特集●戦後70年が問うもの Ⅰ

対談・戦後70年 希望を繋ぐ

憲法と戦後政治を語ることから見えるもの

桜美林大学教授・元朝日新聞コラムニスト 早野 透

神奈川大学名誉教授・本誌前編集委員長 橘川 俊忠

希望はどこに、憲法と戦後政治を語る早野さん(右)と橘川さん

橘川俊忠戦後70年の節目の時期にいろんな事件もあり、個人的にもお互い古希の年齢に差し掛かってきた。そろそろ後世にというか、後輩にというか、孫の世代に向かってか、何事かを伝えることを考えないといけない(笑い)。

早野 透古希だからねえ。寿命も延びているから昔の還暦60が今の70くらいの感じかな。個人の人生としてもそうだけれど、日本国民総体としての時代というのも70年で一区切りということかも知れませんね。

橘川いろんな事態が起こっており、その中で特に政治と憲法ということでいうと、どうやら大きな節目を迎えそうな流れになって来ている。自公の与党は衆院で3分の2を超えている。憲法改正賛成の国会議員も3分の2をはるかに超えちゃっている。どうやら憲法改正も掛け声だけじゃなく本格的に動きそうだという状況になった。戦後70年の節目でいったい何をどう変えようとしているのか。特に安倍政権の状況をどう見るかも大きい。

戦後70年、胸に去来するもの

早野ポーランドのシンボルスカの詩だったかなあ、“戦争から戦争まで平和な時代が続いて、私たちはそこで生きた”、というような。東ヨーロッパなんかで、いつも戦乱の中にいた諸国には、そういう思いというか言い伝えがあるらしい。今、また70年経って、たまたま安倍が総理大臣だからか、一つの時代の必然的登場かもしれないけれど、やっぱり戦争というもののにおいがするという感じがしますねえ。これまでの平和というのが、無論平和憲法によってもたらされたということもあるのだが、もうちょっと大きく人類史的にいうと、戦争から戦争までの平和だったのかもしれない。たまたま我々は戦争が終わった前後に生まれ、これからまた戦争のにおいがしているところで、おおむね現役世代を終えようとしている・・。

橘川基本的にはそうだと思うが、戦後80年があるか、100年があるか、というのは戦後というのをどう考えるかでかなり変わってくると思うんですよ。例えば明治の日露戦争100年とかね、今や第一次世界大戦100年。第一次世界大戦100年というのは、日本ではあまり大きくはなっていないけど。

早野あまり関与しなかったから。

橘川ヨーロッパではね。第一次世界大戦、第二次世界大戦を含めて、あの20年、30年間をまとめて戦後と考えなければいけない、との動きがこのところある。なぜかというと、とにかく20世紀のあの二つの世界大戦は、あまりにも巨大すぎたので、かつてのような、例えば日露戦争が終わって次の戦争があった時には、日露戦争後というのはもう意識されなくなる、というようなわけにはあの二つの大戦はいかない。亡くなった人数で言って、第一次大戦がヨーロッパで3千万位か。第二次大戦がヨーロッパ、アジア含めて6600万。だから20、30年の間に一億人が戦争で死んでいるという巨大な経験をしたわけだよね。その巨大な経験をどうやって総括するというか、そうならないようなことを考えなければいけない、というのがずっと底流にあると思う。

つまり第一次大戦後の不戦条約、これは第一次大戦の反省で出てきた。第二次大戦はそれをさらに上回るから、やっぱり不戦条約よりもっと、戦争、世界規模の戦争は起こしてはいけないという世界史的な底流が課題としてあった。しかし戦後ずっといろんな戦争があり続けて、現在だってあるわけで解決していないわけだけれど、あの二つの巨大な戦争の戦後という意識はなかなか消えないだろうね。あるいは消してはいけないんだろうと。日本の場合は、記憶しておかなければならないものを忘れさせようとする、というか忘れてしまいたい人たちが増えて来ている、というのは事実だろう。

早野第一次世界大戦は、僕なんかは「チボー家の人々」などで、あの時代の戦争前夜のいろんな政治の動き、ナショナリズムの高揚みたいなものを学んでいた。「チボー家の人々」を読みつがれている間はあの第一次世界大戦は生きているのかもしれないなあ、今、日本に生きる青年にとってもね。

第二次世界大戦はやっぱりヒットラーだな、それからアウシュビッツとして記憶されている。これらはまだ一区切りとはいけないでしょう。先日、元ドイツ大統領のワイツゼッカーがついに亡くなったが、あの人の戦後40年の有名な演説、「過去に目を閉ざす者は、現在も見えなくなる」だよね。しかしまあ第三次世界大戦には至っていない、ということですね。その間に戦争はいろいろあったし、中東だとかベトナムとか、世界戦争とは違った重大な戦争は続きましたけれどもね。殺戮戦みたいな感じでの戦争はないかなあ。

橘川ただいわゆるジェノサイド、ナチスが典型だけれど、ああいう戦争のスタイルというのをナチスが作っちゃった。その後、戦争は世界規模では展開しないけれども、地域的にはジェノサイド化しているんだよね、いろんな地域紛争が。「「イスラム国」」もまさにそうだし。いってみれば第二次世界大戦というのは、ジェノサイド的な発想のパンドラの箱を開けちゃった。その閉め方が未だにわからない。今世界で起こっている様々な紛争というのは、根っこを探していくと第二次世界大戦にどうしても行きつく。

