この一冊

『老いの福袋―あっぱれ!ころばぬ先の知恵88』(樋口恵子著/中央公論新社/2021.4/1400+税)

超高齢社会の“実践のススメ”―“ヘタヨロ期の
ローバ“から

本誌読者 李 香枝

『老いの福袋―あっぱれ!ころばぬ先の知恵88』

『老いの福袋―あっぱれ!ころばぬ先の知恵88』(樋口恵子著/中央公論新社/2021.4/1400+税)

人生100年の超高齢化社会。これまでにも柴田トヨさんの『百歳』、『くじけないで』(飛鳥新社、2011年)や、つい最近では107歳で人生を閉じた篠田桃紅の『これでおしまい』(講談社)が現在8刷だそうだ。

誰しもが当たり前に年を取り、老いを迎える。「ピンピンコロリ」とあの世に行ければ苦もないが・・・現実はそうは行かない。だから、ついつい、長寿の人の「智恵」や「教訓」「生きるヒント」を得たいと手に取るのかもしれない。

ただ、本書は、「人生訓」とか「気持ちの持ち方」というのとは少し違って、極めて現実的な「実践のススメ」である。(政治家さんも、よく聞けよ!)

ファーストペンギン!

現在コロナ第5波真っただ中。にもかかわらず五輪決行。コロナの感染者数と並んで、日本選手のメダル、金・銀・銅の獲得数が大きく報道される。「競うからには勝たねばならぬ!?」・・・

こんなご時世に、樋口恵子氏は「嬉しい事」を教えてくれる。日本は、「高齢化率」では、「ぶっちぎりの世界第1位」だと!

「高齢化率」とは、65歳以上の割合だそうだ。日本は28.7%(2020.9)、2位のイタリアの23.3%を大きく離しての第1位。「高齢化率の金メダル」!

この「金メダル」を活かして、今こそ、世界が羨み、お手本にしたいと思われる「高齢社会」をつくりましょうよ!と呼びかけ、具体的な「案」を88個も書き出してくれる。しかも、その未知の大海を、少しでも住みやすくするために、最初に、意識的に飛び込む「ファーストペンギン」世代からの「知恵袋」なのである。

樋口恵子氏は1932(昭和2)年生まれの88歳。その年齢に合わせての88個の「伝言」である。もっとも、1983年、当人50代の時に早々と、NPO法人「高齢社会をよくする女性の会」(理事長)を立ち上げ、介護保険法制定に尽力し、その成果も不備も熟知している樋口恵子氏である。いくつかの提言を紹介しよう。

シルバーの「老働力」がゴールドを支える

「2025年問題」という言葉があるそうだ。2025年にはいわゆる「団塊」の世代が75歳になり、日本全体で「5人に1人が75歳」になるのだと。

しかし、「高齢化社会」は、これまでの「年齢」の感じ方をも変えてきたようだ。それは「感じ方」だけでなく、その人間のあり様自体が変わっているのだが。

かつて、「50歳定年」の時代、60歳は「立派なオジイサン!(村の渡しの船頭さん)」、しかし、いまは60歳は「高齢青年」、70代のシルバーは「働き盛り」。

政府のパンフレットなどでは、「高齢社会」のイメージは、ごく少数の若者が、多勢の高齢者を支えている図や絵が用いられる。しかし、高齢社会を実質的に、身体的に回すのは、基本的には70代の男女です、と樋口氏は言う。

「シルバー人材センター事業」は、60歳以上が登録できる。60歳は、まだまだ「これからの人たち」、70代こそ「働き盛り」。

「シルバー世代に支えられてゴールド世代も輝く!」・・・高齢者も安心でき、青年たちも安心できる社会にしましょう!と。

「トモ食い」「食フレ=食事フレンド」を是非!

昔も「茶飲み友だち」は重宝されてきた。高齢になっても、「会いたいね~」という気持ちや関係は大切にしたいものだ。コロナで、「お酒の席・店」がまずは自粛要請され、「会いたいね~」の関係も我慢を強いられている。

このコロナ時代を通ったからこそ、改めて、私たちの基本的な欲求としての、「お茶しよう!」「ランチ行こう!」「一緒にお食事を!」の関係を見直し、男女にかかわらず、「トモ食い(一緒に食事を・共食)」「食フレ」を殖やしましょう!と。

「ファミレス時代」がやってくる

私たちが普通に使っている「ファミレス」は、「コンビニ」と同様、1970年代初めに日本にやってきた「ファミリーレストラン」「コンビニエンスストア」のことである。

しかし、ここで樋口氏が使う「ファミレス」は、子ども連れ、家族で一緒の、ジョナサン、デニーズ、ガスト、サイゼリア等のお店のこととは違う。

「ファミリー(家族)―レス less」を意味する。

今の時代、「夫婦別姓結婚」「同性婚」などの要求によって、「結婚」や「家族」をより柔軟な「広い」枠組みの制度にしようとする動きもあるが、しかし一方では、確実に、結婚願望は減少しているし、「未婚・非婚」者はじわじわと増えている。結婚しても、離婚もアリ、子どもはいらない、というカップルも少なくはない。

要するに、社会の「単位」としての「家族」が薄らいでいる、ということだ。これまでの「子育て」はもちろん、老人介護はほとんど「家族」が引き受けてきた「ケア」なのだから、さて、コマッタである。

だが、そのような「ファミレス時代」への突入に当たってこそ、私たちは「家族」ではない「人々の繋がり」を、本気で考え、つくっていかなくてはならなくなっている。

多様な「介護」の新語

最近、新聞やテレビなどで、「ヤングケアラー」の問題が取り上げられている。家族の中の「手不足」で、就学中の子どもたちが祖父母や親(家族)の介護に携わっているという事実である。「家族レス」まで行かずとも、家族の縮小、家族の弱体、家族崩壊などによって、「家族内介護」が限界にきている一つの事例であろう。

その他、介護の「新語」が続々と現れている。老老介護、認認介護(どちらも認知症)、遠距離介護、シングル介護、男性介護、多重介護(一度に複数の高齢者を介護)、ダブル介護(同時に二人を介護・多重介護と同義にも)、ダブルケア(子育てと親の介護が重なっている状態。最近では推計25万人とか)。

国も、2015年の「骨太の方針」で、「介護離職者ゼロ作戦」を打ち出してはいる。しかし、一方では、「要介護1~3」のサービスは縮小されているのは事実である。公的なサービスが縮小されると、結局は家族の誰かが「離職」せざるを得なくなる。

「高齢化率第1位」金メダルの日本の真価が問われる時代である。

高齢男子も、かつての「濡れ落ち葉」だの「粗大ごみ」だのの汚名を、今こそ真に返上し、ともに「日本ならでは」の高齢社会を共につくって行きましょう。

り・かえ

元教育労働者。古くからの『現代の理論』の読者です。

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