特集●戦後70年が問うもの Ⅱ

今なぜマルクスなのか

西欧的近代主義を超克する思想を内包

神奈川大学教授 的場 昭弘

はじめに

昨今の社会は何かが狂っている。昨年夏のウクライナ上空でのマレーシア航空機の墜落の原因は一年たっても不明である。重要なデータは即座に回収できたにも関わらず、その後何の報道もない。しかし、一方で航空機を落とした犯人はロシア派ということにされ、それ以後アメリカやEU、そして日本によるロシアへの制裁はすぐに決定された。なぜマスコミは真相を究明しないのか? 普通の航空機事故では、原因究明は急がれ、一刻も早い原因究明は飛行機の安全を確保する使命を担っている。今回の事故はミサイル攻撃だというが、本当にそうかどうか、そしていったい誰が撃ち落としたのかどうかを発表すべきなのだが。

今社会は向こう側とこちら側に分かれているのかもしれない。ベルリンの壁の崩壊以後始まった資本主義世界が、再びリーマンショックを契機に、もとの二つの世界に戻ったのかもしれない。なるほど、かつても東西対立の中で西側に属する日本社会では、東側の情報が正しく入ってこなかった。しかし、当時はマルクス主義を標榜する左翼が、こうした報道に対してそれなりに踏み込み、正しい報道をしようとしていた。いまでは向こう側のことを正しく報道しようとするものは、誤報メディアとして非難され、沈黙を強いられているとでもいうのだろうか。

われわれが敵対しているのは、なるほど非資本主義を標榜する国家ではない。とはいえ、われわれが属しているといわれる先進資本主義国家(とりわけG7)の外については、偏見に満ち満ちた報道に満ち溢れている。まるでかつての冷戦下のようである。そうなった原因に、マルクス主義の衰退があることは間違いない。マルクス主義は、これまで世界を総体的に見る手段を提供してきた。世界の政治や経済を全体としてとらえ、それによって、一見もっともらしく見られる正義の報道の矛盾をえぐり、我々の側の利益かどうかという価値判断ではなく、資本主義の運動のメカニズムとしての世界の姿を分析し、それを報道してきた。今はそうした報道の姿勢が見られない。直近の利益を中心とした、正義と悪の区分けに終始し、全体の動きをまったく見ようとしていないのである。

私は、マルクス的な方法を使って現在の資本主義世界を分析し、世界はどう動いていて、今後どう動くのかという展望を指し示したい。そしてそれはマルクス研究の新しい方向のもとになされることであることを示したい。今なぜマルクスかという問に答えるには、そうした新しいマルクス研究の説得性が欠かせないからである。

資本主義世界の今

皮肉といおうか、2008年のリーマンショックが、マルクスの正しさをある意味証明してくれたのかもしれない。ソ連・東欧崩壊以後の約20年間、資本主義の勝利を祝う歴史の終焉論や、もはや階級対立ではなく、文明の衝突だという議論が横行していた。そしてアジア・アフリカの諸国も次第に経済発展し、世界中の貧困層が中産階級化し、プロレタリアなどいなくなるとまで主張する議論も出ていた。

1990年代は、資本主義が世界の三分の一を占めていた非資本主義市場を飲み込み、さらに非資本主義的未発展の経済地域だったアジアやアフリカの地域を飲み込み、資本主義の勝利が謳われた時代であった。それまで議論の中心にあった従属論や世界システム論といった先進国と後進国との格差論は打ち捨てられ、資本主義は国内の搾取のみならず、海外市場での搾取もない、経済体制だと説明されるようになる。後進国という言葉は発展途上国という言葉に変えられていく。そこにあるのは、資本蓄積と技術の差であり、こうしてグローバリゼーションによって、世界中の国家の経済的規制がなくなれば、すぐにでもその差は縮まり、すべでの世界は豊かな国になれるという幻想が振りまかれることになった。

こうした牧歌的な夢を演出したのは、実は資本主義が社会主義国と後進国という二つの大きな市場を飲み込んだことによる現象であった。この現象をもっと積極的な言葉でいえば、1970年代の停滞した資本主義は、復活を狙って社会主義市場と後進国市場に信用供与と技術供与というシャブ漬けを行い、借金返済のできないそれらの国々を内部から崩壊させていったのである。こうして生まれたグローバル市場は、その市場が一定の限界を迎えるまで刹那的に経済成長を促した。これが1990年代から始まる(日本は除外されるが)、先進諸国の経済発展であった。

