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特集 ●第4の権力―メディアが問われる  

東京五輪における公共空間をめぐる闘争

反五輪シリーズ第4弾――私たちはどこまで公共空間を奪回できたのだ
ろうか

オリンピック災害おことわり連絡会 宮崎 俊郎

私は本誌に過去3回オリンピック・パラリンピックに関する論考を寄稿してきた。今回、原稿依頼があったとき、とても落ち着いて原稿を書ける状態にはなく、毎日抗議行動やNolympics TVの準備やらで忙殺されているため、原稿提出の延期も考えた。しかし、反五輪の運動の真っ只中で考えたことを忘れないうちに記録しておく必要から原稿化していきたいと考えた。

そういう意味においては残念ながら決してトータルな五輪批判にはなっておらず、公共空間における確執から見た東京五輪批判を展開した。試論でもあり多数の批判を歓迎する。

1.ついに東京五輪強行開催

本稿を書いている8月5日には東京のコロナ感染者数は5,000名を超えた。第5波はこれまでにない感染者数を記録し、感染爆発はとどまるところを知らない。インドのデルタ株の猛威だとして東京五輪開催による直接の影響を政府は否定しているが、大会関係者でも約400人、選手でも40人を超える感染者が出ており、もともと想定していた「バブル方式」は崩壊していると言わざるをえない。

大会の競技場は無観客となったが、競技場近辺を訪れる人々の人流は決して少なくなく、とても緊急事態宣言下の街の状況とは思われない。JOC(日本オリンピック委員会)脇のファイブリングスには記念撮影のための長蛇の列ができ、お台場の聖火台には人々が密集している。

まずはこの感染爆発の大きな原因として東京五輪の強行開催があることは周知の事実だ。ところが推進してきた菅首相、橋本組織委会長、小池都知事は一切そうした関連性を認めていない。

長野県と東京都の市民4人が7月9日に東京五輪開催の差し止めを求める仮処分申請を東京地裁に提出した。7月15日に却下されたのだが、その中で注目すべき司法判断がなされた。訴えた小池百合子都知事と橋本聖子組織委員会会長には東京五輪の開催決定する権限がないと次のように断じた。

「債権者ら(市民4人)は、債務者ら(小池・橋本)を相手方として東京オリンピック等の開催の仮の差し止めを求めるが、一件記録によっても、そもそも債務者らに東京オリンピック等の開催について決定する権限があると解すべき根拠を見いだすことはできず、債権者らと債務者らとの間に民事保全法上の仮処分によって保全すべき権利関係を一応認めることはできない。」

私の知る限りでは、開催地の首長にも組織委員会会長にも五輪開催の権限がないという司法判断は初めてではないだろうか。では誰が開催権限を持っているというのか。日本の中にはその権限を持っている者はおらず、IOC会長しか有していないと暗に仄めかしているということなのか。

私はオリンピックとは都市開催であるのだから、東京五輪の開催権限は小池都知事にあると思うが、この責任の所在の曖昧化がオリンピックの構造であることに注目すべきだ。

誰も責任を取らない構造があるから、いかにコロナ感染爆発が起きようと東京五輪強行開催が成立したのだ。

今後私たちに問われているのは、コロナ感染爆発を招いた東京五輪強行開催の責任を菅首相、小池百合子都知事と橋本聖子組織委員会会長に取らせることだ。

もちろん責任追及はコロナ感染爆発にとどまらない。1年延期開催による無駄な資金投入をはじめとするマネーファーストや、開会式直前の演出者等の障がい者差別やホロコーストを茶化した民族差別などの事件が示しているように、オリンピックが「多様性と人権」を希求していなかったことに対する責任追及も怠ってはいけない。

2.浸食される公共空間

さて、2017年からオリンピック災害おことわり連絡会を立ち上げ、反五輪の運動を行ってきたが、近代五輪というものが市民社会で成立してきた「公共空間」を解体させるための最強の道具となっているのではないか、ということが理念にとどまらず実感として体感できた。

新自由主義とは効率性の名の下に、公共性を解体し徹底した民営化を行い、莫大な利益誘導を巨大企業に施す施策だが、オリンピックという「非政治」的で「中立」なメガイベントは最大の「公共性」を偽装して「公共性」を破壊する「祝祭」として機能するのだ。

ヨーロッパを中心として1970年代くらいから、富裕層や経済活動が都市部から郊外へ流出する現象に対して、再度富裕層や新中間層を都市に呼び戻すために、貧困層を排除するジェントリフィケーションが起こった。オリンピック開催はスポーツイベントを大義名分としてこうした都市のジェントリフィケーションを強制的に推進する格好の道具として捉えられてきたのだ。

