特集●終わりなき戦後を問う

次の時代の政治に求められる思考とは 

“人間の顔をした政治”こそが大切です

語る人・衆議院議員(小児科医) 阿部 とも子

安倍政権とはどうかと考えたときに、たとえば筒状のものを横から水平に切ってみるのと、斜めに切ってみるのとでは違う断面が見えてきます。国会では昨年1月から9月までの安保論議があり、国会の外ではシールズやママの会、あるいはオールズがいて、「民主主義ってなんだ」という声をあげ続けるなか、議員としてのわたしはその渦中にいました。この時代になにが起きているのか。日本を外から見てみる必要があるのかもしれません。

私の世代が体験した学生運動も、パリで5月革命が起き、世界が価値観の転換を図っていたときにたまたま日本でその影響を受けていたという面もありました。

いまの日本を外から見てみる

パリでの同時多発テロ、それに続くフランス、アメリカ、ロシアによる報復のシリア空爆、ヨーロッパも揺らいでいるなかで、安全保障を担うNATOは今をどう見ているのか。昨年の暮れ、事務局の人にお話を聞く機会を得ましたので、次の通常国会を前に外から日本を見なおしてみようと思って話を聞いてきました。

そこで強く思ったことがあります。人間であることをとり戻す、五感をとり戻すことが今最も必要ではないか。となりの人にはふつうの暮らしがあって子どもがいる、それに共感を示すという、これまで人間にとって当たり前としてきた感覚が、ネット社会になって大きく変わろうとしているからです。

人間の顔をした政治こそ大切と ― 阿部とも子さん

たとえば「アラブの春」もネットで拡大していった運動でもあります。経験しないバーチャルな世界で嵐に巻き込まれていったともいえます。同じように今回ベルギーに育った若者がいまの世界への不満、格差への怒りをかかえてイスラム国に吸い込まれて暴発していった。それに対して従来の「国家」がどう対処していくか。空爆を実行しても矛盾が解消しているわけではない。そうした若者が次々に生まれかねない、むしろ拡大させているだけであることに各国が真剣に悩んでいることがわかりました。そういう状況と、安倍政権がいうところの尖閣諸島が危ない云々ということのあいだにはずいぶん大きなずれがある。

ヨーロッパの危機意識にくらべてリアルな感覚が乏しく、単に煽っているだけではないのか。ヨーロッパは中東アフリカのテロに自分たちも吸い込まれているという強い危機感を持っている。アフガニスタンやイラクでの戦争を経てのシリアへの空爆です。しかしテロの未然防止のために各国内で格差の是正をする、あるいは難民等への民生支援をするなど、何かをしないとならない、このままでは打開しないという感覚をリアルに持っている。

それに比べれば、日本の安全保障論議は解釈論に走ってしまった面があって、人びとが皮膚感覚で感じている不安とはすれちがっていたのではないか。シリアから逃げている人たちはたとえばそれなりの技術者だったり、ちょっと前まではふつうに家族と暮らしていた人たちですが、その日常が一挙に奪われた。

そういう逼迫した危機感が日本の論議には欠けていて観念的だったように思います。もっといえば人間は一度だけ生まれて一度だけ死ぬ。生まれる場面と死ぬ場面はものすごく重要です。現在の日本でおぎゃーと生まれる瞬間を待ち望まれる子どもがいる一方でゴミ箱に捨てられてしまう子どもが他方にいるという現実があります。もう一つの死の場面でも、直葬が増えて、遺体をただ焼くだけで墓所にいれてしまう、お別れがほとんどない、その人が生きてきたたくさんのかかわりがブツッと切られてしまうようなことが増えている。生も死も実感が薄れていく背景には貧困の拡大や人間関係の希薄さがあります。

実は暴力の象徴ともいえるイスラム国のテロと日本の社会が崩壊していく場面が同じ時代の表裏の関係のように見えてきます。人間とは何か、なんで人間なのか。そこが一番問われているのではないか。だれでもその問いに答えを出せるはずだし、出さなければこの時代を乗りこえられないのではないかと思っています。