早野そうだな、例えば日本の中国侵略でも。戦前の新聞には、満州事変から南京への侵攻なんていうのがみんな記事になっているけれど、「敵軍700人殺戮」とか、そういう見出しになっている。殺すということを堂々と天皇制国家のもとで新聞は書いているわけだなあ。そういう意味で第二次世界大戦の殺戮戦というのは、日本そのものの体験でもあるわけですよね。ヨーロッパ戦線とアジア戦線というのはやっぱり同質のものがあって、ヒットラーという積極的な戦争仕掛け人と、日本はそうじゃないというんだけれど同じことだったなあと、今日的な大きな枠組みとして、頭の中に作っておかなければならないんじゃないかと思いますね。

橘川我々は中東を遠いことのように思い、中東の今の状況は具体的にどう判断したら良いかわからないくらい複雑になっているが、その根っこはやっぱり第二次大戦および第二次大戦後の処理の仕方の中にあったわけだ。イスラエル問題から始まって。そういう歴史的な経過を無視して、残虐非道な「イスラム国」を裁くとは言っているけれど、まさに誅伐する、昔の言い方をすれば、懲らしめると。アメリカだって裁くと言っているわけだよね。侵略して領土として権益を取るというわけじゃなくて、裁くと言う。日本もそれに乗っかって、安倍は裁くと言っちゃった。

裁くというのは正に国境を越えた裁判所などの司法機構があるわけじゃないから、国境を越えてある特定の権力が相手を裁く、懲らしめるという。その論理は、日本が日中戦争を始めるときの論議でもあったわけで、「暴支膺懲」(ようちょう)のスローガンがそれ。まだずっと同じ論理の中におそらく生きているわけだよね。

戦争の臭いがする積極的平和主義は権益論

早野「「イスラム国」」の残虐非道は無論その通りなんだが、それに対するアメリカの空爆だって7千人殺害しただとか、殺害という点では、テロと戦争というのは何も道徳的に異質なものではないわけでね、そこのところが昨今、テロは無論けしからんけれども戦争はいいのかという感じもしないでもなくてねえ。つまり人間の、人類社会の、戦争から離れられないという宿痾みたいなものが依然として続いている。 その中で日本はやっぱり憲法九条があったからねえ、そういう世界の大状況とはまたちょっと違った歩みをしてきて、ともかく戦争はしない、軍隊は持たない(まあ自衛隊というのはあることはあるが)、ここはやっぱりずいぶん違った歩みをしてきたと思うね。

その成果の上に70年、しかし、ちょうどそこに安倍が登場して戦後70年の談話をこの8月15日に出すとなっている。戦後50年の村山談話では無論、侵略と植民地支配を反省しお詫びをしたというキーワードを含んでいるが、70年ではそういうキーワードは入れない、とこう言っている。少なくとも入れたくないことは国会答弁でも表明している。

何といっても総理大臣だからね、戦後70年の談話が一体どういう内容になるのか、それは日本全体の戦後認識をここで定めて、そして次の時代をどう描くか、安倍はそういうつもりだよね。だからこの内容がどうなるのかは、我々戦後70年を生きてきた人間にとっては自分たちの時代の結論みたいなものになりかねないから、ここは相当神経を尖らせなくてはいけない局面だと思うよ。

橘川まあ安倍の本音はね、日本は決して悪くなかった、東京裁判は間違っている、という話なんだろうけれども、いくらなんでもそこまでは言えない。厄介なことにアメリカも見ているわけだから。アメリカとは同盟関係を強化しないといけない、だから今度の中東歴訪でもね、あれはアメリカを睨んで、アメリカ寄りに私たちは動きますよとあそこで宣言してきちゃった。それが「イスラム国」の強烈な反発を引き起こしたことはあるが、基本的なスタンスはイスラエルと関係を強める、それからいわゆる「有志連合諸国」に対して“人道支援”とは言いながら様々な援助を行う、それを強化していくと。明らかに「有志連合」の一員として、またアメリカに対し一歩踏み込むという姿勢を示したわけだよ。

早野軍事支援はしない、と言いつつ、あの人道支援は、まさに「有志連合」としてやったわけですよ。「有志連合」にエールを送ったというよりはね。これにはやっぱり憲法九条がかぶっているから、そう簡単ではないということでしょうね。ただし、安倍の戦後70年というのは橘川さんが言ったように、俺達悪くなかったと言いたいんだが、戦後の積み重ねもあり、そうは言えない。しかし今度は「積極的平和主義」です。これが彼のキーワードですよ。

じゃあ「積極的平和主義」というのは何なんだ、というのはみんな今一つわからないけれど、少なくともここまでの70年の平和主義と「積極的平和主義」との違いは、戦争のにおいが「積極的平和主義」のなかに含んでいるということですよね。その濃度がいくらくらいかはまだよくわからないが。少なくとも、出発点の憲法九条で考えていた平和主義と、まあ何とかその枠組みを守ってきた70年とは明らかに違うところに踏み出したい、踏み出そう、という目論見でしょう。

橘川その辺は安倍がどういう表現をするか、中国、韓国、アジアとの関係、この問題をどうするのか。ロシアだってみている。そういう東アジアの局面で言えば、ロシア、朝鮮半島、それから中国、東南アジアだってそうですよね。かつて自分たちがやったのが全部正しかったとはおそらく言えないだろう。 それからアメリカはやっぱり、「自分たちは正義で勝った」と思っているわけだよね。その正義を少しでも否定するようなことは許さない。日本はそのアメリカとは連携を強めていきたい。孫崎享が言うような、あるいは白井聡が言うような永続的敗戦状況という風に捉えるかどうか。これは議論としてはちょっと大雑把すぎるな、と思うけれども。