2016年リオ五輪ではファベーラというスラム街が治安悪化を口実に7万7千人の人々が強制排除された。東京においても敷地を2倍以上に拡張する新国立競技場建設のために隣接する都立明治公園、日本青年館、都営霞ヶ丘アパート10棟を潰した。都営霞ヶ丘アパートでは約230世帯の住民が強制移転を強いられた。明治公園を排除された住民らは現在国家賠償請求訴訟を提起して東京都の責任を厳しく追及している。

東京都は東京五輪選手村(中央区晴海)用地として都有地(約13・4ヘクタール)を三井不動産レジデンシャルなど不動産会社11社に対し、129億6000万円という周辺公示地価の10分の1という破格の安値で売却。五輪選手村として利用後、分譲マンション4145戸は5000万~2億円以上で販売される予定だ。

こうした公共空間だった土地や建物をオリンピックを口実に民間に叩き売って、民間企業は莫大な利益をせしめることになる。こうした事態を私たちはオリンピック「災害」と呼んできた。

アスリートの空間についてももともとアスリートバスケットやボードゲームは街の公共空間で育ってきた。しかしそうした野外空間のダイナミズムを剥奪して「箱」の中に封じ込めて成立したのがバスケットボール「3×3」だ。

このように様々な観点から公共空間を侵食していくものとしてオリンピックを捉えてみると、かなりいつもとは違った「顔」が見えてくるのではないだろうか。

3.私たちの空間を取り戻す試み

私たちはこうした公共空間浸食に対してどういう抵抗ができたのだろうか。私たちの反五輪の取り組みをこの視点から捉え直してみたい。

①毎週金曜日の組織委トリトンビル前スタンディング

4月から毎週金曜日に東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の入っている晴海トリトンビル前で東京オリンピック・パラリンピック即時中止を求めるスタンディングを行った。3月以前は東京駅丸の内や新宿アルタ前で月一の行動だった。当初は1カ月やろうということだったが、開会式直前まで行動は継続した。最初は10人くらいで始まったが、SNSなどの拡散効果もあり、中盤くらいから40人前後の人たちが集まるようになった。

晴海トリトンビル前はかなり広い広場になっているが、そこはトリトンビルの敷地で最初は敷地外の歩道でやってほしいとビル管理担当者から要請されたが、7枚の巨大プラカードを盾にしながら広場の中央近辺で1時間30分アピールを続けることができた。毎回管理担当者から敷地内での行動を止めるよう告知されたが、排除されることなく継続できた。大量の私服刑事や制服警官は配備されていたが、奇妙な無言の妥協ラインが成立していた。なぜか。

一つには、トリトン前の広場がトリトンビルの私有地だったとしても一定の公共性を帯びた空間だったので、一律排除できないと考えることができる。もう一つは、組織委員会に対しての異議申し立てを強圧的に排除することが決して得策ではないという構え方が存在していると思う。これはオリンピック反対行動に対する全般的なコードとなっている。つまりある程度秩序だった反対行動に対しては大衆の目に見える空間において乱暴な排除の姿勢は見せないというコードだ。反対言論をも取り込んでいく「祝祭としての五輪」という見せ方を追求したのだ。ところが、そのコードから逸脱する行動については弾圧が待ち受けている。

②「聖火」リレー反対の各地の取り組み

東京五輪の「聖火」リレーは1年延期しても、福島県のJビレッジから3月25日にスタートした。2月には島根県知事によるコロナ感染拡大を受けての公道中止の検討が脚光を浴びた。そして続々と公道中止は広がっていった。しかし「聖火」リレーすべてが中止になったわけではなく、公道リレーは中止にしたが、参加者をセレブレーション会場に集めて「トーチキッス」なるイベントを多くの自治体が開催した。おためごかしのような「聖火」リレーは生き残ってしまったのだ。

私は公道リレーを行った茨城県つくば市、公道リレーを中止した横浜市、松戸市、東京都の出発地である駒沢公園などの抗議行動に参加した。いずれも拡声器を使ったアピール行動については予想以上に規制は少なかった。いずれの地でもセレブレーション会場にまで私たちの声は届いていた。東京都の出発地である駒沢公園での抗議アピールの声に小池都知事は苦々しい表情だったと伝えられている。私たちは各地でたとえ少数であれ、東京以外の都市空間をも抱合しようとする「聖火」リレーというイベントに対して私たちの表現空間を確立することができた。このことの意味は大きい。