近代日本では、明治維新があり、富国強兵で上り詰めて第2次世界大戦へと向かい、アジアの人たちを殺し、日本人も大量の死を経験した。敗戦後、高度経済成長の方向に走って、軍事を忘れたと同時に「死」を忘れた。その死が押し寄せるようにやってきたのが、東日本大震災であり、原発事故でした。あのときわたしたちは、明治維新、敗戦につぐ第3の転換点に立ったのではないでしょうか。

否応なく押し付けられる死に対するふるまい、別れ方が問われてくる。それを境に価値観が変わってきているはずです。きのうまでいっしょにいた家族が津波でさらわれていって、おまけに放射能が降りそそいで行方不明の人たちの捜索すらできなかった。こんなに経済成長した社会でそんな事態を経験するとは誰も思っていなかった。空爆されているシリアの人たちも同じではないでしょうか。平凡な暮らしを営んでいたところに空から爆弾が降ってきて流浪の民になって、それでも生きていかなければならない。

発端は安保法制論議かもしれないけれども、一連につながる時代状況ではないか。それが大きく変わってきているという認識を持つことが必要だというところがまず大きな問題意識です。

人をモノとしてしかみていない政権

「一億総活躍」と安倍首相は言いだしました。ところが「一億」とつくものにろくなものはありません。総懺悔、総中流……。人間がただの駒や粒になって個性をなくしてすり減らされるだけです。個性を殺してマスに変えてしまわないとできないこと。安倍首相の国家観や戦争をどう見ているかをみると、かたまりとして死ぬべき兵隊と、司令官として「死ね」と命令できる人がいると考えている。一人ひとりが生き生きと生きるというイメージはありません。

いまは一人ひとりが生き死ににどう直面するかという課題を抱えている時代です。けれども、そこをふわっとかすめ取ってしまうネットというバーチャルな世界、虚像がつくられていて、そこに個人が吸いこまれている。それに抵抗する人たちももちろんいますが、ネットの力はものすごく強くてややもすると負けてしまう。自分の真下に人がいてそこに爆弾を落とすと心は痛む。でも、無人機やドローンならもっとゲーム感覚でできる。

「活躍」という外からの評価よりも、譲りがたい私としてありのままに生きることができる社会が求められている。いま文明として大事なことは安倍首相の考えの対極ではないでしょうか。

12月23日の天皇の会見を見ていました。昭和天皇が戦後の米軍占領が終わるときに沖縄を切り離した。冷戦構造のなかで日本の国体を護るための判断だったかもしれない。そのことを、子である今の天皇は自分の一生をかけて償おうとしているのではないでしょうか。

象徴天皇としてどう生きていくのか。「平和憲法の下の象徴天皇としての役割」について毎日のように自問自答されているのではないか。 一人の人間としての姿を私たちに見せて、親の世代の負債を子である自分が背負っていくことの大切さを国民に伝えようとしているのではないかと思います。

制度としての天皇制にいろいろな議論があることはもちろん知っていますが、いまこの時代に人間としての根っこのところが浮いてしまっているなかで、ああして天皇が制約のなかでぎりぎりの血を吐くような言葉や行動を繰り返しておられることを私たちは受けとめるべきではないかと思います。人間とは何か、犯した過ちにいつまでも向きあい、謝罪し、忘れてはいけないということを伝えたいのではないか。

いまの政権には、個々の国民が抱えている問題をきちんと見つめようという関心がないのでしょう。すべてはマスであり、たとえば生活保護を受けている人、生活困窮者の子どもというレッテルを貼る。そうやって烙印を押された人たちに、「おまえのうちは貧乏だから、ここでご飯を食べさせてやる」とか、「貧乏だから勉強みてやる」とか、貧困対策の対象の子どもと捉えています。でも、子どもはただただ子どもです。どこに生まれるかはたまたまでしかありません。ですから、そこに差別を持ちこんではなりません。子どもという枠をもって一人ひとりを見ればいいのであって、貧乏な子どもというレッテルは必要ありません。

たしかに格差は広がっていますが、これからの社会に重要な存在としての子どもそのものを守り育てることが政策に求められているはずです。今のやり方では一見よさそうにみえる政策がかえって二重三重の差別をつくることにつながってしまいます。