しかしこうした景気の上昇の最大の要因は、市場の拡大という面ではなく、安価な労働力が手に入ったことによる、グローバルな積極的投資であった。すでにマルクス経済学者のエルネスト・マンデルは『後期資本主義』(柘植書房、1980-81年)という彼の主著の中で、こう述べていた。不景気は経済的な要因で起こるが、景気の好転には経済外的な要因が必要であると。ここで経済外的要因というのは一体何であろう。ずばりそれは労働者の力を弱め、賃金を下げる政策だということである。

このことを資本主義の全体の歴史の中で見ようとしたのがマンデルであるが、彼は1848年革命以後、1929年の大恐慌以後、そして戦後、1980年代以後の景気の上昇を、労働者に対する搾取度の強化の結果だと述べている。言い換えれば、技術革新、新製品の開発、市場の拡大といった好景気に至るさまざまな原因のうち、もっとも重要な好景気の原因は、まずは労働者に対する政治的圧力だということである。マルクス経済学者は、経済学者という言葉でなく、政治経済学者という言葉をよく使うのだが、その意味は、まさにこの点にあるといってもよい。なるほど1848年革命以後の弾圧、大恐慌以後起こる各国での総動員、戦後の赤狩り、1980年代の労働組合運動殲滅作戦など、すべて好景気のスタートとなる賃金の引き下げを意味していたといえる。当然のことながらリーマンショック以後の経済的停滞を打破するものは、労働者に対する政治的圧力であることは間違いない。

リーマンショック以後の経済の立て直しは、BRICsといわれるロシア、ブラジル、インド、中国への過剰生産物の輸出と過剰資本の投資によってなされた。それが逆にロシア、中国の世界経済における相対的位置を高め、冷戦体制の再現のような世界を演出した。G7からG20への変化は、世界の政治経済に占める二国の力を高めることになる。

勢いづいたロシアと中国は、先進国の経済停滞を打破するために機能するというこれまでの受動的立場を越え、世界経済の新しい勢力として台頭するようになる。こうした懸念が再燃するのは、シリア問題からウクライナ問題にいたる問題からである。アメリカを中心とするNATOは、ロシア、中国包囲網をかけるべく、ロシア、中国の動きを監視する。かくしてG20はG7へと戻り、台頭する新しい勢力という向こう側と、先進国というこちら側という二つの世界に分かれる。

こちら側は、民主主義と人権を守る文明国、向こう側はそれを否定する非文明国という図式がつくられ、報道や言論もそれを後押しする形で、向こう側を批判するようになる。

とはいえ向こう側の力は、軍事的には弱体だとしても、安い労働力による圧倒的な輸出力と経済力を持つ国でもある。グローバリゼーションによって、先進国は、向こう側への工場移転、移民の受け入れを促進し、自国の労働者の賃金を下げてきた。それによって1990年代以降、貧富の格差が広がることになる。1990年代のグローバル化の景気を支えたのは、後進諸国の労賃の低さを担保とした、先進国の労働者の低賃金化であったともいえる。非正規雇用の拡大は、いずれの先進国においても実現している雇用形態である。

今、資本主義は、ロシア、中国といった国における経済成長に乗ることをやめ、新たな好景気のモメントを模索している。リーマンショック以後の好景気のモメントが、ロシア、中国といった国々の安価な労働力であったとすれば、次のモメントは、先進諸国の中で安価な労働力を実現することである。

その一つの手本がEUのドイツかもしれない。今回ギリシアの危機を招いている原因は、たんにギリシアの経済の弱さにだけあるのではない。むしろドイツ経済の強さに原因があるといってもよい。ドイツ経済は、徹底した賃金抑制によってEU経済の中でもっとも強い経済を実現している。相対的に安価な労働力をもつドイツは、輸出の勝者である。そのドイツはEU圏において安価で優れた商品を売ることで独り勝ちをしている。

つまり今、先進国はドイツと同じような状況を演出しつつあるということである。G7諸国では、強い経済の復活のカギとして自国の労働者への賃金を下げ、輸出力を高める可能性がある。安価な労働力によって先進資本主義国の市場を荒らしまわった中国やロシアは、今後先進国労働者の安価な労働力によって、多額の債務を背負う時代が来るかもしれない。基軸通貨であるドルやユーロを獲得するには、それらを得るための輸出、もしくは投資を呼びこむための魅力が必要である。それらがなければ、先進諸国の軍門に下るであろう。