とにかくアメリカは日本をコントロールし、ある種の縛りをかけ続けてきたことは事実だよね。それをアメリカは手放したくないわけだから、そこから離れるということもできない。とするとまあ現実的に考えたら非常に難しい表現になるだろうと思う。そこを「積極的平和主義」とか「人道支援」「邦人救出」とかいうオブラートにくるんでわけのわからない形で、まあ戦争(海外での軍事行動)のにおいをぷんぷんさせるというかね。それで実際そのために、着々と集団的自衛権の問題であるとか秘密保護法とか、外堀はどんどん埋めている。

早野そして今度は安保法制懇をやって、それに沿った形で法律化をするわけだからね。

橘川それらが最後の70年に向けての総理大臣談話で、いろいろやってきたことがきちっと一つの方向性として出していけるかっていうと楽観は禁物だが、国際的な環境からいうと安倍もそう簡単に突破はできないとも思う。

「戦後70年談話」から参院選―憲法改正の目論み

早野別の視点でみると、戦後憲法は押し付け憲法という側面は無論あるけれど、やっぱり日本国民が血を流して、逆説的だけれど勝ち取ったものなんだ。だからこそ今なお憲法改正に対しては、みんなヘジテイト(ためらう)してますよ、そりゃやっぱりね、一般国民はね。少し憲法改正をし易くしようなんていうことで、96条の改正案みたいな姑息なことを、自民党も民主党の結構良心的な人まで言っていたが国民が反対したね、これは。世論調査してみたらみんなそんなのいやだ、と言っているから。これで、何ということはなしに彼らも言わなくなっちゃったけれども。

さあそして戦後70年談話を今度はどうやって作るのかという話なんだが、安倍は有識者に相談するという。その有識者はやはり安倍シンパ中心。もう一つ、国会が関与すべきだという議論もある。安倍はもちろん国会で選んでいるわけなんだから当然国会が関与していい、という議論と、いやこれは総理大臣のいわば権限で出すんだという議論と、今両方湧き出ているわけです。

やはりこの70年談話は従来のものとは違う。安倍の方向のみならず、やっぱりここで日本がどういう自己認識を持つかというなかなか重大な問題であって、従ってね、今おっしゃったような世界的客観状況がそこにブレーキをかけるんだろうと、まあまあそれはその通りだとは思うんだが、しかし、そういう穏当なところに落ち着くんだろうというのとは違う動きになるような気がしてならないんだなあ。やっぱりこれからの日本の進路を、それこそ安倍が積極的に構えを出すというかね、それを少なくとも警戒しなくてはいけないと思うんですよ。

橘川状況的には、あと8月15日には、もう日がないですよね。十分な協議も経ないままに首相がポンと出しちゃう可能性だってあるわけですよ。その時に積極的平和主義ということで、積極的平和主義衣の下の鎧が、今度のODAの転換なんかにも見えてきていると思うが。つまり軍隊に対する支援ができるようにする。

早野非軍事の軍支援か。

橘川そう、非軍事の軍支援というわけのわからないことになった。

早野武器輸出3原則だって、装備の輸出の方に力点を置いた変更がもうすでになされているでしょう。今度の有志連合に対する人道支援だって、少なくとも「イスラム国」側の言い分からすれば、その分軍事費に回せるんだから実質同じだ。それがODAの非軍事の軍支援というのと、まあ発想は同じなんだね。ODA対象じゃなくなってしまっている。

橘川開発援助ではない、その必要がなくなった所にも出せるという。明らかに軍事支援で、睨んでいるのは南沙諸島とかベトナムやフィリピン、南シナ海。つまり対中国で明らかに政治的なわけ。

理屈は日本の国際社会における存在感を高めると、これもまた中国への対抗だ。ODAていうのは現実には援助で出したものを日本の大資本が行って結局日本に還流するような構造になっていたのを、今度は単なる企業の利益じゃなく国益として返せというための援助に位置付けが変わってきている。そうすると戦前はよく権益と言っていたが、権益論と論理的にはあまり変わらなくなってきている。

早野よく言う理屈に、昔に比べて在外邦人が世界中にたくさんいる、だから集団的自衛権も必要になったとか、そういう観点から、自衛隊を邦人救助に使うとかね。いろんな問題が全部、日本国民保護も国益というところに収斂していく形で取り扱われようとしているわけだなあ。

橘川世界に平和を作り出す積極的活動とは、無償の活動という性格じゃなければ、本当の意味での平和なんて来ないだろうけれど、有償なんだよね。だから結局、積極的平和主義というのは国益確保、つまり権益確保とほとんど変わらない。

早野戦後の援助政策はやっぱり戦争被害へのお詫びという面もあったよね。中国や東南アジアに対してそうですよね。まあそこがもうはっきり変質してきた。もちろん途中で経済利益というプロセスも経て、今や国益と直結するODAということに相成るわけですな。

話を進めると。安倍は戦後70年に積極的平和主義なる、いま語られたようなものを含んだ一つのマニフェストを出して、その後9月に自民党総裁選があるわけですよ。対抗馬が出るのかどうか。下手をすりゃ無投票で再選だ。衆議院の任期は4年延ばした。そして自民党総裁、つまり総理大臣の資格も3年延ばして、2018年までが安倍の掌握した年月なんですよね。その間に、来年2016年に参議院選挙がある。で参議院選挙でやっぱりこの安倍路線で勝負する。勝負して改憲派3分の2を確保したうえで参議院選挙後の憲法改正手続きということだろう。安倍自身がしゃやべっている。

その「戦後70年談話」というところから憲法改正まで、もう安倍の頭の中にはシナリオはできているわけですよ。あとは安倍自身も言っているけれど、国民と共に考えていかなくちゃいけない。第一次安倍政権で失敗したのは性急に過ぎたからである、というようなことで多少は歩幅を緩めながら、しかしそこまでは行くぞ、とこういうことですよね。

橘川自民党の総裁は3選禁止?

