論壇

「平和のための犠牲」という虚妄

積極的平和主義と戦没者

筑波大学非常勤講師 今井 勇

1.積極的平和と消極的平和

国際社会との協調を柱としつつ、世界に繁栄と、平和をもたらすべく努めてきた我が国の、紛うかたなき実績、揺るぎのない評価を土台とし、新たに「積極的平和主義」の旗を掲げようとするものです。(第68回国連総会における安倍内閣総理大臣一般討論演説、2013.9.26)

2013年9月の国連総会において自ら提唱する積極的平和主義を世界へ向けて披露した安倍首相は、2013年10月の国会における施政方針演説においても積極的平和主義を「我が国が背負うべき二十一世紀の看板」として強調したのである。

しかし、安倍首相の使用する積極的平和主義は、平和学で確立され使用される積極的平和とは全く意味が異なるものであるということは既に多くの研究者によって批判されているところである。つまり、本来平和学で使用される積極的平和は単に戦争のない状態ではなく、戦争をもたらす貧困、差別、人権侵害などの構造的暴力が存在しない状態を示すのである。それに対して、対義語として使用される消極的平和は抑止力を含めた軍事的手段を活用することによって戦争のない状態を目指すのである。つまり、安倍首相の提唱する積極的平和主義は平和学が定義する消極的平和に過ぎず、さらには、軍事同盟である日米同盟の強化こそが要であると公言し、集団的自衛権の行使さえ平和維持のためと正当化する姿勢に至っては、もはや消極的平和からも逸脱するものであることは明らかである。

確かに、安倍首相の使用する積極的平和主義については海外メディアで「Proactive Contributor to Peace」(直訳するならば「平和への積極的な貢献」、有事を想定した事前の対応も含意する表現)と訳され、平和学で使用される積極的平和=「Positive Peace」とは明確な別物として紹介されているのである。その意味では、日本のメディアが安倍首相による積極的平和主義という造語の独占的かつ独善的な使用を放置することは、日本国家として掲げる平和主義の意味内容について、国内外における解釈のズレを生じさせる危険があるのではないだろうか。そのような英訳によって生じ得る解釈のズレについて、いち早く以下のような危惧を表明したのが『産経新聞』であったことは何とも皮肉である。

さる外交安保会合の歓迎宴でのこと。高位の英語国外交官があいさつし、安倍晋三政権が掲げ始めた「積極的平和主義」を「アクティブ・パシフィズム」と表現した。

(中略)引っかかったのは、「パシフィズム」に、である。反戦・不戦の色合い濃い平和主義を表し、兵役拒否の意味さえ併せ持つ言葉だ。

英BBC放送のサイトの「戦争の倫理学」の欄では、パシフィズムを「戦争と暴力は正当化できず紛争は平和的な方法で解決すべきだという考え方」と定義し、アクティブ・パシフィズムは積極的な反戦平和・兵役拒否姿勢と捉えている。

安倍政権が抑止力や日米同盟を強化することはもちろん、集団的自衛権行使に対する封印も解こうとしているのは周知である。その基本理念の一つに据える積極的平和主義が前述のように訳されたのでは、矛盾する印象を与えはしないか。(「風を読む」、『産経新聞』2013.10.29)

つまり、外交官によって訳された「アクティブ・パシフィズム」では、積極的な反戦平和・兵役拒否姿勢と解釈されてしまう危険がある。軍事的抑止力の活用や日米同盟の強化にとどまらず、集団的自衛権行使も視野に入れた安倍首相の積極的平和主義は、決して反戦平和・兵役拒否姿勢と混同されるべきではないと主張しているのである。結果的に、先にみた「Proactive Contributor to Peace」と訳せば「政権の路線と齟齬(そご)はない」としているのであるが、英訳の正確さを追求しようとするその姿勢以上に、安倍首相の掲げる平和主義が本質的に反戦平和と対立するものであることを、かくも明解に示したこの記事は大いに注目されるべきであろう。

2.平和の乱用による欺瞞

それにしても、あまりにも多くの欺瞞と矛盾を含むことが明らかな中で、安倍首相の唱える積極的平和主義を実現するための法整備が強引に進められる状況をどのように理解すればよいのだろうか。確かに、巨大与党の存在を背景とした傲慢かつ乱暴な政権運営を批判することは容易であるが、その一方で、その強引な政治手法を除けば、じつは積極的平和主義に対する無警戒が広がりつつあるのではないかと危惧するのである。