労働者派遣法にしても、派遣労働者はモノだという発言がありました。あれはある意味で象徴的でした。いくらでも取り替えがきくモノだという本音を語ってしまった。でも、一人ひとりはどうなるんだ。3年ごとに顔さえ変えればいいというわけです。一人の人として考えれば、3年経ってやっと正社員になれると思っていたら、もういらないといわれる。あっちの部品になれとモノのように扱われる。

モノ化、マス化、無機質化、いま起きていることは括っていえばそう言っていいと思います。それに対峙すべき民主党が個に着眼するというところでは、たしかに自民党のような国家主義ではないけれど、民主党も中間エリートのようなところがあります。その象徴が「分厚い中間層」という言い方です。まるで上から見ているようなところがあります。渦中にいる人は、自分が下層か、中間層か、上層かなんて思って生きているわけではありません。一人の人間にとっては、明日がちょっとでもよくなるようにと思っているだけです。寿司屋のメニューのような松竹梅ではありません。

最近、国会議員のなかで育休をとりたいと言い出した男性議員がいます。それは一見、男性女性を問わず家事や子育てを担うという望ましい方向のようにみえます。だけど、正しくないと思います。

健康保険問題を考えてみましょう。国民健康保険では産前産後の休暇すら無給です。所得補償もなくてどうして妊娠出産ができるのでしょう。育休なんて夢のまた夢です。一方では正社員は育休中は賃金の7割が保証されるというようによくなったところはあります。でも、これは政策的に雇用保険のお金を使っていますから、雇用関係にない自営業、国保の人にはお金が出ない。本当は子ども全体、女性が妊娠出産すること全体を支えようとするなら、働けない期間=子どもを産んで社会に還元する期間なのだから、政府の予算をつぎ込んで国が面倒をみればいい。こういう差別構造に気がつかず、議員は自らが制度設計にかかわっているのに、自分はどこにいるのか、どんな役割を担っているのか、見えなくなっています。

かつて私たちの担った学生運動では「大学生である自分を自己否定せよ」とそんなことをいっていました。当時はたしかに学生は特権階層でした。いまのように進学率も高くなかった。私もそう思いながら運動に参加していました。ほろ苦い思い出ですが、少なくとも自分を対象化することができた。いまは労働組合の幹部にせよ、議員にせよ、既得権者といわれるのは、自分を相対化、社会化していないからではないかと思います。

私はこの社会のなかでどこにいるのか、私は誰で、なにをすべきか。男親だって子どもといっしょにいたいという気持ちはわかります。でもそれはオレだけでいいのですか。そのオレは高い歳費をもらっている。他方、妊娠した瞬間に所得の保証もない非正規の人が大勢いる。派遣労働者をどんどん増やすような法律を作っていながら、オレだけヒューマンになりたいって、どこか歪んでいます。現代の象徴のような発言です。

となりの人のことが見えなくなっているのでしょうか。たとえば外国人労働者を排斥し、在日韓国・朝鮮人を差別し、その結果が多様性や他者へのまなざしを奪っているのだと思います。それが政治手法にも影響しています。政治も劣化しているし、マスメディアも腰砕け、というよりも問題が見えていないのかもしれない。大手マスコミの記者たちもみんなエリートだからでしょう。頭が右に寄っているからいまの報道姿勢があるのではないと思います。さっきの健康保険問題でも、マスコミの人たちは恵まれた健康保険のなかにいます。それは自分たちが闘いとってきたものと思っているかもしれない。しかし一方で、実態を知らないのか、国保に対して非常に冷たい。

でも、国保とは何か、国民の健康保険です。多くの人は安保・平和問題でマスコミが追従の報道をしていると思っているけれど、それ以前にもともとマスコミの人たちが立つ視点、社会を見る目に問題があるのではないかと思っています。またもテレビで安倍政権に批判的な人たちが次々に降板しています。籾井会長の一連の発言に引き続いてますますおかしな方向に進んでいる。もともとの構造に問題が潜んでいる。

