特集●混迷する世界への視座

なぜ「県外移設」=基地引き取りなのか

沖縄差別を自覚し、日米安保条約に向き合おう

東京大学教授 高橋 哲哉

はじめに

「沖縄は本土のためにある」。

安倍政権の幹部たちの腹の底を覗いてみれば、きっと潜んでいるに違いないこの言葉。これは、岡本喜八監督が映画『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971年)のなかで、大本営参謀・宮崎周一中将に言わしめた言葉である。沖縄は沖縄のためにあるのではなく、本土のためにある――この意識こそ、明治初めの「琉球処分」から沖縄戦、米国施政権下への沖縄の切り捨て、そして沖縄返還から今日に至る基地の押しつけまで、近代日本を貫く沖縄に対する植民地主義的態度、沖縄差別を凝縮したものと私には感じられる。

沖縄のあらゆる抵抗を力で押し潰しても、辺野古の新基地建設、高江のヘリパッド建設を強行する安倍政権の行き方には、この態度がこれ以上なく露骨に表われている。そもそも、面積・人口とも全国の1%前後に過ぎない沖縄県に在日米軍専用施設の約70%が集中する現状そのものが「構造的沖縄差別」の最たるものである。これに対して沖縄からは、日本人(ヤマトゥンチュ)が沖縄の基地を「本土」に引き取ることを求める声が挙がってきた。

この声は久しく無視され続けたが、一昨年来、この声に応答しようとする大阪、福岡、新潟などの市民が、「基地引き取り」の運動を立ち上げるに至っている。私もこの間、拙著『沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える』(集英社新書、2015年)を上梓して、在沖基地の「県外移設」/「本土」引き取りの正当性について論じて、この流れに加わってきた。

私が「県外移設」論を知ったのは、沖縄出身の社会学者・野村浩也氏の先鋭な理論書『無意識の植民地主義 日本人の米軍基地と沖縄人』(御茶の水書房、2005年)によってであった。さらに、沖縄在住の作家・知念ウシ氏の『ウシがゆく 植民地主義を探検し、私をさがす旅』(沖縄タイムス社、2010年)や『シランフーナー(しらんふり)の暴力 知念ウシ政治発言集』(未来社、2013年)などを通して、「県外移設」論が、沖縄に生きる人々の生活に深く根ざしたものであることを理解するようになった。

沖縄への米軍基地集中は歴史的な沖縄差別の結果であり、差別を解消するために基地は「本土」で引き受けるべきだという主張は、1990年代から沖縄社会に広がり、普天間基地の「県外移設」を模索した鳩山政権(2009~2010年)以後、沖縄の政治舞台で有力な位置を占めるようになる。2015年には、普天間基地の「県外移設」を主張していた翁長雄志氏が「県内移設反対」を掲げて知事となり、辺野古新基地阻止を旗印に日本政府と対峙して今日に至るのである。

では、私はなぜ、どのような理由で、「県外移設」/「本土」引き取りを主張するのか。詳しくは上記の拙著を参照していただきたいが、以下でその骨子を述べてみたい。

1.安保体制の矛盾と沖縄差別

日米安全保障条約(以下「安保条約」)が「日本の平和と安全に役だっている」という人は、近年の世論調査で80%を超えている。安保条約を「今後も維持することに賛成」の人も、同じく80%に達している。内閣府のデータでも、朝日新聞のデータでも、この傾向は変わらない。2015年夏、共同通信社が実施した「戦後70年全国世論調査」では、安保条約による「日米同盟」を「強化すべきだ」が20%、「今のままでよい」が66%、「薄めるべきだ」が10%、「解消すべきだ」がわずか2%で、安保支持派は今や9割に達する勢いである。同調査では「護憲」60%、「改憲」32%で「平和主義が定着した」と報じられた。ところで、沖縄県の人口・有権者数とも全国の約1%であるから、沖縄の安保支持率は全国の支持率にほとんど影響しない(全国より低い傾向がある)。要するに、在日米軍基地は「護憲派」も含めた「本土」の圧倒的多数の国民の支持によって存在しているのである。

では、なぜ、在日米軍専用施設の70%もが小さな沖縄県に集中しているのか。沖縄の人々にとっては、米軍基地も安保条約も不本意ながら押しつけられてきたものである。それらを存置する決定に一度も参加させられたことがない(安保条約は沖縄県民が国政に参加できなかった時代に締結・改定され、国会で承認された)。いま、辺野古の新基地建設に沖縄の圧倒的多数の人々が反対しているのも当然である。米国施政権下でも日本「復帰」後も、沖縄の人々はつねに「基地なき沖縄」の実現を願ってきた。それなのに、なぜ「本土」にではなく、沖縄に米軍基地が集中しているのか。

