論壇

問われる未来社会へのイニシアチブ

大阪府知事・市長ダブル選挙の結果を読む

橋下現象研究会 水野 博達

2015年11月22日の行われた大阪府知事・市長ダブル選挙は、下記の投票結果となった。

結論から先に言えば、この結果は、現状の政党間の組み合わせに頼っていては、新自由主義的政治勢力との闘い、あるいは、経済成長幻想に絡み取られる「民意」を変え、私たちの未来を拓くことができないことを示している。私たちは、2016年を「やり直し」のための出発の年としなければならないであろう。

(大阪府知事)投票率45.47%  
  松井 一郎2,025,387票投票率約64%
  栗原 貴子1,051,174票 約33%
  美馬 幸則84,762票  
(大阪市長)投票率50.51%  
  吉村 洋文596,045票投票率約56.4%
  柳本 顕406,595票 約38.5%
  中川 暢三35,019票  
  高尾 英尚18,807票  

官邸筋の「改憲戦略」が反維新勢力を分断

まず、簡単に投票の分析を行うことにする。

大阪府知事候補の松井(おおさか維新)の今回の得票は、2011年のダブル選・200万6195票にわずかにプラスであった。しかし、2015年4月の統一地方選挙の大阪府議の維新候補の得票・127万票をはるかに上回る票を獲得している。

反維新の府知事候補・栗原は、2011年のダブル選における倉田(自民・民主推薦)梅田(共産党推薦)両候補の合計得票・158万票から53万票近く落とし、2015年4月の統一地方選挙の自民、公明、民主、共産の合計得票・157万票からも同程度下回っている。

また、大阪市長候補の吉村(おおさか維新)の得票は、2011年のダブル選の橋下票75万813票の約79.4%の得票であった。大阪市の解体・分割を問う「都構想」を巡る大阪市住民投票における賛成票は、69万4844票で、その約85.8%であり、そのどちらにも大きく及ばない。しかし、2015年4月の統一地方選挙の維新の市議候補の得票合計・約37万500票に、20万票以上を上乗せした。

反維新の大阪市長候補・柳本は、2011年のダブル選の平松市長候補(自民、民主、共産等推薦・支持)の52万2641票の約77.8%(約22%減)であり、住民投票の反対票・70万5585票の57.6%しか獲得できなかった。2015年4月の統一地方選挙の市議選での自民、公明、民主、共産の合計得票約58万票にもはるかに及ばない結果であった。

大阪府知事選に端的に表れたが、安倍政権=官邸の改憲への「政治戦略」がこのダブル選挙の裏側で進行したことである。栗原候補は、女性であり、しっかりしており、清潔感があって真面目な人柄ではあるが、府知事候補としては、自民党の中でも未知の候補であった。それを強力に押したのは、慣例を破って自民党大阪府連会長となった中山泰秀衆議院議員(4期)であった。慣例によれば、衆議院議員5期の北川知克議員が会長に就任するはずであったが、異例の投票で会長選出が行われた。中山会長は、官邸筋の意向である自民党候補の「一勝一敗」でよしとする「ささやき」、すなわち「知事は勝てない候補を立てる」という線に沿って、ダブル選に臨んだのである。結果、自民党や公明党支持票の多くが松井候補に組織された。

「一勝一敗」でよしとする「ささやき」、つまり、おおさか維新に塩を送る官邸の意向は、自民党の分断のみならず、与党・公明党を揺さぶる戦術でもある。「公明さん、政治的パートナーをおおさか維新に組み替えもありますよ」という改憲を政治的な至上目的とする安倍自民党の恫喝である。この作戦が、府知事選挙では、貫徹した。

2015年5月の住民投票と11月ダブル選

ところで、2011年のダブル選の投票率は約60%、2015年5月の住民投票では約67%であった。住民投票の反対票の70万5585票は、2011年のダブル選での平松候補の得票52万2641票に、有権者の約8%の票を上乗せした数に近い。住民投票の反対票は、2011年のダブル選の平松候補の得票数に、増加した投票率の増加分(=約7%)+αなのである。

つまり、住民投票では、2011年のダブル選で自民、民主、共産が推薦・支持であった平松市長候補が獲得した票より8%上積みということは、住民投票では、自民支持層のかなりの%(30~40%とも言われる)が、都構想賛成に回ったと言われていることを踏まえると、公明党支持層のほとんどが反対に多く回ったということだけでは説明がつかない。首長や議員の選出の選挙と違って、住民生活の将来を左右する地方行政の在り方を問う投票では、政党の支持・不支持を超えた住民の意思がストレートに組織できる。そのため、より多くの人々が賛否を問う活動に参加する。その結果、一般の首長・議会の選挙よりも投票所に向かう人は多くなり、民意がより反映されることになる。政策・政治方針を住民が選択する直接民主主義の効果によって、政治意思を多くの人が投票で示したからである。

