特集●終わりなき戦後を問う

「アベ」の暴走とメディアの実相

二度と戦火に手を貸さない決意と報道を

「ジャーナリズム研究・関西の会」 森 潤

メディアの使命と属性

年初早々の北朝鮮・水爆実験に続き、イラン、シリアなど中近東の小競り合いで、今年も不気味な国際情勢が展開されている。いつになったら、侵略や排除の無い国際秩序が保たれるのか、期待と不安は絶えず、交錯するばかりである。

政治や外交、経済などの実態は一般国民にはなかなか分からないし、掴めない。直近の危機となった原油や鉱石などの確保や備蓄は大丈夫なのか。TPP(環太平洋連携協定)の関税撤廃による日本への影響はどうなるのか。

いやそれよりも、人口減と超高齢化の時代に入った現在、直面しているさまざまの課題に、きちんと対応できるプランが策定されているのか、といった多くの問いに、為政者は答えてほしいのである。それを引き出し、チェックし、分析・追及していくのがメディアの役割であり、使命なのである。

だが、読者、視聴者のメディアに対する信頼度はどうであろうか。胸を張って答えられるメディア人は、ほとんどいないのではなかろうか。メディアへの不信の声は高く、強いのだ。

昨年末、東京の民間メディア研究団体が「NHKの政治報道は政府寄りの偏向が強い」という視聴者調査の報告書を公表した。メディアが政権の代弁者と化すのは自殺行為、というのは不文律の戒めだが、公共放送を高言するNHKだけでなく、民間放送を含め、すべての媒体が守らなければならない自律、自戒の信条である。だがそれが巧妙に破られ、誤魔化され、カムフラージュされているのがメディアの現実ではないか。

メディアの怠慢、メディアの驕り、メディアの無自覚・・・・毎日の主張、報道の姿や中身に、劣化する危機と転機を、多くの読者、視聴者は見抜き、感じとっているであろう。

人々は、意思を交わしあう営(いとな)みのコミュニケーションで共生している。その媒体がメディアであることはご存知のことだが、大量の情報を一方的に、時には意図的に撒き散らすのがマス・コミュニケーション(マス・コミ)であり、その媒体がメディア(肥大化してマス・メディア)である。現代では高度な処理設備と技術を持って駆使し、司法、立法、行政と並ぶ〝第4の権力〟とも呼ばれている。

マス・メディアの主人公といわれる新聞・雑誌の言論メディアはいまやテレビやインターネットに追い越されつつある。同時性、即応性の映像や言葉にはかなわないからである。共感や反対、怒りや笑いや涙を誘い、思考力をふやし、育てるのは、視覚による目の前の媒体の理解力だ。それらは、有効かつ強力である。このことは有益に働かないメディアの属性の一つと声を大きく指摘しておきたい。

年初の「社論」(社説)を読む

戦後70年となった昨年、初頭の各紙の社論(社説)はさまざまだった。「朝日」は「過去と向き合う未来志向で武力行使や武器輸出はせず、平和主義の歩みこそ・・・・」と説いた。「毎日」はフランスの経済学者トマ・ピケティの近著を引き「資本主義の疲労を克服するための試論を」と呼びかけた。「読売」は「未来志向で歴史と平和語ろう」と4段大見出しの囲い。慰安婦問題は誇張だ、と反論を促し、5月の安倍首相談話に期待を寄せた。「日経」は戦後70年の言葉も内容も無く、全文、経済一辺倒の姿で、「世界経済の変化を見据えて改革を」の主見出しだった。

これら商業紙に対し「しんぶん赤旗」は「被爆70年の新年」を小見出しに「核兵器ない世界への転機に」の主見出しで、原爆の恐怖と悲惨さを訴え、元日に被曝を詠んで平和への思いを示された平成天皇とともに読者の心に迫った。