早野3選は無いということになっている。ただ党の規則なんか融通無碍ですよ。産経新聞など、場合によっては3選で東京オリンピック2020年まで安倍、の大見出し立てている。

ただし、そこは保証の限りじゃないから2選―2018年までを目途に安倍ならではの日本の方向性を作っていこう、ということでしょう。で、やっぱり馬鹿にならないのは、今度の「イスラム国」の騒ぎでもさ、安倍の支持率は上がっているわけだよね、4%か5%。

橘川まあ、支持率もそんなに驚くほどの急上昇ではない。そこらへんにまだ多少の常識が働いているのかなとは思った。

早野これで10%も上がったら、日本国民どうなってるのとぞっとするけれど。アベノミクスが思うようにならないとか、いろんなことが絡んでくるが、しかし安倍としては必死に下支えしながら、自分の目指すべき国家論、国家観を実現しようとしている、その構図は彼の中で揺るがないんじゃないの。

橘川確信犯だものね。今度の70年談話というのは極めて注目する必要がある。戦後のそういう動きにブレーキをかけ続けてきた憲法という問題を、少しまた話をしたい。

押しつけとは言えぬ現行憲法成立の史実と内容

橘川今憲法改正の議論の中で、押し付け憲法だから改正しろ、という非常に荒っぽい議論が蔓延している。

早野蔓延というか、ずっとあったわけだね。

橘川昔からあるが、更にこのところ、櫻井よしこなんかが広めている。占領下であって押し付があったことは事実だけれど、しかしマッカーサーの素案ができる経過の問題が一つあるが、出た後に日本政府がマッカーサーの原案をもとに日本政府案を作っているわけ。その政府案がGHQといろいろあって、修正が加わって、国会に上程されて、国会の中でさらに議論になって、今の憲法が出来上がったわけだよね。その過程を考える必要がある。

その時もうすでに新しい選挙法に基づく選挙がおこなわれていて、改正の手続きだから、手続き論的に言えば占領下であったとしても改正ということに関する手続き的な正当性は、必ずしも100%では無いにせよ、少なくとも5割以上はあったことを考えると、単に押し付けとは言えない。

内容的に言っても、第一条なんかが典型だ。第一条は非常に面白い。一番の基本は国民主権が入ったということだね。国民主権を入れるか入れないかは大問題なわけだ。第一条に国民主権が入ってないと、実は憲法の本文上はどこにも国民主権が書いてないことになる。前文にはあるけれど。まあ、最終的に、前文とセットで入れたんだけれどもね。

早野第一条というのは天皇の規定だねえ。

橘川天皇の規定以外に「国民主権」という言葉は一つも入ってないんですよ。

早野要するに今の憲法には第一条を除いては「国民主権」という言葉が入ってない。

橘川第一条は天皇に関する規定であると同時に、国民主権に関する規定でもある。

早野それはそれで良いんじゃないの?

橘川良いんだが、問題は、実は日本政府が国会に提出する政府原案にはずっと「国民主権」を入れてないんだよ。最終的にGHQとのやり取りもあり、国会の中であの当時の自由党が決断した。自由党が決断して、「国民主権」を入れることになった。文言として。

早野そういう経過だったのか、なるほど。

橘川そう。別にあの頃の革新側ではなく自由党が最終的に決断して、入れましょうとなった。第九条に関しても、最初のマッカーサー原案の英文というのは、不戦条約の焼き直しみたいな、ある意味では簡単なものですよ。それにいろんな修飾語を入れて今の条文にしていったのは、日本の国会の審議の中で、それも保守系の議員が中心になってやったんだよ、事実は。あるいは人権の規定の場合でもね、日本政府案は全部一旦、権利の主体は日本国民にしてあった。

ところがいろいろ国会の審議の中で、日本国民というのは外されて、人の権利とか、何人もとか、要するに国籍を問わず人間としての権利という部分と、日本国民の権利というのが混在している。最初は日本政府案では、全部日本国民にしていた。これも国会の審議の中で、外していったわけですよ。さらに、今の我々にとっても大事なのは、生存権の問題。生存権の規定は日本独自の案で、マッカーサーの案のどこにも無かった。

早野25条の生存権ですね。健康で文化的な最低限度の生活を営む権利。社会福祉の根拠法になっているわけだ。

橘川これは憲法解釈で具体的な訴訟上の根拠にはならない、とはいっても、あれを根拠に生活保護にせよさまざまな立法が行われ、我々の生活を守っているわけだ。

早野朝日訴訟なんかがあった。最終的には負けましたが。

橘川要するに憲法を根拠にして請求権はないと。まあ請求権が発生するかどうかという法律的問題は別にして、制度を作らせたのは25条があるからでしょう。それが今の我々の年金だとか、健康保険だとか様々なことの基礎にあるわけで、これが戦後ずっと現行憲法が支えてきた。自分たちの生活がどうやって成り立っているかということの根底に憲法があるってことを、憲法を守ると言っている人はもうちょっと具体的に言う必要がある。