さて、今回のダブル選では、先の官邸の改憲戦略とともに自民党本部も巻き込みながら、5月に示されたオールおおさかの反都構想・反橋下維新の「民意」を分断し、解体することが画策された。

市民団体などでは、この選挙でも5月のオールおおさかの反維新の流れを持続させようと支持政党の違いを超えて共同の活動を始めた。しかし、自民党本部、府連は、無所属で立候補した柳本候補を自民党の候補者として囲い込み、他の政党、市民団体から隔離する方針を強行した。柳本卓司衆議院議員が共産党系集会へ参加したことを方針違反などと処分をチラつかせたり、柳本候補の宣伝カーには他党の応援者を乗せなかったりと、住民投票で形作られた共闘・協同の関係をぶち壊すことに奔走するあり様であった。

また、柳本候補(栗原候補も)の政策は、リニアと北陸新幹線の大阪同時誘致などアベノミクスなどの成長戦略の具体化と見紛うばかりのもので、基本的におおさか維新の政策と異なることのないものであった。「東京一極集中の是正を目指す。首都圏に匹敵する都市圏を京阪神に築く近畿メガリージョン構想」(10月6日、朝日新聞)を掲げ、「違いはトップダウンの独断的な手法か、話し合いと熟議で『まっとうな政治』か」という手法の問題だと中山府連会長は主張し、候補者もこれに同調する演説が多く見られた。他方、吉村は、「私は、橋下市長ではない。吉村です。市会議員の経験をいかし、議会や関係者と話し合いをしながら政策を進めていく」と語り、橋下は「吉村は、私の欠点を超えていく立派な政治家」とフォローする演説を展開。維新=独裁政治の批判を消し込みにかかった。

こうなれば、オールおおさかの意思をバックにした柳本候補に投票する意味が消し込まれ、柳本に投票することは、安全保障法制を強行し、憲法を改悪しようとする自民党を支持することになるのでは、という迷い・疑問が生まれる。その結果、多くの人々を「棄権」へと導くことになった。

<過去に戻すのか、前に進めるのか>の破壊力

官邸や自民党本部・府連の分断策だけでなく、維新の側のダブル選挙のキャッチコピー「過去に戻すのか、前に進めるのか」の果たした役割について検討する。

住民投票では、反対派は、We say no ! を合言葉に、自民、共産、民主、社民の政党を軸に商店会連合、医師会などの業界団体、地域の地縁的な連合町会、労組、そして様々な市民や女性の運動団体が折り重なるように活動を展開した。活動が禁じられた創価学会をバックにした公明党も、この協同した動きに押されるように市会・府会議員を中心に独自の活動を進めた。橋下・維新対オールおおさかの闘いとなったのである。

反対派は、昔から浪速の街に定着してきた住民層、あるいは、組織労働者を組織した。公明党・学会は、高度経済成長期に大阪に移住し公営住宅に集住してきた階層の1世、2・3世を反対の側に組織した。住民投票の結果は、賛成多数は、市内北部、反対多数は、南部と西部・沿岸部であった。この結果を島和博(大阪市立大人権問題研究センター)が、5月27日の橋下現象研究会の討論会で、国政調査のデータに基づいて、こう分析した。

「賛成の多い区は、これまで比較的裕福な階層の住む地域、あるいは、新しいマンションの立ち並ぶ地域を多く含む。投票結果に表れた大阪市民の「南北対立」は、実は、富裕層と浮遊的な新住民(新中間層へ上昇志向の強い層)と、これに対する組織労働者、ブルーカラー層及び経済成長の恩恵にあずかることの少なかった階層、そして、中小工業・商店主などの「浪速定住民層」の対峙する「民意」の構造を掘り起こした」と。

つまり、高齢者と若者との世代間の配分を巡る対立というよりも、衰退する大阪市(社会)を一度ブチ壊し、成長軌道に乗せる「改革」をやってくれそうなリーダーとして橋下を支持・支援する層が賛成し、それは、少し危険だと感じた層は、反対に回ったのであり、20代の若い層でも反対に回った層は多い。ただ、世代的にいえば、30代から50代の住民の多くは、新自由主義的考え方に共鳴する生活感覚が積み上がっている世相の反映であった。*詳しくは「<橋下劇場>と若者/新自由主義」(本誌No,5)

しかし、橋下・維新の会の性急な「改革」なるものに危険性を感じて「反対」に回った人々の内で、来たるべき未来の像が描かれていた訳ではない。この弱点を突き、おおさか維新の会へ票を引き込む扇動のスローガンこそ「過去に戻すのか、前に進めるのか」であった。

