主党は今後も共産党と協力して政権交代を目指すのは良いと思うか」に対して、「思うは」30%、「思わないは」57%、答えないが13%でる。しかも立憲民主党支持層に限っても、共産党との協力を良いと思わないは43%で、思うの50%に迫る水準となっていると報道している。さらにもう一問「衆議院選挙での野党の候補者一本化を評価するかしないか」では、「評価する」が44%、「評価しない」が44%、答えない13%となっている。読売新聞は、「共産党と協力して政権交代を目指すことをよいと思わない」57%を見出しに掲げているが、これは明らかにミスリードである。

 

前に掲げた政党別得票数をみると、30%の支持率はすごい数字であり、3分の1ほどの有権者が、「共産党との協力も含む政権交代」を確信的に支持しており、しかも自公与党に対抗する「野党候補の一本化」は、ほぼ半数の人が理由はいろいろあるだろうがその必要性を承認していることになる。読売新聞などは、立憲民主党を共産党との連携を巡って分裂させる意図があるかもしれないが、このことこそやはりこれから日本の政治の将来をめぐって本質的な問題になる。

日本の「失われた30年」の本質は何かというと、やはりそれは現状維持を大命題とし、現在の権力のネットワークの内部者と外部者を選別するということに帰する。ここで権力とは政治だけではなく、企業組織、マスメディア、さらには教育機関など、日本のあらゆるところに根を張っている。それは内部者の様々な利害調整をする能力に長けているが、異質なあるいは外部の組織や人間、あるいはそれを改革しようとする勢力に対しては牙をむく習性をもっている。

今回の自民党の総裁選挙においても、河野・石破陣営に対して、自民党システムとしての排除の論理が機能したように思える。しかしこのシステムが始末に負えないのは、もしいくつかのシステム欠陥が露呈した場合、当の排除した人物や組織を陣営に迎え入れ、自らの懐の深さと幅のひろさを誇示するところにある。こうしてすべての問題は、現場での調整や現場力に委ねられ(東日本大震災や福島原発事故、さらにはコロナ禍での医療機関への押しつけなど)、抜本的な問題の解決がなされないゆえに、「失われた10年」は「失われた30年」となった。

 

今、「共産党との協力も含め野党候補の一本化」が妨げられ、このすべてを飲み込むシステムへの対抗パワーが衰退するなら、さしあたっては、日本維新の会や国民民主党がこの吸引力に引き込まれ、最終的には「誰もいなくなり」、システムが盲目的に稼働する世界が現れることになる。

しかし共産党側にも課題はある。党員や活動家の高齢化による、地域活動の衰退や比例区での得票を減らしている。21世紀世界では、共産党と名乗ること自体が「世界遺産的」な価値を持つが、皮肉なことに、日本共産党が久しい前から批判してきた「中国共産党の覇権主義」が、「共産党」という名前ゆえに日本の有権者にも無用な反発心を生み出している。

何も「共産党」という名前を放棄しろと言っているのではない。実質的には社会民主主義的政策が多いとしても、21世紀に「共産主義」を名乗ることに、なんらかの歴史的な意義があると思われる。それはロシアマルクス主義、レーニン主義的な前衛党論ではなく、現在では、例えば斎藤幸平『人新世の「資本論」』で主張される、「脱成長コミュニズムが世界を救う」という文明史的な視点のコミュニズムである。

 

最後に残された問題は、連合を中心とする労働組合と政治の問題だろう。労働組合は現代では経済組織であり、政治的には政党に対して中立的な存在であると考えられている。しかしEU諸国を含め世界では多くの国々で、社会主義労働運動の歴史的な経緯や、それぞれの国のデモクラシーの在り方に従い、労働組合が政治的役割を演じることも多い。日本もその例の一つである。しかしここにきて、トヨタ労組がこうした「脱政党化」を宣言した。これから労働組合の特定政党との結びつきが議論される時代が来るだろう。

日本の権力構造を考察すると、中央省庁に代表される行政組織、大企業の企業組織、様々な経済的利益団体など大組織が圧倒的に強く市民社会や地域住民の力はまだ弱い。ここでは労働組合も大組織の一つとして、ある程度の権力バランスを保つ役割を果たしてきた。これからは労働組合にとっても、社会の中の組織としてその役割が議論されることになるだろう。

すみざわ・ひろき

1948年生まれ。京都大学法学部卒業後、フランクフルト大学で博士号取得。日本女子大学教授を経て名誉教授。本誌代表編集委員。専攻は社会民主主義論、地域政党論、生活公共論。主な著作に『グローバル化と政治のイノベーション』(編著、ミネルヴァ書房、2003)、『組合―その力を地域社会の資源へ』(編著、イマジン出版 2013年)など。

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