近代合理主義への疑問

これまでマルクスは近代主義の申し子のように理解されてきた。とりわけソ連、東欧の崩壊以後、マルクス主義復活を誓う人々は、マルクスの本来の意図は、アメリカ、イギリスといった先進資本主義国が社会主義、共産主義への口火を切るということであり、ソ連、東欧、中国といった近代化の遅れた地域から起こった社会主義は、こうしたマルクスの意図とかけ離れていたことで、ある意味無駄な革命にしかすぎなかったと主張しはじめた。アメリカ、イギリス、フランスといった先進地域は、たんに経済的に先進的であるだけでなく、その先進さがつくりだす、資本の文明化作用によって、人権や民主主義が普及してきた国であり、それらの人権や民主主義を遅れた地域に普及することが、重要な課題であると指摘されてきた。

そうした論拠として、マルクスのオリエンタリズム的歴史観、アジア的生産様式に対する軽蔑、ロシアに対する非難などがとりあげられてきた。アジアは、専制的支配をいったん資本主義的生産様式によって文明化しなければならず、資本主義と文明化を実現できなければ、社会主義や共産主義などはアジアでは実現できない。その意味でマルクスのいう社会主義や共産主義は、西欧でのみ可能であり、社会主義や共産主義の実現にはたんに資本主義の発展のみならず、民主主義と人権の発展であるというのである。

なるほどこうしたマルクス主義の観点に立てば、社会主義や共産主義の実現は、進んだ西欧のみ可能であり、なおかつ西欧にそれが実現されることで、資本主義的世界市場が崩壊し、ほかの地域での社会主義、共産主義の実現も可能になるはずである。西欧型マルス主義といわれる議論は、まさにそうした視点を提起したものである。

しかし、もしそうだとすれば、マルクス主義はまずは資本主義をとことん推し進め、世界を資本主義的世界に塗り替え、そのあとで、先進国から社会主義、共産主義に移行するということになる。言い方をかえれば、マルクス主義者は、資本主義の発展を推し進める近代論者で、世界の津々浦々をグローバル化するという考えは、新自由主義者の発想というより、マルクス主義者の発想であるように思われるだろう。

こう考えると、全体主義国家へと変貌し、人権を喪失した旧社会主義国家の歴史などは、まさにあだ花だったということになるわけである。こうした考えは、あくまでマルクスがアメリカやイギリスといった先進資本主義から社会主義になると主張していたのだとすれば、確かに正しい見解かもしれない。マルクスのアジアへの軽蔑、西欧への礼賛が正しければ、マルクス主義は、ひたすら西欧の資本主義を発展させ、それを最終段階で社会主義に移せばいいということになる。

これはマルクスを近代主義者の一人と考えることである。サイードが『オリエンタリズム』(平凡社、1993年)の中でマルクスをアジアに批判的なオリエンタリストに位置づけたことは、まさに西欧近代主義者としてのマルクスのイメージを決定づけたのかもしれない。

しかし、はたしてマルクスの意図はそうだったのだろうか。ここでの議論にはマルクスが『資本論』を書いた後の晩年のマルクスの研究やアジア、ロシアに対する態度の変化というものが、ほとんど盛り込まれていない。最近翻訳されたアンダーソンの『周縁のマルクス』(社会評論社、2015年)は、マルクスの1870年以降の態度の変化と研究の変化を明らかにしている。現在そのあたりのマルクスの研究ノートの編集が新MEGAの中で進められているが、マルクスのアジア、ロシアに対する視点の変化について、この時代のマルクスの研究ノートは重要な示唆を与えているといってよいかもしれない。

ソ連、東欧崩壊以後、マルクス復興を目指すものが、欧米先進国型モデルの先にある社会主義、共産主義を意図し、それをマルクスに求めたのは、なるほど当然であったといえる。社会民主主義といった西側の左派政権は、そうした意味で早くから資本主義の発展の先にマルクスの意図した社会を見ており、その意味でそうした政党は次第に資本主義を礼賛する政党になったのである。ドイツ社会民主党、フランス社会党、イギリス労働党はマルクス主義を標榜していないが、そうした政党でなくともマルクス主義を標榜する人々の多くは、人権と民主主義が資本主義の発展によって達成され、そのあとに社会主義や共産主義が現れると信じている。