「過去に戻すのか」の「過去」とは、人びとにとって自民党の金権政治であったかも知れない。あるいは、議会と大阪市行政のなれ合いによる天下りの横行などに象徴される杜撰で非効率的な行政運営、公務員や労組、地域の保守層を代表する町内会、さらには医師会などの業界団体の既得権等の悪しき伝統と感じたかも知れない。大阪経済の地盤沈下がズルズルと続いてきた過去であったかも知れない。

いずれにしても、過去及び現状の大阪がそのままでいいと思っている住民は、いないであろう。何らかの改革が必要であると感じているはずである。自民党の「東京一極集中の是正を目指す。首都圏に匹敵する都市圏を」という政策とおおさか維新の政策との違いをほとんど見ることができないとすれば、はっきりしない自民党のキャッチコピー「まっとうな政治」は維新の改革・政策を「前に進める」という未来志向に聞こえる訴えが勝るのは明らかであった。

都構想反対の「オールおおさか」から社会民主主義的ヘゲモニーへ

官邸と自民党本部・府連の柳本候補を自民党の候補者として囲い込み、他の政党、市民団体から隔離してオールおおさかの反維新・反都構想の流れを分断する作戦と、維新の「過去に戻すのか、前に進めるのか」という攻勢に敗北させられた大阪市民の「都構想反対」票とは、何であったのか。

本誌のNo,5で、筆者は、莫大な税金と政党助成金をつぎ込んで実施された、あの5月の「大阪市を廃止し、5つの特別区を設置する」住民投票の性格・意味について、次の様に述べた。

第1に、金力と権力の装置として機能するマスメディアに対して、金力も権力も持たない市民が、大阪の未来を自らの手に握り返すための闘いだ。

第2に、「二重行政の無駄をなくす」という彼らの主張の本当の目的と狙いが何かを市民が自らの頭と心で考え感じ、未来の大阪の市民の生活、あるべき大阪の街のあり方を考え、広く議論を始めることに大きな意味ある。

第3に、以上から、原発や軍需産業とつながる大企業中心の首都圏の政治・経済・文化のあり方とは異なる中小企業・平和産業が中心の大阪・関西の明日を、つまり、アジアとの友好が大切な産業・文化のあり方を明らかにし、その先に日本の未来のあり方を市民が考えていく出発点を作ることである。

このような住民投票に関わった私たちや多くの人々の願いや意思は、ダブル選挙で分断され、萎んでしまった。政党間の組み合わせでいえば、自民党の候補を共産党も民主党も社民党も支持・推薦して闘われたこの間の大阪における政治状況は、歴史的にも、政治思想的にも大いに検討に値するテーマである。戦前のヨーロッパの経験である反ファッショ統一戦線戦(共産党と社民勢力を中軸にした民主主義勢力の共同)とも相違点があるからでもある。

沖縄の翁長県政を勝ち取った「オール沖縄」と同じ様に、大阪でも、従来の保守・革新の違いを超えた共同の可能性追求を主張する論調も一部にあるが、筆者は、現状では、これには組みしない。

沖縄における「オール沖縄」は、その推進主体が明確である。従来、基地に依存しなければ生活がなり立たないという沖縄の日米両政府による軍事属領支配構造に対決して来たのは、沖縄民衆の反戦・平和、人権と沖縄の歴史的アイデンティティであった。しかし、今日、従来の基地依存経済を受け入れる勢力は、大和中央政権と結び着いた『土建屋的勢力』のみに追い込まれている。沖縄の多くの資本家、労働者、農民、中小商業者らは、基地依存経済、すなわち日米両政府による軍事属領支配は、沖縄の経済発展を阻害するものであり、沖縄民衆の人権と歴史的アイデンティティを抑圧するものであると感じている。この経済的・社会的・政治的・文化的構造こそが、翁長県政を樹立し、支えている「オール沖縄」の推進主体である。(*1月24日の宜野湾市長選挙に結果は末尾の補論参照)

他方、オールおおさかで闘った住民投票では、市民病院や大阪市営地下鉄・バスなどの民営化と福祉・教育などの住民サービスについては論点に押し上げることができた。しかし、住民投票後、橋下・維新は、敗戦の「白旗」を掲げながら、「総合区制に賛成する」といって自民党にすり寄り、市営地下鉄・バスの民営化等の民営化路線、府大・市大統合政策等に自民党を引き入れ、住民投票で出来上がった反維新・オール大阪の体制に楔を打ち込む策動を活発に展開した。経済成長・民営化路線への巻き返しであった。

また、労組活動の排除・弾圧と「入れ墨調査」に見る人権無視、「慰安婦発言」などの性奴隷容認・女性蔑視、誤った歴史認識など数々の非道な言動に対する批判が人々の間で広く検討されることはなかった。つまり、労働者の権利や外国人を含めた住民の人権などを守り・拡充を求めてきた労組と各種人権団体は、その本来的な主張と役割・機能を十分発揮できていないのである。要するに、「橋下現象」「橋下劇場」を終わらせる社会民主主義的労働者のヘゲモニーが働いていないのである。