しかし、「聖火」リレーそのものを「妨害」する行為に対しては徹底した弾圧体制が敷かれた。茨城県の公道リレーのランナーに対して水鉄砲を吹きかけた人には逮捕したうえで長期拘留がなされた。また武蔵野では、五輪中止を訴える仲間の一人が会場近くの歩道で抗議の意を強く示すために爆竹を鳴らし、「威力業務妨害」で不当逮捕された。実際に被害を受けた人はいないにもかかわらず、7月30日に起訴されている。コードを超えた行動に対する弾圧体制は周到に準備され、かつ過酷なものだったのだ。

現在、仲間の一刻も早い保釈の実現と無罪獲得に向けて救援会が立ち上がっている。是非ともカンパをお願いしたい。
     郵便振替 00150-8-66752(口座名:三多摩労働者法律センター)
   なお、通信欄に「7・16弾圧救援カンパ」と明記してほしい。

③6・23 1か月前行動

6月23日の1か月前行動が私たちの対抗アクションとしては最大規模のものとなった。1か月あればまだ中止にできるという期待感は私たちの中にも大きく膨らんだ。都庁の玄関前に集まった人たちは歩道に沿って横長く拡散した。残念だったのは同調させたマイクの性能不足だった。スピーカーの声が届きにくかったうえに、国民主権党の平塚は大音量の妨害を仕掛けてきて、余計に聞き取りづらい状況が発生していた。

そうしたマイナス要因を差し引いても、都庁の前で公共空間を占拠して五輪中止を高らかに叫ぶことができたこと、そして850人のデモが新宿を練り歩くことができたことは、私たちが浸食されかかっていた公共空間奪還の意思を展開できたと評価できよう。

しかし、東京五輪強行開催によってその後は公共空間をじわじわと剥奪されていくことになるのだが。

④開会式に対する抗議行動

ついに7月23日の開会式を迎えるまで東京五輪が中止されることはなかった。この日は午後に「聖火」が都庁広場に帰ってくるセレモニーが行われ、それに対する抗議行動を展開した。300人集まったが、1か月前の都庁玄関先は封鎖されていて少し離れている場所に封じ込まれる形となった。これもとてもおかしな規制だ。都庁玄関前は歩道であり、そこを封鎖できる法的根拠は薄弱だ。五輪開催による一方的な公共空間の剥奪だ。それでも私たちの抗議の声はセレモニー会場である都民広場まで届いていたらしい。

20時から始まる開会式に対しては、できるだけ新国立競技場に近づけるデモコースを模索したが、交通規制を理由に新国立競技場の見える場所まで行くことはできなかった。組織委員会による道路使用許可という大義名分の濫用だが、一方的な表現の自由の抑え込みを私たちは許してはならない。

このデモには700人が集まり、解散してからの千駄ヶ谷駅前のアピール行動には200人が参加した。当初の計画では、デモ解散点から多くの人たちを誘導して千駄ヶ谷駅に連れていき、駅前を私たちが占拠してアピール行動を行う予定だった。伏兵は新国立競技場付近に集まる東京五輪の開会式を「体感」しようとする市民の数の多さだった。無観客だからわざわざ観ることができないのに集まるはずもないという私たちの想定が甘かった。この民衆意識が東京五輪強行開催を支える根幹に存在しており、開催後の中止世論を少数派に追いやっていくことにつながった。

⑤会期内行動

大会が7月23日に強行開催されてからも私たちはいくつかの会場において即時中止の声を上げ続けた。そこで見た光景は無観客にもかかわらず、競技場の近辺が必要以上に封鎖され、近隣住民でさえ回り道を余儀なくされていることだった。

特に酷いと感じたのは、野球とソフトボールの会場になっている横浜スタジアム。関内駅からいつもは通れる旧横浜市庁舎と横浜公園の間の道路をすべて封鎖して歩行者も通行止め。関内駅から中華街や山下公園に向かうにはかなり迂回させられるような封鎖が行われていた。私たちは最もスタジアムに近いコーナーでアピールを行ったが、通行する市民はごく少数だった。しかも関内駅前の詰所とスタジアムの間を迷彩服を着た自衛官がたびたび往来する光景が余計に私たちに対する圧迫感を助長した。今回の東京五輪の特徴は六千人とも言われている自衛官の動員だ。テロ対策を大義名分としているが、公共空間に出張る自衛官が自由に闊歩する光景は、公共空間の侵食を象徴していると言えるだろう。

8月7日にはサッカー決勝戦が新横浜の日産スタジアムで行われるということで、新横浜駅近くの広場でアピール活動を行ったが、途中JRの職員が「ここはJRの敷地内だから退去せよ」と私たちを排除しにきた。この広場には東京五輪のモニュメントは設置させているにもかかわらず、反対言論は私有地を理由に排除する。私有地といえども市民の憩う「公共的」空間から都合の悪いものは排除するという論理がここでも作用していた。