そして今年2016年。1月1日付の社説で目をとらえたのは「読売」。3面に朝、毎、日経3紙の倍以上のスペースを取り、1段15字詰め221行。3300字を超える大論文である。「世界の安定へ重い日本の責務」の4段主見出しに「成長戦力を一層強力に進めたい」の副見出し(3段)。「対テロ連携が急務に」「安保法制の有効運用を」「家計と企業の不安除け」「政権安定度占う参院選」の小見出しが4本。イスラム国の脅威からEU、米国、中国、医療、農業、金融、電力など直面している諸問題を多彩、多弁に論じているが、安倍政権への後押し、声援が本心と読める。憲法改正には具体的な議論を促しているが、まず社説で検討を示してほしい。横目眺めは無用である。

次に「毎日」。1950字を超す122行(1行16字)。「2016年を考える 民主主義」とテーマ見出しで飾り、主見出しは「多様なほど強くなれる」(3段)と訴え、「社会の分断をどう防ぐ」「二つの潮流の分かれ目」の小見出し。「国の未来に多様な選択肢が提示され、公平・公正な意見集約が行われる社会。その結果としての政策決定に、幅広いコンセンサスが存在する社会。それが民主主義が機能する強い社会」と呼びかけている。「国民が決定の主役」と支え、「メディアも公平・公正な報道で一翼を担う」と誓っている。

「朝日」は「分断される世界」の細見出しの下に大きく「連帯の再生に向き合う年」の3段大見出し。「地球が傷だらけで新年を迎えた」とショッキングな書き出しの本文は137行1918字(1行14字)。「民族や宗教、経済、世代・・・。あらゆるところに亀裂が走っている」と分断線を指摘。その修復のために新しい連帯を、と主張。避難民などの国際状況から、OECD加盟国の所得格差、富の集中、沖縄の米軍基地による日本の分断・・・・。「社会の分断は民主主義の脅威」として「そこに付け込まない政治や言論を強く」と教示している。

経済紙の「日経」は「日本経済 生き残りの条件」の主題小見出しに主見出しは「新たな時代の追いつけ追い越せへ」(3段)と“かけ声調〟。3年前、安倍内閣がかかげた成長戦略は進まず、目標とした先進国での3位どころか、現在は34位に下がっていると警告している。人材の育成を怠り、企業の国際競争力の低下などが原因である。そこで外国にモデルを求め、内を改め、世界に伍して進め、と指差している。

ついでに、読売と共に安倍政権べったりの「産経」を見てみると、論説委員長の署名入りで「首相はすでに長期政権への道を踏み出している。日米の底力を発揮できる環境を整え、懸案解決にあたってほしい」と励まし、「日米に空白を作るな」といましめている。

社説を読む読者は、社によって異なるようだが(20%~30%とみる研究者が多い)、海外の政府関係者やメディアの関心は高いようである。社説は、その社の姿勢であり、本心である。高論、巧言、策論、暴論・・・。さまざまな表現でとりつくろったり、構えたりしているが、読者はその本音を掴み、読み取ることである。社説に反発し、批判、抗議される読者は少なくない。ただ特定、少数者に限られているのが現状である。欧米では社論への批判、提言など読者の反応は広く、多いということだ。紙面は経営者、編集者だけのものではない。紙面は公器である。読者が参加し、意見をたたかわして世論を形成、伝達するものなのだ。

全国紙は部数減 自戒せよNHK 沈黙はメディアの自壊

2015年から16年のメディアの現況について東京大学の水越伸教授はこう述べている。

「スマートフォン(スマホ)とタブレットが引き続き浸透。パソコンがデジタル・メディアの主役の座を降りて久しい。小さな画面に接触する時間が急増した一方、テレビの視聴時間は短縮した。NHKは民放の比ではない番組企画力を発揮するが、ニュースは政府与党の意向をくんだ情報ばかりが目立った。新聞はまれにみる発行部数減を記録した。誤報問題のあった朝日、泥仕合をしかけた読売も大きく下落した」(現代用語の基礎知識2016)。