時事通信社の実施した2015年6月の世論調査によると、安倍内閣の支持率は前月比2.2ポイント減の45.8%、不支持率は同3.3ポイント増の34.0%で、昨年12月以来6カ月ぶりに不支持率が増加に転じたことが大きく報道された。しかし注目すべきは、安倍内閣が今国会で成立を目指す安保法案について、今国会での成立に反対あるいは否定的な声が8割超に上ったとされながら、じつは「今国会にこだわらず慎重に審議すべき」との解答が68.3%を占めるという点にある。また、集団的自衛権の限定的な容認が日本の安全保障に必要か否かの質問に対して、「必要」が46.8%、「必要ない」が37.4%となっているのである。この結果を読み解くならば、集団的自衛権の行使容認も含んだ安保法制について、今国会での性急な成立については反対であるが、その必要性については決して否定的ではないという国民意識の現状が浮かび上がってくる。

それでは何故、法案に対する国民の理解が進んでいないとされる法案でありながら、廃案ではなく慎重審議が求められるのであろうか。また、戦争に直結し得る集団的自衛権の行使が、何故これほどまでに必要と考えられるのであろうか。そこには、安倍首相が繰り返す積極的平和主義という言葉の影響力が存在しているように思われてならない。つまり、積極的平和主義の内容そのものの問題ではなく、平和主義、さらには平和という言葉の与えるインパクトによって、批判的検証が妨げられ、結果的な受容が広がっているのではないかと考えられるのである。

そのような平和を強調することによる本質的議論の回避は積極的平和主義や安保法制の問題に限られたものではなく、最も象徴的な場面の一つとして靖国神社参拝後の対応があげられる。近隣アジア諸国からの批判のみならず、より強固な同盟関係を望む米国からも根強い批判のある靖国参拝であるが、参拝直後の記者会見において安倍首相は「恒久平和への誓い」であるとして、以下のように正当化するのである。

二度と戦争の惨禍に苦しむことが無い時代をつくらなければならない。アジアの友人、世界の友人と共に、世界全体の平和の実現を考える国でありたいと、誓ってまいりました。

日本は、戦後68年間にわたり、自由で民主的な国をつくり、ひたすらに平和の道を邁進してきました。今後もこの姿勢を貫くことに一点の曇りもありません。世界の平和と安定、そして繁栄のために、国際協調の下、今後その責任を果たしてまいります。(2013.12.26)

つまり、靖国神社に祀られた戦没者に対して、「アジアの友人、世界の友人と共に」世界平和の実現を考えていくこと、そして世界の平和と安定のための責任を果たしていくことを誓った点を強調しているのである。その一方で、「中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは、全くありません」と述べながらも相互理解への道筋は全く示されず、同様に世界の平和と安定のために日本が果たさなければならない責任の具体的な内容も明らかにはされないのである。ここでも、「平和への誓い」や「平和への決意」が繰り返されることによって様々な批判を回避する一方で、世界の平和と安定にむけた責任を果たすという漠然とした説明のみで国民から外交・防衛政策に関するフリーハンドを得ようとしているのである。

ここに権力者による平和という言葉の乱用に隠された危険性を垣間見ることができるが、その中でも最も作為的な言葉のすり替えこそ、安倍首相によって掲げられた積極的平和主義であり、平和の陰に隠された真意を見誤ってはならないのである。

3.平和の礎としての戦没者の意味

さらに注意すべきは、平和の乱用によってもたらされる思考停止状態だけではなく、その平和は多くの犠牲のもとに成立したものであり、その犠牲者には感謝しなければならないという論理展開である。先にみた安倍首相の「恒久平和への誓い」の中でも、現在の平和と繁栄の礎として戦没者の存在が言及されている。

今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります。(2013.12.26)

そして、戦没者への「心からの敬意と感謝の念」が強調され、靖国神社参拝の必要性が述べられるのである。つまり、現在の日本の平和と繁栄は戦没者の犠牲の上に成り立っているものであり、「国のために戦い、尊い命を犠牲」にして平和をもたらした戦没者に対しては、感謝と尊敬の念を持たなければならないとされているのである。

確かに、日本国内にとどまらずアジア諸国においても甚大な被害と犠牲をもたらした戦争の記憶を無視して、現在の日本の平和を語ることはできない。そのような悲惨な戦争の記憶こそが、二度と戦争を起こしてはならないという平和への決意に結びつき、国境を越えた様々な被害者・犠牲者への共感と反省を生みだすのではないだろうか。しかし、多様であるはずの被害や犠牲を全て「今の日本の平和と繁栄」に直結させて語り、その上それら全てが「国のため」であったとして感謝と尊敬の対象にしようとする安倍首相の姿勢は、あまりにも一面的な捉え方であり、戦争による被害や犠牲を矮小化する姿勢であるといわざるを得ない。さらに、そのような姿勢からは決して、周辺諸国にも甚大な被害をもたらした日本による侵略戦争の批判的検証や近隣アジア諸国への反省は生まれてこない。