若者の運動への期待

一人ひとりがお互いがよく見えない。そのなかで個人を消し去ろうとする流れに対抗する運動がようやく立ち上がってきている。シールズなどに象徴されています。

申し訳ないことに、私たちが学生のころの運動の最後は内ゲバなどのようにとてもネガティブなイメージをつくってしまった。その後、日本の学生運動はほとんどなくなってしまった。アメリカでも例えばカリフォルニア大学、バークレーでは、そろそろ引退に近づいている私たちの世代が学生に対して平和・労働・格差等、社会問題を伝えながら、民主主義を求める運動が継承されてきました。あるいは時代のなかで過去の運動が検証されてきました。ところが日本では運動が頓挫すると、私たち団塊世代は、ある人は企業戦士に、またある人は労働運動に向かうなど分岐していきました。でも、そこで若い人とつながる場を大学から失って久しい。

安保国会大詰めの昨年9月15日、国会正門前座り込み行動参加者に情勢報告

2年前の特定秘密保護法の強行採決の後、ICU(国際基督教大学)の学生に呼ばれました。今回のシールズでもICUの学生たちがけっこう頑張っていましたが、2年前に呼ばれたとき、大学のなかで政治テーマでシンポジウムに政治家が呼んでもらえるなんて、私にはとても新鮮で目が点になるほど驚きました。その頃から学生たちは、ものが言いづらくなる、どこかおかしいと感じていたのでしょう。ふりかえればICUは1967年に始まる学生運動の先駆けとして、日本で一番早く全学封鎖に入った大学でした。今回もここから窓が開くのかと思いました。実は私も短い期間ですが在籍していたことがあるので、多少我田引水かもしれませんが……。

2年前からどうやら変わってくるのかと予感がしていました。今回ネットを軸にいろいろな大学の学生が集まって大きな運動が生まれました。その彼らのなかに奨学金問題で重い負債を抱えている若者が増えています。学校を出た瞬間に借金の返済が待っている世代が生まれている。私たちの時代には考えられなかったことです。私たちの世代では、特別豊かな家に生まれていなくても、アルバイトで学資も出せたし、授業料を払うことができました。でも、いまの若者は学費がものすごく高い、下宿するときの住宅費も高い。とてもアルバイトでまかなえるような金額ではありません。借金しなければ学びの保証もない。いろいろな矛盾を抱えています。

自分たちのまったく知らないところで自分たちの未来が決められそうになっている。いったいどうなっているんだという怒りをもっている。その思いが集まったのが、シールズの「民主主義ってなんだ」ということばに集約されたのだと思います。そうやって象徴されてくることばの底流に流れているものがある。世界が格差を拡大させていることに対する危機感といってもいいでしょう。

同時に今の時代の特徴の一つだと思いますが、「クラスでそういう話題を話すの?」と聞いてみたら、自分がデモに行っていることは話さないといいます。私たちの時代は芝生のうえに集まって、クラス討論をしていました。クラスのなかでお互いの主張を闘わせました。スクラムを組まないといけないから、となりの人がどんな人か知っていなければならなかった。途中で抜けたり、後ろを向いたら大変なことになる。だからいやでもとなりの人がなにを考えているか知らないとならなかった。いまはネット社会だから、バーッと情報が流れて伝わるけれども、となりの人と話ができない。そういう不確かさを持っているのかなと思います。

若者がああして立ち上がったことは本当にうれしいと思っています。でも、となりと話ができない弱さをどこで乗りこえていけるのか。かかわりたくない人、となりの人とは「そうよ、そうよ」と曖昧に合意する向き合い方しかできない。小児科医として思春期の子どもを見ていると、イジメや排除は「ちがうんじゃない」といった一言からはじまっているケースが多い。女の子3人あつまったら、とにかく「そうよ、そうよ」。メールが来たらすぐ返す、遅れたらなに考えているのかと言われちゃう。とても息苦しいのだと思います。若者たちが直感で立ち上がり、国会に集まった。でも、自分の大学ではとなりと話さない。