確かに、新自由主義勢力が全世界で政治的に跋扈して来た結果、従来と異なる政治的流動が巻き起こっている。日本では、排外的なナショナリズムと結びついた新自由主義と、いわば、ソフトな新自由主義的な民主主義勢力(民主党内および資本家階級の一部)や柳本に代表される『地方土着的自民党』との間に政治的相違が生まれている。このズレ・間隙に介入する以外に、独裁的な「ナショナリズムと結びついた新自由主義」と対抗する術を持たない今日の民衆の政治的な力・位置を直視することが必要である。だから、このわずかな間隙をこじ開けることができるテーマ・課題で、従来の政治的な対立の枠組みを超えた大胆な統一戦線・共同行動の実践は重要である。この点は、筆者も強調しておきたい。

しかし、新自由主義的グルーバリズムと格闘できるプロレタリア・ヘゲモニーの再生が求められていることを強調したい。「過去に戻すのか、前に進めるのか」と恫喝されたり、問われたりした時、「過去」とは、「万人の万人による競争」を激化させ、格差と差別を拡大する新自由主義であり、高度経済成長の時代の残照である「経済成長神話」による生活感であると、人々が答え得る状況を生みだす力である。「前に進める」とは、過去の経済成長の夢の再現ではなく、自治と連帯の社会建設であると答え得る人々の結びつきである。

そのような状況を生みだす主体的なヘゲモニーとは、使い捨てにされる非正規労働者、切り捨てられる高齢者・障碍者、シングルマザー、単身親の世帯、日本社会から差別・排除される在日・滞日外国人の利害を自らの利害と受け止めるヘゲモニーであり、原発に象徴される生命倫理を顧みない近代の市場主義・効率第1主義・開発主義・科学信仰への批判的ヘゲモニーであろう。筆者は、これを今日的なプロレタリア・ヘゲモニーであると主張する。

2016年は、私たちの活動の「やり直し」のための出発点の年としなければならない。

*補論~宜野湾市長選挙で佐喜真候補(現職)勝利について

この選挙(1月24日)で、宜野湾市民は、世界一危険な普天間基地を一日も早く廃止・撤去して欲しという願いをどの回路で実現するのかという選択を突き付けられた。新人の志村候補は、「辺野古への移転反対」(=基地の沖縄内でのたらい回しは許さない=日米安保による軍事属領支配に反対)という回路を通じて、佐喜真候補は、それは棚上げにしてでも、一日も早く基地撤去⇒宜野湾市中心部の再開発による繁栄をという基地経済から脱却する回路の立場を取った。つまり、経済発展の回路(=基地経済から一刻も早い脱却)と沖縄の歴史的アイデンティティが対立させられたのである。選挙という形での政治意識の表出を行う場合、実際に、<沖縄の歴史的アイデンティティ>に依拠して普天間基地を撤去させていく回路は、現状では、まだ明確な像を描けていない。公選法の枠内での選挙では、現に基地をなくさせる力が、沖縄の民衆自身にあるのだという歴史創造の主体的な姿を可視化し、人々を経済幻想から歴史主体へと覚醒させる<強制装置>が民衆側からは奪われているのだ。歴史的分岐点では、民衆の日常的生活感覚の中に埋もれていて、まだ見えぬ未来の展望への合意を作り出すためには、基地を実力で包囲して示したような<強制装置>の存在とその政治滝意志の顕現が必要であったかも知れない。沖縄民衆の基地依存経済から脱却という共通の願いを現実して行く上で、権力者によって分断される地域毎の利害対立、民衆の日常生活感の中で分散させられている多様な現世的価値観を超えていくヘゲモニーの形成がやはり重要であることを教えられた選挙であった。

その上で、筆者は、佐喜真候補が20~40代で志村候補をリード、とりわけ30代で67%の得票を得たことに着目したい。若い世代の「現世的利害優先」という傾向は、沖縄における新自由主義的感性の一種であるかどうか、検討してみる価値がある課題であろう。

みずの・ひろみち

名古屋市出身。関西学院大学文学部退学、労組書記、団体職員、フリーランスのルポライター、部落解放同盟矢田支部書記などを経験しその後、社会福祉法人の 設立にかかわり、特別養護老人ホームの施設長など福祉事業に従事。また、大阪市立大学大学院創造都市研究科を1期生として修了。現在、同研究科の特任准教授。大阪の小規模福祉施設や中国南京市の高齢者福祉事業との連携・交流事業を推進。また、2012年に「橋下現象」研究会を仲間と立ち上げた。著書に『介護保険と階層化・格差化する高齢者──人は生きてきたようにしか死ねないのか』(明石書店)。

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