ここに根本的な矛盾がある。有権者数一億人の8割もが米軍基地の必要を感じている「本土」にではなく、人口・面積とも「本土」の100分の1前後しかない沖縄県に、全体の4分の3近くの米軍基地(専用施設)が置かれているという矛盾である。もしも「本土」の国民が日米安保体制の維持を望むなら、その政治的選択に伴う責任として、米軍基地に伴う負担とリスクは「本土」で負うのが当然ではないか。負担とリスクを負う覚悟なしに、それらを沖縄に負わせて、自らは「利益」だけを享受するなどということが許されるだろうか。

この矛盾は、沖縄の日本「復帰」後、半世紀以上にわたって放置されている。私が沖縄の基地の「県外移設」/「本土」引き取りを主張するのは、この矛盾、この差別を一刻も早く解消すべきだと考えるからである。普天間飛行場をはじめとして沖縄の米軍基地を「本土」で引き取る。そして沖縄と「本土」との異常な不平等を解消し、沖縄への差別や植民地支配と言われる基地政策をやめなければならない。「本土」の国民(私もその一人である)は、沖縄からの「県外移設」要求に真剣に向き合わない限り、米軍基地問題についても日米安保体制についても、自らの問題として引き受けることができないだろう。

2.歴史的経緯と引き取りの責任

「県外移設」とは基地の「誘致」や「招致」ではなく、「引き取り」である。なぜなら、日米安保体制下では、上述の理由から、米軍基地は本来「本土」にあるべきものだからだ。

在沖米軍の主力をなす海兵隊については、沖縄駐留を正当化する軍事的理由や地政学的理由が根拠薄弱であることはすでに指摘されている。森本敏氏は防衛大臣在任時、それらの理由を否定し、「西日本のどこか」であれば海兵隊は機能するが、「政治的に許容できるところ」は沖縄しかない、と述べた。退任後も「九州の南部か西部」であれば軍事的には機能すると発言している。中谷元氏(前防衛大臣)も、2014年、沖縄の米軍基地は「分散しようと思えば九州でも分散できる」、「理解してくれる自治体があれば移転できる」が、「米軍反対とかいうところが多くて」できない、と述べている。要するに、「本土」の国民の意思で米軍基地を置いているのに、いざ「本土」に移設しようとすると反対が強いので「政治的に」難しいということである。

だが、そもそも沖縄の海兵隊は、「本土」にいた部隊が沖縄に移駐したものである。1950年代、岐阜と山梨に司令部が置かれ全国に分散駐留していた海兵隊は、「本土」での反基地・反米感情の高まりを恐れた日米両政府によって沖縄に移され、「隔離」された。復帰後の1976年にも、沖縄県民の反対を押し切って岩国から部隊が移駐している。一方、日本政府は1972年、在沖海兵隊の撤退の動きがあった時にはこれを引き留めている。1995年の少女暴行事件後も、米国側が米軍の撤退や大幅削減や本土移設の選択肢を検討した際、日本政府がこれらを望まず、普天間飛行場の県内移設につながっていったと、交渉に当たったモンデール駐日大使(当時)が証言している。

モンデール氏はさらに、「普天間の撤退は代替施設を見つけるのが条件だった」が、「私たち(米国側)は沖縄、辺野古とは言っていない」し、「基地をどこに配置するのかは日本政府が決めること」だから、「彼ら(日本政府)が別の場所に置くと決めれば、私たちの政府はそれを受け入れるだろう」とまで述べている(琉球新報、2015年11月9日付)。これに対応して、梶山静六官房長官(当時)は、普天間の代替施設は本土に置こうとすると必ず反対運動が起きるから、どうしても名護市に受け入れてもらうほかはない、と書いていた(毎日新聞、2016年6月3日付)。

また、2012年2月、米軍再編の見直し協議のなかで、米国政府が在沖海兵隊約1500人の岩国基地移駐を打診してきたが、山口県や岩国市の反発を受けて当時の野田政権がこれを拒否した。最近では、沖縄県民の圧倒的な反対のなか普天間飛行場に強行配備された米軍の垂直離着陸機オスプレイについて、その訓練の一部を佐賀空港に移転する計画が、地元の反対を理由に安倍政権によって取りやめられた。これらの経緯から分かるのは、沖縄への米軍集中がまさに政治的に作られたものであること、そして日本政府は「本土」の利益のために、沖縄への米軍隔離を望んできたことである。