まだまだ若者の運動もこれから変わっていくのでしょう。バーチャルなところにとどまっている限り、権力側のほうが情報量も圧倒的に多いわけですから、もっととなりの仲間とつながる新しい社会をつくっていく運動を展開してほしいと思います。

自衛隊隊員の声を聞きとることから

いま、もう一つ見ておかないといけないのは自衛隊のことです。国会の論議のなかでも生身の自衛隊の隊員のことに誰もあまり関心をよせていなかったのではないか。私たちが学生運動をしていたころ、機動隊とぶつかったときにも私たちに対する彼らの怒りを感じました。機動隊員の多くは高卒で「君たちは親の金で大学まで行かせてもらって暴れているだけ」という思いだったのではないか、それが当時の格差の一つの象徴だった。

陸上自衛隊高等工科学校を視察、校長らと懇談

いま、自衛隊に格差の波が押し寄せています。自衛隊員の募集に中卒、高卒の名簿を自治体が適齢者名簿として提出していることを私はずっと問題にしてきました。通常18歳から26歳くらいの若者を自治体がピックアップしてリストにして各県の防衛協力本部に出し、それを基に若者たちに自衛隊員募集のダイレクトメールが送られます。名簿提供は自衛隊法を根拠にしてやっていると言い張っていますが、自治体から誰の名簿を提出したかは住民には知らされません。そればかりか自衛隊法の適用は自衛官に対してであって、高等工科学校はまだ生徒ですから、名簿提供をすることはそもそも法の根拠がありません。私の指摘を受け違法な提供が発覚しましたが、自衛隊も自治体も気づかず、いわば惰性で行われてきたのです。

私は神奈川県の藤沢市・寒川町を選挙区としていますが、工科学校は横須賀にあります。15から18歳までの子どもたちが通っていて、16歳から銃を持ちます。子どもの権利の観点からも問題があります。その年齢は文字通り少年兵といっていい年齢です。陸上自衛隊で必要とされる技術習得としてその年齢の子どもたちを教育しているわけですが、先日、その工科学校を訪ねたら、一学年300人いる生徒のうち、なんと60人が母子家庭出身でした。

多くの評論家が子どもの貧困や自衛隊反対をいいますが、では、この子どもたちがどういう思いで工科学校を選んでいるのか考えたことがあるでしょうか。小児科医の私の患者さんで、そこに行きたいという子がいます。どうしてと聞いたら、「ぼくの家は母子家庭だし、お母さんを安心させたい」という。毎月9万円の給与がもらえるから、それを生活の足しにしたいと。「工科学校は20倍の競争でむずかしいよ」というやりとりをしながら深く考えさせられました。300人の子どものうち60人が母子家庭出身というその現実、そこで次の自衛隊の中核人材がつくられています。この子たちに自分自身の人権を守ること、ひいては国民の人権を守ることがいかに大事か、ということを伝えないとなりません。軍も人で成り立っているからです。

私は社会党の流れを引きついだ社民党に12年籍をおきました。かつて社会党は自衛隊は違憲だと言い続けてきましたが、その論議以上にそこに生身の人間が一人ひとりいることが、私にとっては第一に重要なことです。私は医者ですから。議員になってからも戦没者の遺骨収集に力を注いできました。医者として肉体や死から思いが離れることがないのです。

自衛隊の隊員が何を考えながらそこにいるのか、政治は果たしてそこに思いが至っているのか。労働問題の非正規の人たちにきちんと目が届いていないのと同じように、自衛隊員の現実に目が向かないという構造的な問題があるのではないか。そもそも自衛隊員の人権はどうなのか。特に幼くしてそこに入ったあの子たちに自由や人権、世界の成り立ちをどう伝えていくのか。まかりまちがって彼らの価値観がゆがんでしまえば、国民は手も足も出なくなります。

先日、ドイツの空軍大佐と話しました。彼は自分たちは議会の軍隊だと強調していました。議会が審議して行けと命じたときに彼らは出動する。その議会とは国民の意思、という意味です。日本では今回の安保法制論議に表れたように議会はないがしろ、「国民の負託に負う」と定めた自衛隊法がありながら、国民なんか関係ないといわんばかりのところで自衛隊法が改悪され、武力行使のために海外派遣される事が可能になりました。そこでもし何かあれば、それ見たことかと今度は憲法改正が俎上に上るでしょう。左派右派に分かれたイデオロギー対立にとどまるのではなく、もっとリアルに現実を見すえた論議をしていかないとなりません。