ただ、以上のような戦後日本の平和と結びつける形での戦没者評価は、安倍首相が独自で導き出した見解などではなく、敗戦後の日本が占領期を終え、独立を迎える際の全国戦没者追悼式において既に示されていた見解であった。

1952年5月2日に新宿御苑で行われた全国戦没者追悼式において、吉田茂首相は戦没者について「戦争のため祖国に殉ぜられた各位は、身をもって尊い平和の礎となり、民主日本の成長発展をのぞみ見らるるものと信じてうたがいませぬ」との式辞を述べた(『日本遺族通信』35号、1952.5.15)。つまり、吉田茂首相によって独立後はじめて、公式に戦没者が戦後平和の礎であるとの見解が示されたのである。

さらに、田中耕太郎最高裁判所長官による追悼の辞では、「我が国が過去の戦争によって重大な過誤を犯したこと」は事実であるが、「戦争自体に対する批判と戦没者に対する追悼と感謝は全く別個の問題である」として以下の見解が示された。

戦没者は国家危急の際に忠誠な国民として義務を果され、祖国のために生命までを捧げられました如何なる社会、如何なる時代にもかような犠牲は人類普遍の道徳原理に一致し、最も崇高な徳行として、同胞の衷心よりの賛美と感謝を受けるに値するものであります。(『日本遺族通信』35号、1952.5.15)

ここに示された見解こそ、日本によって引き起こされた侵略戦争に対する批判と戦没者への評価を意図的に切り離し、それによって戦没者の犠牲を「人類普遍の道徳原理」に基づく「最も崇高な徳行」として賛美と感謝の対象としようとする試みであったといえる。

そのような一連の試みを継承する形で、安倍首相は戦後日本の平和と繁栄の礎として戦没者を位置づけ、戦没者を「国のために戦い、尊い命を犠牲」にした存在として、感謝と尊敬の対象にしようとしているのである。しかし、それでは何故、現代の日本の平和が戦没者の存在と結びつけて語られなければならず、現代においても戦没者の犠牲が感謝と尊敬の対象とされなければならないのであろうか。そこに、「平和への誓い」や「平和への決意」が乱用される一方で、具体的な国民の負担が明らかにされることのない積極的平和主義の真の姿が存在しているといえるのである。

4.積極的平和主義が求める「尊い犠牲」

安倍首相による「恒久平和への誓い」の談話は、以下の二点において戦後日本の平和と戦没者の関係、さらには積極的平和主義と戦没者の関係を明らかにしている。

まず第一に注目すべきは、「今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけでは」ないという主張である。その主張に従うならば、現在我々が享受している日本の平和と繁栄はあくまで戦没者の「尊い犠牲」の上に成立しているものであり、逆説的にいうならば、戦没者の「尊い犠牲」なくしては現在の平和と繁栄は存在し得なかったとさえいうことができる。確かに、戦争によってもたらされた未曾有の被害や犠牲の経験が、戦後日本の平和を支える大きな原動力になったことは否定できない。しかし、その戦争による被害や犠牲がなければ平和と繁栄が存在し得なかったわけでは決してなく、逆にその戦争によって奪われた平和や繁栄が存在したはずではなかろうか。まして、戦争による被害や犠牲の全てが、「国のため」の「尊い犠牲」であったはずはない。

それにもかかわらず、現代日本の平和と繁栄の大前提として戦没者の「尊い犠牲」が強調される背景には、いわゆる戦没者の再評価以上に、平和を求める条件としての犠牲の必要性が意識されていると思われてならない。つまり、現代日本の平和と繁栄が戦没者の「尊い犠牲」を礎として成立しているように、将来における平和と繁栄を維持していくためにも相応の負担が求められるようになる。その負担こそ、戦没者によって示された「国のため」の「尊い犠牲」であり、そのような「尊い犠牲」を礎としてはじめて、将来における日本の平和と繁栄は維持されていくという考え方である。そこではもはや、戦没者の「尊い犠牲」は過去の犠牲ではなく、日本の平和と繁栄のために不可欠な、未来に期待される「尊い犠牲」となるのである。それが積極的平和主義という旗を掲げる代償として国民に求められる負担であり、果たすべき責任となるのである。