早野憲法は九条だけじゃないぞ、と。

橘川それをまあ、成立過程の問題も含めて、やっぱりもっと歴史を客観的に具体的に認識する必要があって、それを端折っといて一般的な印象論として「押し付けだ」とか「占領下だ」とか、そういう荒っぽい議論では全くダメだね。

早野ちょっと繰り返しの確認になるけれど、アメリカがマッカーサー草案を提示したでしょう。草案を受け取った側の日本政府で政府案を作った、というわけですね。その政府案が国会にかけられて議論になった、そして可決された。共産党と若干名が反対しただけでしたよね。今おっしゃったのは、その間の議論ですね。一つは国民主権を入れたということ、もう一つは九条の内容の豊富化だな。それと25条。この3つだな。

橘川まあ、大きく言えばね。

早野そのプロセスは決して「押し付けられた」というような形のものではないと。一番肝心なところが、日本のいわば自主的な政治意志だと、こういうわけですね。それはもう少し宣伝してほしいなあ。

橘川まあ、書いているんだけれどね(笑い)。

佐藤栄作、田中角栄も改憲派ではなかった

早野さて憲法で話しますと、一つは、この憲法制定段階での押し付けか押し付けでないかという議論。それは決して押し付けとは言えないという今の話。もう一つ大切なのは、自民党がどうであったか。日本が一定の国力を持ってきたころの歴代自民党のうち、やっぱり佐藤栄作ですよね。これは就任直後の記者会見で、「私が首相になると(岸信介の弟だから)、憲法改正を提案すると見る人があるが、簡単な問題ではない。新憲法の精神は現在国民の血となり肉となっている」というようなことを言っているわけです。

それから、佐藤の後の田中角栄もまた「押し付けという話もあるが、憲法は日本国民の叡智によってすべて消化され定着した」と、こういう発言をして、田中角栄なんか政権を取る時の政権要綱での中に「憲法九条を守る」ということと、それから「日米安保条約は維持する」という言葉を入れている。堅持じゃないんだよ(堅持と言ったのは後の村山富市なんだ)。

というくらい、あの自民党の佐藤から田中というのは、自民党が陰りが出てくる直前ですよね。まあ佐藤政権というのは戦後自民党の絶頂期なところであって、それ以後は混乱期も含んだ自民党になってくるが、そうした佐藤と田中角栄の認識というのは、やっぱりエポックであって、そこでは押し付け憲法論はもう歴史化されたはずなんだよな。

橘川そうそう。

早野少なくとも自民党の主軸のところでは。だから後は、改憲派の中曽根なんかは、やっぱり戦後のマック憲法けしからんみたいな、中曽根も本当は最初、今の憲法は良い、と言っていたんだよね。

橘川ああ、そうなんだ(笑い)。

早野そう。すぐコロッと変わったんだけれど。というようにまさに戦前のイデオロギーを引きずっていた連中が、あとはずうっと歴史の脇の方で生息して生きていたわけだけれど、やっぱり、小泉、安倍だなあ、改憲論の復活は。ただし小泉は、さほど憲法改正論者じゃないですよ。

そういう中で自民党が改憲案を作る。戦後60年の小泉政権の時に自民党改憲案なるものを作った。そのあと、野党自民党の谷垣総裁の時に、もう一つ次の案が出てきて、この時に例えば天皇を元首にするとか、国家イデオロギーがもう一つ強まるような形での提案をしている。谷垣という男のキャラクターはリベラルであり、穏やかであり、政治というのは何なのかと聞いたら、「自分は無だ」と。「政治というのは何か具合の悪いところを修正して直していく」というんだよな。

橘川彼は中国思想の道教を学んでいる。

早野それで、これが政治であるというのを基本的に持っている。これはね、宏池会の伝統でもあるんですよ。大平なんかも、「一利を起こすよりは一害を無くすにしかず」という、政治というのはそういうもんだ、と言って来ているから、積極的平和主義で一丁やるか、というような発想は全くないんだ。しかし自民党の変遷の中で、総裁として改憲案にハンコを押しているわけだよな。

結局はそういう良心派も時代の流れの中で、まあこの程度はしょうがないかと、言葉だけだから言ってみようかとか、まあ本当に憲法を改正するかということになればそう簡単でもないから、とりあえずイデオロギーとしては出しておいてもいいじゃないかとか、その辺りが自民党の中のリベラル派のいわば諦めというか危機感の喪失というか、そんなところで安倍の天下になっている。これはやっぱり困る。それで民主党の岡田が「民主党は言ってみれば自民党の宏池会である」なんて言っているんだから、せいぜい岡田には頑張ってほしいけれどもね。

橘川ただまあ、民主党の中にも改憲派は相当いるわけでね。

早野それと維新があるからな。今は改憲派の方がはるかに多いですよ。

橘川だから国会議員の8割が賛成か。まあ、いろんな改憲論もあるから、公明党だって、環境権を入れろとか。

早野だから安倍も迂回作戦でね、最初はみんなに賛成が得られるものから入って、9条からいきなり入らない、というのはほとんど基本方針になっていますね。手続きの緩和とか環境権とか。

橘川環境権はね、さっきの健康で文化的な生活の条文で十分ですよ。

早野十分だし、環境庁だって環境省になって堂々とやっている。いまさら憲法を改正するほどの問題ではないが、そのへんから少し憲法改正に慣れさせておこう、でしょう。

橘川改正論議はあったって良いと思うんだよね。中身の問題であってね。まあ、護憲ということになると常にゼロサムなわけだよな。つまり、いっさい手をつけちゃいけない、と。政治状況としては、ちょっとどこか手をつけたら蟻の一穴でドドッと行くんじゃないか、という心配はあることはあるけれど。