替って、メディアを批判的に吟味するメディア・リテラシーが今年は本格的に高まってくるだろう、と予測される。同時に、一般市民がインターネットなどで市民団体やNPO組織、大学、研究機関などと交流する言論活動も盛んになると期待が寄せられている。

2015年9月度の全国紙部数は次の通りである。(公的調査ABC部数。かっこ内は前年比)。読売910万2千(-14万)。朝日678万1千(-43万2千)。毎日323万8千(-5万8千)。産経160万(-235)。日経273万1千(-3万5千)。細かい数字は避けたが、各紙とも全国的に減っている。日本全国で購読できる全国紙に対し、複数県域を地盤とするブロック紙(北海道、中日、西日本)の3紙は全国紙を呑む勢いだし、県域に支えられる多数の県紙はさらに自信を持って発行している。全国、ローカル紙とも共通の悩みは、若手読者の減少である。もっとも購読は親世代で、それを家族読みしているわけだが、世代交代で新規読者が減少しており、さらに複数紙購読の読者が激減、固定読者の確保で競合している現状である。

欧米でも新聞産業の崩壊が進んでいるが、活字情報はますます敬遠され、映像と音声の“眺めて楽しく、伝えてうれしいメディア〟つまり、インターネットやミニ・コミュニケーション(ミニ・コミ)によるメディア・ジャーナリズムが定着していくとみられている。日本では、NHKに対する政府の対応に臆せず注目していくことだ。

年間予算約6800億円のイギリスのBBCと並ぶ世界最大級の公共放送NHKは地方局約50局、テレビ4波、ラジオ3波を持つ巨大放送だ。政権に近い人物が経営委員に選ばれ、現会長も安倍首相の推薦だったと報じられた。民放とはケタ違いの規模と番組内容を誇るし、視聴者の信頼も厚いが、政権寄りの報道や解説にしばしばひっかかる。これは自戒、自律してほしい。放送の倫理とは、受け手、聴き手の国民の権利と言論、表現の自由を守ることであり、それらの自由は個人や社会から信託されていることを忘れないでほしいのである。

直近のメディア傾向にふれたが、大切なことは過去のメディアの流れと歴史を学び、教訓として活用することである。戦前の活字ジャーナリズムを含め、現在のメディアが、中でも新聞が主張し、果たしている役割とその責任を自覚、認識させることである。

例えば、日米一体化路線をやみくもに突っ走る自公政権に、やりきれない不安と危機感を覚えることは毎日のようになったが、メディアはそれをきっちりと取り上げ、一緒に考えることはしない。常に横目で眺め、評論をくり返すばかりである。それどころか、少数の有力紙やテレビは、政権党の代弁者のように画策したり、先走って報道、解説していることは多くの視聴者、読者が腹立たしく感じていることである。1月下旬にも、総額5兆円を超える防衛関連予算が報じられたが、その使途や明細についてはっきり取り上げたメディアは、政党紙の一部を除いては見かけられなかった。事実を伝えないメディア、沈黙を守るメディア。これでは国民の耳目をふさぎ、唇を閉ざす暴挙である。メディアの自壊といわざるをえない。

アベさん! 挑戦よりも博愛を 

安倍首相は1月4日の年頭記者会見で、現行憲法の条文そのものを変える「明文改憲」にふれ、強い意欲を見せた。10日のNHK「党首インタビュー」番組でも「改憲を考えている」と不退転の意思を示し、護憲派の人たちの怒りを増幅させた。しかしこれらの動きを、どのメディアもあっさり片付け、全国各地の国民の意見や反響を伝えなかった。この日もまた、不思議というより恐ろしくなるようなメディアの偏向姿勢と断じておく。と書いたあと、22日の国会での「首相施政方針演説」を新聞で全文を読み、さらに怒り極まる思いをした。