いまはリアルではなく、バーチャルなところで議論をしがちです。バーチャルなところでは勇ましい、回れ右のほうが強い。だからこそいま、肉体を持った人間はどうあるべきかというリアルな問い、どう相手を理解し、相手を尊重し、違いを認めあえるかという当たり前の問いからスタートしないとなりません。

人間の顔をした政治をとりもどす

保守リベラルがすっかり影を潜めてしまいました。私は保守リベラルの本質はヒューマニズムにあると思っています。田中角栄さんは雪深い新潟で吹雪に閉じこめられている人たちの思いを受けて、山をぶっ飛ばしてでも東京につなごうとしました。そこに人間の肌感覚がありました。野中広務さんも沖縄に何度も足を運んで、自民党の安保政策で基地を押しつけられている沖縄の人たちと、膝詰めでも話し合いをしなければならないという姿勢を崩さなかった。そういう志を今の自民党はなくしているのではないか。今や戦後日本の大きな歯止めは失われてしまったようです。

では、革新はどうか。革新はヒューマンといえるのか。ややましなのは権力をもっていないことだけかもしれない。権力がないから辺野古に無理矢理基地を押しつけることはできないけれど、どこかで仕方ないと思っている。私は民主・社民の連立政権の時に普天間を日本国内に動かせないのかと考え、候補地を探しました。でも、ずっと反基地闘争をやっている人たちがいてどこにも基地はいらないといわれてしまった。それはたしかにそのとおり。だけど、沖縄の人と共闘するとは何か。少なくとも現在の日米安全保障が必要だというなら、基地も分担できるはずではないでしょうか。革新側も硬直化してしまっているところは否定できません。そのためにリアルな解決が遠のいてしまう。

私の案はあえなくお蔵入りしてしまいました。社民党は辺野古移設反対といってカッコよく政権離脱しましたが、その結果、せっかくの政権交代を崩壊に向かわせてしまった。政治とは何か。ヒューマンであること、それを支える制度をつくることにつきるのではないかと思います。かつていわれた「人間の顔をした社会主義」(註―1968年の「プラハの春」と語られたチェコスロバキヤ共産党ドプチェック第一書記の路線)ということばが私は好きです。

頭がよくてすばらしい政策をつくることは民主党にはできる。でも、人びとの思いのなかに何をくみ取るのか。その哲学が抜けてしまっているように思います。安倍政権を倒しても、そのときに倒した側がリアルでしかもヒューマンな思考をもっていないと権力を握った瞬間に堕落して、またも人びとを裏切ることになるでしょう。平和憲法は非軍事憲法と呼びかえてもいい。それがどこまで達成可能なのか、リアルに考えるべきです。

参議院選挙に向けて野党共闘の動きが出ています。私は志位さん提案に賛成します。いろいろな細かい政策議論をするよりも、まず主権在民、憲法をとりもどす、主権者が未来を決めるという原則、法治をとりもどすという大筋で合意すればいいと思っています。政策のすりあわせ以上に、秘密保護法や安保法制のような民主主義のルール破りに怒りを結集すべきです。

明治維新、敗戦、震災、原発災害を見てきたのだから、もう少し賢くなって世の中をよくしないと、私たち学生運動世代は死んでも死にきれません。

あべ・ともこ

1948年東京生まれ。国際基督教大学から東京大学医学部卒。小児科医。千葉徳洲会病院院長を経て、2000年社会民主党から衆議院議員に初当選。長く社民党政審会長を務める。その後、日本未来の党、みどりの風を経て、2014年12月民主党より立候補(選挙区は藤沢市、寒川町の神奈川12区。715票差で惜敗、比例復活。現在6期目)。原発ゼロの会、立憲フォーラム、子ども・被災者支援議員連盟などに参加。

特集・終わりなき戦後を問う

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