早野そう、その心配でしょ。

橘川それはあるが、原則的に言えば憲法というのは単なる一つの制度の枠組みにすぎないから、非常に大事な制度の枠組みだけれど、変ったって別に良いんだとは思う。

早野あなたはそういうふうに考える。

橘川僕はね。

早野ぼくはやっぱり考えられないなあ。僕なんか新聞記者だからさあ、学理の基本というよりは、やっぱり時代状況の中で見通しのつく範囲で物事を判断していく。一応見渡せる範囲で物事を考えていく。とりあえずこれは断固反対しておかなければヤバい、と思いますけれどね。だからまあ、70年近く生きてきて自分の選択としては、憲法改正だけは重大な一線として阻むという方に与するがなあ。

橘川勿論、阻むという方に与するんだけれど、論理の問題としてさあ。

早野その論理を言うとさあ。

橘川敵に塩を送ることになってしまう。

早野というふうに僕なんか思ってしまうんだなあ。そこが難しいところ。

橘川だから、憲法とは何ぞやの議論がもうちょっと深まるためには、戦後本当は自覚的に憲法を選んだという論を立てるとすれば、それは常に自覚的に憲法を選び続けなければいけない。

早野なるほど。ドイツになれ、ということだな。しかしドイツと日本の出発点は、やっぱり憲法九条があるか無いかだ。日本の平和国家としての選択というのが、日本の歴史の中でどの程度大きいものなのか、ということだよな。まあ憲法改正と言ったって構わないけれど要は、問題は九条なわけであって、憲法改正派はそこがターゲットなんだから。

天皇の「満州事変に始まるこの戦争の歴史・・」発言

早野原則論を言っているうちに寄り切られちゃうこともある。そこで思うのは天皇ですよ。天皇はいま最大の護憲論者じゃないかと思う。もちろん彼が即位した時も憲法を守るということを宣言して即位したし、そして今年の新年のご感想だなあ。「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」と語ったんだよ。満州事変に始まるこの戦争とは15年戦争のことでしょう。15年戦争というのはイデオロギーのある言葉なの?

橘川15年戦争論というのは最初は家永三郎が言い始めたんだ。

早野そうなんだ。

橘川要するに1941年以来の戦争を日本人は太平洋戦争と思っているけれど、実はもう満州事変からつながっているんだ、これは一連の戦争として自覚すべきだという議論を、まあ家永さんが一番早いかなあ。

早野じゃあ、今の天皇は家永理論だよな、言ってみれば。

橘川そう、それを右派は、それは東京裁判の論理だと。東京裁判で戦犯の容疑事実として考えられているのは満州事変からなんだ。だからこれは東京裁判の論理を言っているんだ。東京裁判は勝者の偽物の裁きだという理屈だから、15年戦争というのは右派からみれば絶対に認めたくない。安倍なんかは絶対に認めたくない。それを天皇が言ったということは極めて大きな意味がある。

早野そうなんだよな。天皇発言はもっとしっかり「今」、考えるべき時だと。「今」というのが入っているんだよ。総理大臣をけなすわけじゃないが、やっぱり天皇がいろいろ心配はしている、ということでしょう。憲法第一条に規定されている人の発言というのは、やっぱり注目すべきものではあるな。天皇がこうおっしゃるからじゃあそうしよう、というのはこれまたダメだけれどもね。それは分かりきった話ですが。

橘川天皇の今の発言にもいろいろ評価はあると思う。つまり、天皇が政治的発言をしてはいけない、という議論もある。今言ったように満州事変以来の、という一言は極めて政治的な意味を持つとすると、そういうのを果たして政治的な発言だと法学的、形式論的に言って、そういう発言はだめだというのかどうかは結構厄介な問題になると思う。ただ歴史的な事実の認識としては正しい認識なわけで、天皇は正しい認識をもって行動している。少なくとも安倍とか安倍周辺の有識者よりもはるかに深く歴史を理解しているという評価はしていいだろう。

早野やっぱりあの発言はけしからんとは言えないでしょう、言いにくいだろうなあ、右の方の人たちは。あるいは天皇家の先祖の話でも、韓国人との婚姻関係があったとか、天皇がそういうことを言うというのは、歴史的な資料としてそうなんだけれども、今まで右の方が目をつむってきたことを、率直に言えばよく考えているしよく勉強している。

橘川右の人は常にそういう矛盾に悩まされるわけだ。天皇の人間としての意思と、自分たちの思惑とは必ずずれるわけで。そりゃ2・26だってそうだからね。青年将校の思惑と昭和天皇自身の思いとは全く違っちゃったわけだから。

早野天皇のあの時の檄はねえ、「お前たちは反乱兵である。原隊に戻れ。そうでなければ討伐するぞ」とこういう趣旨の天皇発言で、ビラになって収拾したわけですからねえ。

自由、平等、平和の主体化は永遠の革命

橘川いわゆる戦後の出発点の一つはポツダム宣言だけれど、もう一つは、それを受け入れた「終戦の詔書」。その論理というのは、まさに世界の大勢利あらずだから仕方なしに受け入れたんであって、大勢利あらずだけれども最終的には国体を護持しえて、なんだよ。終戦の詔書には、私は悪いことをしました、とは一言も書いてない。意図はよかったが大勢利あらず。敵は残虐なる爆弾を使用した。わが国だけではなく人類が滅んじゃうから、万やむを得ず耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで、国体を護持しえたから止めますよ、というのが戦後のもう一つの出発点。天皇の言葉として宣言した。