そして注目すべき第二点目として、そのような未来において予測されるあらゆる被害や犠牲について、個々の具体的な状況や内容にかかわらず、一様に「平和のため」、「国のため」の「尊い犠牲」であるとされ、感謝と尊敬の対象として位置づけられることを安倍首相談話は明らかにしている。それは、靖国神社に合祀された戦没者を総じて「国のために戦い、尊い生命を犠牲にされた」存在として捉え、感謝と尊敬の対象であることを強調している点からも明らかであろう。ただ、本来多様であるはずの戦没者の犠牲を「国のため」の一点において集約し、侵略戦争であったか否かの評価を回避することによって、その犠牲を感謝と尊敬の対象とする手法は、1952年の全国戦没者追悼式における田中耕太郎最高裁長官の論法を継承するものであることは既にみたとおりである。しかし、その論法の起源がどこにあろうと、戦没者は例外なく「国のため」の「尊い犠牲」として感謝と尊敬の対象とされるのである。

さらに、感謝と尊敬の対象となる戦没者の範囲について、かつて「無名戦没者の墓」(現在の千鳥ヶ淵戦没者墓苑)建設をめぐる国会審議の過程で、注目すべき議論が交わされていた。そもそも墓苑の建設は、1953年12月11日に示された「遺族に引き渡すことができない「戦没者」の遺骨を納めるため」、国が「無名戦没者の墓」を建立するとの閣議決定に基づき検討が進められたが、納骨されるべき戦没者の範囲について議論が紛糾する。つまり、兵士とともに一般戦災犠牲者も納骨の対象とすべきとの意見に対し、国家のために積極的に死んでいった兵士と一般戦災犠牲者の取り扱いは明確に分けるべきであるとの強硬な反対意見が出されたのである。結果的に納骨される戦没者の範囲について一般戦災犠牲者が含まれるか否かの明言は避けられたまま千鳥ヶ淵戦没者墓苑の竣工に至るが、その過程で受田新吉議員(社会党)から示された見解は、現代の積極的平和主義の問題を考える上でも決して無視できないものであったといえる。

結局戦闘に従事した人々は、法規的に軍人でありあるいは準軍人あるいは軍属であってほかの一般邦人とは区別されても、実際の戦争の状況からいったならば、ひとしく苛烈なる戦闘に参加した立場においては、これを同等に見るべき性格のものであるというのが、今度の無名戦没者の墓をお作りになる場合でも起ってきておるのでしょう。(第二十五回国会衆議院海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会議事録第四号、1956.12.3)

受田は、たとえ墓苑に納められる遺骨の中に一般戦災犠牲者の遺骨が混在していたとしても、民間人をも巻き込んだ各地の戦闘状況から考えて、等しく戦闘参加者として取り扱われるべきと主張したのである。それは、一般戦災犠牲者もいわば国家のために生命を捧げた存在であったと見なすことによって争点の克服を試みたわけであるが、一般戦災犠牲者までも「国のため」の「尊い犠牲」として画一化するその論理は、そのまま積極的平和主義における歯止めのない国民総動員を可能にするのである。

なぜなら、戦地に派遣される兵士に犠牲者が生じた場合、「国のため」の「尊い犠牲」とされることは当然のことながら、国内外でテロ犠牲者が発生した場合でさえも、上記における一般戦災犠牲者の枠組みで「国のため」の「尊い犠牲」として評価され得るためである。そして、「国のため」の「尊い犠牲」は容易に「平和のため」の「尊い犠牲」に読み替えられ、テロ犠牲者でさえも日本の平和と繁栄の礎として感謝と尊敬の対象とされることになる。それは、テロの発生さえ積極的平和主義を推進する根拠となり得ることを意味するだけでなく、もはや兵士と一般市民の区別なく、すべての国民が日本の平和と繁栄のために負担と犠牲を強いられる可能性を明確に示しているといえよう。

その負担と犠牲を拒否することは、日本の平和と繁栄を望まない国賊として断罪されることを私たちは覚悟しなければならない。それほどまでに、現状における平和の乱用は新たな戦争を明確に想定するものであり、積極的平和主義における「平和への貢献」が、全ての国民に対して「国家への貢献」、さらには「尊い犠牲」を強いるものであることを理解しなければならないのである。

それにしても、敗戦後の日本社会において、いつから平和はかくも力を失い戦争に直結する言葉へと変貌を遂げたのであろうか。それとも、平和の内実が失われ、空洞化したと考えるべきであろうか。それらの疑問点について、本稿において残された課題としてあらためて別稿を期したい。

いまい・たけし

1976年、香川県生まれ。専門は、日本近・現代史。主要論文に、砂川基地闘争における反原水爆の意味」(『歴史評論』778、2015.2)、「三好十郎 弱き大衆が獲得した強き確信」(『三好十郎研究』6、2013.12)など。

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