⑥8・8 閉会式抗議行動

コロナ感染者の拡大はとどまるところを知らず東京都の感染者数はついに5千人を超えたのに、8月8日閉会式まで中止することなく開催されてしまった。私たちは中止せず閉会式まで開催し続けたことに抗議するために閉会式の行われる新国立競技場に近いJOC前で声を上げようとした。

8月6日には同じJOC前に登場することは可能だったのに、8日の閉会式については地下鉄外苑前から新国立競技場に向かって歩き出すとちょうど中間くらいの場所で警察官が阻止線を張っていて、私たちだけでなく市民も歩道を通行させないという規制を行った。およそ20分くらい歩道を規制する法的根拠を提示しろと迫ったが、「お願いです」の一点張りでやむなくその道路の両側の歩道で抗議アピールを展開せざるをえなかった。こうした法的根拠もない歩道の規制は明らかな公共空間の剥奪だ。抗議行動は19時から21時まで行い、150人が参加した。また8月6日の福島・広島・長崎と連帯する反五輪アクションには50人がJOC前で抗議の声を上げた。

⑦公共空間を侵食する監視体制

公共空間とは基本的に匿名性が担保されなければならない。誰でもが自由に出入りして意見交流が可能な創造的空間である。こうした公共空間を狭めていくには徹底した監視が有効である。

2020東京五輪は21世紀の市民監視・管理強化の目標点だった。2010年台では番号法、特定秘密保護法、盗聴法の拡大、共謀罪法などの治安立法が続々と成立し、いずれも東京五輪のテロ対策がその立法趣旨として掲げられた。

ここでは特に海外メディアに対するGPS等による行動監視や行動規制と顔認証を中心とする生体認証の活用について特記したい。この二つについては反対声明がすでに出されているので、詳細はおことわリンクのブログ等でご覧いただきたい。

海外メディアに対するGPS適用は、報道の自由に対する大幅な侵害であり、批判的報道に対する取材規制につながるものであり、断じて許されない規制である。顔認証を中心とする生体認証は、関係者すべての認証に適用されるようだが、実質的な強制適用であると同時に、そのデータの取り扱いについてはほとんど明らかにされていない。NECをはじめ、名立たる監視企業は五輪スポンサーであり、コロナ監視を名目としてやりたい放題となっているのだ。

⑧Nolympics TV の試み

最後に私たちはほとんどのマスコミが東京五輪のスポンサー企業であることで、私たちの反五輪言論を多くの人々に伝達することの困難性に逢着した。宣伝が行きわたらず、決して多くの人たちに伝えることができたとは言い難いが、自らのメディアを創設し自らの言論空間を作ることができた。

特にマイクロソフト系のアプリケーションを利用せず、Z00M、ユーチューブではなく、jitsi-meet、ビメオなどを利用した。おことわリンクのブログからアーカイブを視聴することができるので是非とも観てほしい。会期中は10回20時から21時30分前後まで世界の反五輪運動ともつなぎながらグローバルな番組放送を行った。

8月24日からのパラリンピック期間中は Noparalympics TV として放送予定。下記URLにて観てほしい。 http://www.2020okotowa.link/

4.私たちは反五輪の運動を通じて公共空間を取り戻すことができたのだろうか

コロナ状況も手伝って、私たちの対抗アクションの空間は屋内ではなく、街頭とならざるをえなかった。屋内であればその空間を借りている私たちに占有権は発生し、安定した環境で意見発信や交換もできたであろう。

しかし、不安定な環境の街頭でしか果たせない多くの人たちとの出会い、そして摩擦は予期せぬダイナミズムを引き起こすものだ。そうした経験を、今回の反五輪の街頭での無数の取り組みを通して私たちは簒奪されかかっていた公共空間を奪い返す試みを体験した。

この貴重な体験は東京五輪反対運動で終了するものではない。より多くのそして幅広い課題で公共空間を奪われつつある人々との出会いと闘いを通じて拡散されていくであろう。

(8月14日掲載ー編集部)

 

みやざき・としお

2020オリンピック災害おことわり連絡会(おことわリンク)のメンバー。おことわりンクは2020東京オリンピック開催に反対する様々な人々を緩やかにネットワークする。

連絡先・URL・メールアドレスなどは以下の通り。

千代田区神田淡路町1-21-7 静和ビル1階A スペース御茶ノ水 ATTAC首都圏気付

info@2020okotowa.link
fb.com/1378883338802691

 

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