だから戦後の出発点というのはポツダム宣言の、日本は軍国主義であってこれから民主化しないといけない、これを受け入れたという側面と、決して悪くなかったんだ、大勢に流されているだけだという、この二つから出発していてね。その二つの競い合いというのは未だに実は決着がついていない。

早野そうだねえ。だから基本的には国体護持派がずっとそれなりに形を変えて未だにあるということですよね。もう一つは、マッカーサー憲法が上から落っこちてきたようなことが起きた。

しかし我々の先生である丸山眞男さんの、「超国家主義の論理と心理」は1946年の5月の論文で憲法はまだできていない時だよね。その時に彼は日本の民主主義というのかな、国民が主体を取り戻したのが8月15日だと、8月15日の意義についての戦後民主主義の一番出発点となる論文を書いているわけだ。そして朝日新聞が書評でベタ記事で取り上げて、これがもう、一つの日本の戦後民主主義の出発点になっているわけでしょう。

だから終戦詔書でも無い、押し付け憲法でも無い、まさに自分たちの頭脳で、あの時32歳の丸山眞男の頭脳が日本国民を代表してくれたんだと思うけれどもね、そこで作り上げていった民主主義の歩みというのは完全独自なわけですよね。何も押し付け憲法があったから、そういうことを考えたわけじゃなくて、だから戦後の選択というのは、やっぱり自分たちで選び取ったものと言うべきだなあ。

橘川草案というか憲法案の段階でいえば、高野岩三郎や鈴木安蔵とかの憲法研究会というのがあって、それを実は相当GHQが参考にしているわけですよ。どの程度かというと実はGHQの起草にあたった人たちは殆ど語らないままに死んじゃったわけだ。

早野ケーディスなんかもほとんど語らなかった。

橘川少なくとも憲法研究会とか、大正デモクラシーにつながる、自らの主体的な問題として民主主義をどうやって作っていくか、という流れがあった。つまりポツダム宣言は押し付けられたもの、詔書は居直ったもの、その間に実はそこに主体的に戦後民主主義に取り組んだ流れがあった。それがあったが故に戦後というのはいわば民主主義の方向に大きく動いた。自由党などの保守政治家の中にもその動きに合流していく動きがあった。さっき言ったが憲法を制定する時だって、国民主権を入れたのは自由党なんだ、ということを忘れてはいけない。

早野言ってみれば国民主流になっていった。だから丸山眞男という名前はいまだに残っているのはそれ故であって、それがいわば国民化していったというふうに見るべきだなあ。未だに憲法改正は消極的な方が多いのは、その当時の平和と民主主義という路線が、まあ陳腐というか、嵐の中でボロボロになっちゃった旗みたいな感じもしないでもないが、あえて平和と民主主義ということを、もう一度よみがえらせなくてはいけない。その源流はやっぱり日本国民自身が持っていたという位置づけをもう一度しなくてはいけないな。

橘川もちろん、戦後史をトータルに研究したわけではないので、まあこれは一つの角度から見たという話。戦後補償とか、アジアとの関係の問題とか、いろいろ考えると、日本が今言ったように、戦後民主主義を実現するために主体的に国民へ広がっていったとばかりは言えない部分がもちろんある。あるが故にまだヘイトスピーチみたいなやつが出てきてしまう。矛盾もある。

しかし基本的には、何を70年の中から受け継いで次の世代に我々は渡さなきゃならないか、と言ったらやはり民主主義。あるいは、僕流に言わせると、つまり民主主義というのも国家の一つのシステム、制度として考えると、その意味では民主主義というのはやっぱり十分ではない。民主主義というのはもっと主体的に、丸山さんが“永遠の民主革命だ”とか言ったように、自由、平等というものを自分の中に主体化するという永遠の課題が実はあるわけでね。

その点では確かに今までも不足していた。その方向への目玉がないのかというと、実は、よく言われるボランティアだとか市民運動とかいうことになるんだが。もうちょっと意識の面でいうと、やっぱり一人ひとりの人間の命は重い、という共通感覚。これは、その上に成り立っている上部構造のイデオロギー的な、政治的な判断というのはいろいろ分かれるにしても、結構太い根っこを持っているんじゃないか、右にせよ左にせよ。何せわれわれが教わったのは、「人の命は地球よりも重い」だった。

その余韻が今でも、後藤さんや湯川さんの事件でも、人命尊重第一と。あの国家主義者の安倍だって口では言わざるを得ない。国民が正にそれを要求しているからだ。そういうふうに言わざるを得ないような、国民の中の根っこのところで幅広い意識というのは育ってきている。それをこれからどうやって伸ばしていくか。だから決して希望が無いわけじゃない。

早野そうです、そうです。みんなが大勢順応で日の丸万歳、というわけじゃないわけであってね。

橘川むしろ政治家の方がなんてダメなんだろうと思うね。

人間の命や暮らしに立脚した路線に希望を繋ぐ

早野ぼくはやっぱり小田実という人を忘れてはいけないような気がする。あの「べ平連」を作った時のあの趣意書、“その辺のおじちゃん、おばちゃんたち、サラリーマンもいる、商店の人たちもいる、受験勉強をしている学生もいる、そして小説を書く男もいる”というような書き出しで、みんなその暮らしは違うし、考え方も違うかもしれないけれど、みんなの思いはただ一つ、ベトナムに平和を、とこういう行動様式で作っていった。やっぱり思想と行動が暑苦しいくらいそのなかに結びあっていたのは、小田実という人物だよね。