首相の施政方針演説は、3年間の実績を強調したものだったが、経済、地方創生、1億総活躍社会、外交の4つの重要課題に“挑戦〟する決意を表明、「国の形を決める憲法改正には、正々堂々と議論し、逃げることなく答えを出していく」と一強政党の自信と意欲を示し、演説の中で〝挑戦〟の言葉を21回、〝イノベーション〟を10回も多用した。よほどお気に入りのようだが、その具体的プランの中身は乏しく、ソフトパワー、TPP、アベノミクスの用語とともに、果実のみのりには期待できそうになかった。

余計なことかもしれないが、「おわり」の中で、挑戦者として引用した児童福祉家・石井十次さんは、挑戦者と呼ぶより「博愛者」と呼んで讃えてほしかった。宮崎県出身の石井さんは、岡山市の門田屋敷に、日本で初めて孤児院施設「博愛会」を設立、多くの孤児たちを育てて教育し、社会へ送り出したのである。石井さんを支えたのはキリスト者としての信仰と、多くの人たちの博愛であった。さらに付け加えておきたいのは、博愛会など児童福祉や社会福祉の運営・活動に協力したのは、戦前、戦中、戦後を通じ、地元紙(複数)の報道や寄金などメディアの持続的協力があったことである。

「戦争や震災は、体験した人でなければ、その悲惨さや恐ろしさは分からない」とよく言われる。映像や読み物でその姿やむごさは知っても、自ら傷ついたり身内を失ったりした人には及ばない。戦後70年が過ぎ、戦火の体験者はかなり減った。80歳以上の人でなければ語れないかもしれない。だからこそ、戦争を憎み、拒否するには、語り継ぎ、記録を残しておくことがもっとも大切で効果的なのだ。その主役の一人がやはりメディアである。

1月22日、米国の原子力空母2隻が横須賀基地に配備される、と報道された。F18戦闘機約90機が搭載されて展開する態勢。また最新鋭のステルスF22も12機が横田基地に到着している。北朝鮮の核実験後の緊急配備である。さらに韓国と協議して戦略兵器(原子力空母)を展開する方向だ。中国にも向けた軍事行動だけに米中韓朝のけん制や緊張が高まり、懸念する声は米国内にも広がっている。

昨年、オーストラリヤへの潜水艦や中近東、アフリカ諸国への武器輸出を認めた安倍内閣は、防衛省を中心に三菱重工など武器製造産業と新兵器の製造を打ち合わせていると伝わっているが、その実体や数量などはメディアからは報じられない。国家機密というより取りこまれているからだ。施政方針演説でも安倍総理は防衛問題についてはほとんどふれていない。「自衛隊は積極的平和主義の旗の下、これまで以上に国際平和に力を尽くす」とだけ述べている。ただ「もはやどの国も、一国だけで自国の安全を守ることはできない時代。自国防衛のための集団的自衛権の一部行使容認をふくめ、切れ目のない対応を可能とし、抑止力を高める」と語り、平和安全法制の施行に向けて責任を果たす、と結んでいる。

その本音は、国防費増加、軍備体制強化の日米同盟である。世界第1位と第3位の経済大国による同盟を“希望の同盟〟と名付けたが、米国の軍事産業や財界からの武器売り込みの影が大きく立ちはだかっていることだけは事実である。日米のメディアはそれをどうとらえて読み解き、両国民に明かしてくれるであろうか。かつてのアメリカ2大通信社の機能が弱まり、伝達メディアが劣化しているだけに新聞、テレビメディアの独自報道に待つしかないのである。メディアはそれに答える義務がある。それが仕事なのだから。2度と戦火に手を貸してはならないのである。メディアとその人たちよ。

もり・じゅん

全国紙の大阪本社に長く在籍。退職後は「関西マスコミ倫理懇談会」代表を務める。「ジャーナリズム研究・関西の会」所属。

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