しかし、マルクスそのものの判断はどうだったのであろうか。もしこうした判断が正しければ、マルクスの思想は遅れた非西欧的な国々にとって無意味な思想であり、先進国の人々にとってもマルクスの思想は資本主義を礼賛するだけの思想になりかねないといえる。

現在のロシアや中国への人権や民主主義をめぐる批判は、資本主義を礼賛する人々だけではなく、左派と言われる人の中にも多い。その理由がまさにマルクスをこのように理解する点から来ている。グローバリゼーションと近代化のためのマルクス主義である。

しかし、マルクスがアジアやロシアを遅れた世界として考えたのではなく、西欧的発展とは全く違う別の発展をする社会としてとらえたのだとすると、そうした国々での資本主義の発展は別の道をたどるはずである。そして別の発展の道は、資本主義の中にも西欧的ではない資本主義を実現する余地が残されていることを意味している。言い換えれば資本主義のグローバル化は、それ自体の中に一方でグローバル資本主義を拒否する可能性を資本主義が持っていることも意味している。

かつてローザ・ルクセンブルクは、資本主義の発展には非資本主義的領域が必要であると述べたが、言い方を変えれば資本主義にはいくつかの資本主義があるということになる。西欧、とりわけアングロ=サクソン型の資本主義とそれ以外の資本主義があるとすれば、各国の資本主義の発展は一直線に並ぶようなものではなく、それぞれ違ったものとなる。そうなるとマルクスの思想は、一直線上に並ぶ資本主義の先頭にいるアメリカから社会主義へ進む思想であったなどという議論はなりたたず、さらにはそうしたアメリカ的な資本主義から遅れた資本主義を批判するという批判は成り立たなくなってくる。

今世界を見るために必要なこと

こうした立場から現代の世界を見ると、アメリカを中心とした先進資本主義が盛んに批判するロシアや中国などの遅れた資本主義に対する非難は、まったく的外れということにもなる。さらにいえばイスラム圏諸国で見られるアメリカ的資本主義への批判も、それなりに意味のあるものに見えるのだ。

こうしたマルクス主義の立場が正しいとすれば、マルクス主義の立場は、そうした欧米とは異種の資本主義を、どう未来の世界との関係で位置づけるかということになる。そうした中でウクライナ問題、イスラム国の問題、ギリシア問題などをとらえなおしてみるといいかもしれない。

民主主義や人権を受け付けない国といったこれらの国に対する批判は、そうした国々の資本主義が欧米とはちがう資本主義の発展をたどるとすれば、あまり意味をもっていないのかもしれない。民主主義や人権といった思想も、違ったあり方をとるからである。アジアやアフリカの国々の発展が、アングロ=サクソン型と違った発展をたどるとすれば、それはその地域の歴史的伝統の相違ということであろうし、さらには先進資本主義国の収奪に対する抵抗や反応ということかもしれない。

今こうした意味でのマルクスを学ぶとすれば、かつてのマルクス主義とちがって、先進資本主義の論理、すなわち普遍主義という論理を捨て、もっと歴史の相違と資本主義が生み出す矛盾を理解することが必要かもしれない。そのひとつが、ロシアや中国への先進資本主義国の一方的まなざしを捨てることである。ロシアや中国という向こう岸からの理解をしてみることかもしれない、アジア、アフリカを西欧から見るのではなく、アジア、アフリカから見てみるのである。

皮肉にもマルクスは、晩年それまでもっていた西欧的くびきを自ら捨てようとしたのかもしれない。これまでのマルクス研究、マルクス主義は、中年までのマルクス、すなわち西欧的近代主義者マルクスという視点で見すぎたのかもしれない。マルクスの唯物史観や、歴史発展の法則は、そうした意味でも再検討されるべきものであろう。そして社会主義、共産主義にいたる過程、そして資本主義それ自身に対する見方も、今後再検討される必要がある。

今必要なマルクスは、覆いかぶさった鉄の鎧を脱ぎ捨てたマルクスであろう。そしてそれは今の世界を知るにも、絶対に必要なことなのである。

まとば・あきひろ

1953年生まれ。慶応大学博士課程。91年神奈川大学助教授から現在経済学部教授。著書に『ポスト現代のマルクス』(御茶ノ水書房)、『マルクスだったらこう考える』(光文社新書)、『超訳資本論』(祥伝社新書)『一週間de資本論』(日本放送出版協会)、『大学生に語る 資本主義の200年』(祥伝社新書)など多数。

特集・戦後70年が問うもの Ⅱ

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