後に阪神淡路大震災の被災者補償の問題で300万円勝ち取っていく。これが人間の国か、被災者の家が壊れても自己責任だって、そりゃないだろうと。最初は国会議員も数人くらいしか賛同しなかったところから始めて、そしてついに実現した。

それが3・11の東日本大震災の時に、どれだけ基盤として役に立っているのか。単なる生活援助というだけでなくて、そうした災害時の思想として、日本の中に築かれてきたわけじゃないですか。

結局、自分たちの家が焼けたり壊滅して更地になっちゃうのは戦争と災害なわけです。その更地になった所からまた人間社会を組み立てていかなくちゃならない。単なる国家制度としての民主主義ではなくて、やっぱり民主主義という名ではやや不足な人間主義みたいな、そこに立脚した、そちらから照らし出した国家像を作っていかなくてはいけない。まあ、あなたの意見と同じことを別の言い方をしただけですが。

だから3・11の時もそうだけど、阪神の時のこういう話があるんだなあ。リュックサックに35キロの食料を詰めて、高速道路をとにかく神戸に向かって歩いていた若い男がいた、とかね。それがまた3・11の時に思い出されて、私たちもそうしようと、みんなの気持ちがそういうふうにつながっていった。そういう気持ちになっていったということが、本来の人間社会の一番の出発点になっているべきであって、積極的平和主義というのはそういうのとはちょっと違うような気がする。

橘川阪神淡路大震災の時、いろんな復興過程に起こっていった問題が、十分とは言えないが今度の3・11の東日本大震災の時に物凄く活かされている。例えば復興住宅の作り方とか、入居の仕方とか何年居られるかとか、あの時に土台ができたのが相当広がっている。その時に広めていった努力は、はっきり言って政治家はほとんどやっていない。

政治家は予算を付けてやればいいでしょう。予算を付けたのは良いけれど相変わらず官僚の文書主義があって、市役所なんかでやろうと思うと膨大な計画書を出せと。そしてお金を出すか出さないか、となり、なかなか復興が進まない。政治とか行政の方がむしろ障害を与えているわけですよ。

実際にボランティアに行っている人たち、そこに住んでいる人たちの意識の持ち方というのは、阪神淡路の時から比べると明らかに上昇している。そこに実は希望がある。その基礎は人間だ。人間の生存そのものを出発点として、政治だとか経済だとかを考える目玉というのがね、段々育ってきているし、それをいかに大きくしていくか。それが、たぶん希望が繋がるということだと思う。

この問題は実は戦争被害の救済の問題にも波及してくる。東京大空襲の被害者はどうするんだ、原爆の場合ももちろんだけれど。原爆だって年金その他の補償は全く無いわけで、財産的な補償も無い。医療サービスの無償提供だけだからね。これもずっと前から「年金出せ」という運動があるが、政府はこれを一度認めちゃうとあらゆる空襲の被害者へ補償しなければならない。膨大なものになるからできない、というのが政府の本音ですよ。

だけど、阪神淡路、それから3・11、それは自然災害だからやるんですかと、戦争と自然災害とはどこに区別があるんですかと、原理として何ですか、と。むしろ戦災の方が人為的で、国が面倒を見なくちゃいけないのではないか。命令されてやったことに対してなにも責任を取っていない。自然災害でやられたことに補償するなら、国家に命令されてやったことに対して、軍人だけが年金をもらって、空襲の被害者が一切もらえないというのはおかしいじゃないかと広がっていくわけです。

そういう意味で戦後の問題は未だに未解決なんだ。政策論としてどうかという問題は別にして論理的にはだよ。

現在の問題を考えていけば、戦後の問題にずっとつながっていって、歴史をもっときっちり見ようという観点がそこから出てくる。だから歴史の勉強を年表的に、いつからとか、戦争は悲惨だった、あの時の映像はこうだった、とそれも大事だが、実をいうと今の問題から繋がってあるんだよ、ということを示した方がはるかに歴史認識の意識が高まるわけですよ。

早野それはそのとおりだな。同じ思いですね。やっぱり戦後70年のこれからの進路は、安倍の考えている戦後70年談話ではなくて、あえて言えば国家よりも、人間の命とか暮らしとか、そこにやはり立脚点を置いた、そういう路線に希望を繋ぐ、希望を繋ぎたいということじゃないかなあ。古希を迎える二人が語りうるとすれば。

はやの・とおる

1945年生まれ。68年東京大学法学部卒業、朝日新聞社入社。新潟支局、政治部次長などを経て編集委員・コラムニスト。2010年より桜美林大学教授。著書に『政治家の本棚』(朝日新聞社)、『日本政治の決算』(講談社現代新書)、『政権ラプソディー』(七ツ森書館)、『田中角栄-戦後日本の悲しき自画像』(中公新書)など。現在、朝日新聞デジタルに「新ポリティカにっぽん」を連載中(月2回)。ネットテレビ「デモクラTV」よびかけ人。

きつかわ・としただ

1945年北京生まれ。東京大学法学部卒業。現代の理論編集部を経て神奈川大学教授、日本常民文化研究所長などを歴任、昨年4月より名誉教授。前現代の理論編集委員長。著作に、『近代批判の思想』(論争社)、『芦東山日記』(平凡社)、『歴史解読の視座』(御茶ノ水書房、共著)、『柳田国男における国家の問題』(神奈川法学)、『終わりなき戦後を問う』(明石書店)など。。

特集・戦後70年が問うもの Ⅰ

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