沖縄への基地集中の主な理由が政治的理由であるならば、日本政府の政策を支持・容認している「本土」の国民は、その当事者であることになる。抗議する人々を暴力的に弾圧してまで辺野古新基地や高江ヘリパッドの建設を強行する安倍政権の背後にも、安保体制を支持しながら基地の負担とリスクには頬かむりしている「本土」の国民の存在がある。昨年4月に起きた女性暴行殺害事件に抗議する沖縄県民大会(6月19日)で、スピーチに立った玉城愛さんが、安倍首相だけでなく「日本本土にお住まいのみなさん」も「第二の加害者」であり、「しっかり沖縄に向き合っていただけませんか」と述べたのも、この意味であろう。

「本土」の国民は、日米安保体制を当面維持しようとするならば、あるいはまた、近いうちに終了させるという見通しが立たないならば、辺野古の工事の即時中止を要求するだけでなく、普天間基地の固定化にも反対し、その返還のために「県外移設」の選択肢を提示すること、政府に「県外移設」の可能性を徹底的に追求するよう要求することをもって、応えるべきだと考える。

「県外移設」は鳩山政権が追求して無残な失敗に終わったではないか、と言う人もいるかもしれない。たしかに鳩山首相は、県外移設実現のための準備と手腕を欠いていたし、何よりも論理に欠けていた。県外移設の正当性を国民やメディアに向かって説くことができなかった。実は、「県外移設」による沖縄の「負担軽減」を打ち出したのは、鳩山首相が初めてではない。

2004年10月、沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故後の状況で、小泉首相が「本土移転」を呼びかけ、当時の稲嶺沖縄県知事が期待を表明したが、受け入れる自治体がなく立ち消えになった。だがこうした経緯は、「県外移設」の不可能性を示すのではない。むしろ、自民党政権でも民主党政権でも首相が方針を打ち出すことは可能であり、有権者・国民の支持さえあれば、それをバックに米国側と交渉することも可能であることを示していると言えるだろう。

3.基地引き取りと安保への賛否

では、日米安保条約に反対する者はどうなるのか。「安保反対」は、戦後日本で社会党・共産党など革新勢力が唱えてきたスローガンであり、世論調査で相当の支持を得ていた時代もあったが、近年では一割前後の支持しか得られていない。先に記したように、共同通信社の「戦後70年全国世論調査」ではわずか2%にまで支持を落としている。しかし今日でも、反戦平和運動では「米軍基地は沖縄にも日本のどこにもいらない」というアピールが行われている。普天間基地については、県内移設はもとより県外移設も許されず、無条件撤去しかないという意見になる。

反戦平和運動の観点からは、この立場は理解しやすい。軍事に原則反対の平和主義からすれば、軍事基地は沖縄にあっても「本土」にあっても当然反対すべきものとなる(自衛隊基地も)。そのうえ日本には、「戦争放棄」のみならず「戦力不保持」も定めた憲法9条がある。米軍の日本駐留は憲法違反の疑いがある。

私自身、「平和国家」を標榜する日本に多数の米軍基地を置くのはおかしいと考える。基地被害のみならず、「日米同盟」という超憲法的体制が日本政府に「対米従属」的な政策をとらせ、多くの問題を引き起こしている。何よりも、在日米軍基地から海外の紛争地域に米軍が出撃し、戦後日本は朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、「対テロ戦争」、イラク戦争などで事実上米軍に加担してきたことである。こうした状況から脱するために、私も日米安保条約は解消すべきだと考える。米国とはあらためて平和友好条約を結び、米国依存を脱して近隣諸国との信頼醸成に努めながら、東アジアのなかで安全保障秩序を構築し、軍事的緊張を縮減していくことが肝要だと思う。

しかし、革新勢力が何十年と「安保廃棄」を唱えてきても、安保支持は減るどころか漸増を続け、今や8割を超え9割に達しようとしている。反戦平和の立場であっても、こうした状況で直ちに「安保廃棄」が見通せない限り、「安保廃棄」が実現するまでは、「県外移設」によって沖縄の基地負担を引き受けるしかないのではないか。「沖縄にいらない基地は日本のどこにもいらない」というスローガンは、「県外移設」を求める沖縄の側から見れば、「本土」の側の「県外移設」拒否宣言に聞こえる。

実際、反戦平和運動は、「沖縄にいらない」米軍基地は「日本のどこにもいらない」のだから、「本土」のどこにも移設すべきではないとして、「県外移設」に冷淡な立場をとってきた。その結果、「本土」には許容できる地域がないから「県外移設」はできない、という政府の立場に近づいてしまうのだ。日米安保条約をいつまで続けていくのかは、いずれにせよ、「本土」の8000万有権者の意思にかかっている。日本の反戦平和運動は、「安保廃棄」をめざすなら、「県外移設」を受け入れた上で、「本土」で自分たちの責任でそれを追求するのが筋である。

沖縄の米軍基地の「本土」への引き取りは、日米安保条約の解消をめざすことと矛盾せず、両立する。基地引き取りの目的はもとより沖縄差別の解消である。しかし私は、安保条約解消のためにも、基地引き取り論の提起が必要だと考えている。1950年代当初、米軍基地の「本土」対沖縄の比率はおよそ9対1であったが、やがて「本土」の基地縮小や海兵隊の沖縄移駐等で「本土」の基地が激減し、60年代初めには1対1に、70年代半ばにはほぼ1対3となって現在に至る。

注目すべきは、「本土」の基地が減り沖縄の負担率が上がるのと、日米安保支持率の上昇がほぼ並行していることである。米軍基地が沖縄に「隔離」され、「本土」住民の大部分からは見えないものになったからこそ、「本土」住民は安んじて安保体制を支持できるようになったと考えられる。米軍基地問題は「沖縄問題」だという固定観念が生まれ、「本土」住民は当事者意識をなくしていった。基地引き取り論は、沖縄の米軍基地が安保体制下では本来「本土」にあってしかるべきこと、安保条約を支持する「本土」住民こそ問題の当事者であることに直面させる。自分たちが負担とリスクを引き受けるか、それが嫌なら安保条約を見直すか――この選択肢の前に立たせる。有権者の圧倒的多数が安保支持である限り、日本政府が安保条約解消に向かう可能性はまずない。日本政府を安保解消に向かわせるには、安保支持8割の世論に働きかけ、これを変えなければならないが、基地引き取りの提起はその有力なきっかけとなるはずである。

「県外移設」=「本土」引き取りは安保条約を「容認」することになるから反対だという議論も、反基地運動のなかではよく聞かれる。しかし、問題解決のプロセスのなかで安保条約を「前提」せざるをえないことと、安保条約を「容認」することとは違う。安保条約に賛成するのであれ反対するのであれ、安保条約が事実として存在し、それを前提として現実が動いている以上、基地問題について対応しようとすれば、誰もがそれを前提として動かざるをえない。それを安保条約の「容認」だと言って拒むならば、たとえば日米地位協定の改定にさえ反対せざるをえないだろう。米軍兵士の凶悪犯罪が起きるたびに叫ばれる差別的な地位協定の抜本改定について、それは安保条約を「容認」することだからと言って反対するのだろうか。

またたとえば、95年の少女暴行事件の翌年、大田昌秀知事の沖縄県が日米両政府に提出した「基地返還アクションプログラム」を考えてみよう。沖縄をアジア太平洋地域の「国際交流拠点」とする「国際都市構想」を実現するため、2015年までに沖縄の全米軍基地の「計画的かつ段階的」な返還をめざすという画期的な内容だった(2001年までに10の基地、2010年までに14の基地、2015年までに嘉手納基地を含めて17の基地すべてを返還)。だがこれは、日米安保条約解消を前提としたものではない。日米安保の存続を前提しつつ、沖縄の基地について全基地撤去をめざしたものである。安保条約の解消をめざす者は、このような案さえも安保条約を「容認」するものだからと言って、これに反対すべきなのだろうか。沖縄からの全基地撤去が決まった場合でも、安保条約のもとで「本土」の基地が存続する限り認められない、と言うのだろうか。

繰り返しになるが、私自身は日米安保条約解消をめざすべきだと考える。「本土」の有権者が「県外移設」=基地引き取りに向き合うことは、そのための道筋としても必要であり、大きなきっかけになるものと考えている。しかし、「県外移設」=基地引き取り自体は安保解消を前提とするものではない。「本土」の日本人は、安保賛成であればその政治的選択に伴う責任、米軍基地存置の負担とリスクを引き受けなければならない。

安保反対であっても、沖縄への異常な基地偏在という差別構造を残したまま、反戦平和だけを言い続けることはできない。日米安保条約をどうするかは、沖縄に押しつけられた米軍基地を、安保体制下では本来それがあるべき「本土」に戻したうえで、日本全体で決着すべき問題なのである。

※本稿は、反差別国際運動(IMADR)編『日本と沖縄 常識をこえて公正な社会を創るために』(解放出版社、2016年)所収の拙稿「なぜ『県外移設』=基地引き取りを主張するのか」に、若干の加筆修正を加えたものである。

たかはし・てつや

1956年福島県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得。専攻は哲学。南山大学講師等を経て、東京大学大学院総合文化研究科教授。著書に『逆光のロゴス』『記憶のエチカ』『デリダ 脱構築』『戦後責任論』『歴史/修正主義』『証言のポリティクス』『反・哲学入門』『教育と国家』『靖国問題』『犠牲のシステム 福島・沖縄』など。

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