コラム/深層

のたうち回る橋下・維新の会

「橋下現象」研究会 水野 博達

「あの人は、全然、法律や憲法守ろうとしないネー」
「そうさ、彼は、弁護士・・・、だったもん」
「それって、何?」
「法律はいろんな立場で解釈できる。だから〈ボク流〉の解釈を押し通す闘いだとネ」

11月28日、大阪府立労働会館のエルシアターで、650余人を集めて「入れ墨調査拒否者への不当処分撤回11・28集会~橋下市長の好きにさせへんぞ!」と題する集会が開かれた。

2012年5月1日、「あなたは入れ墨やタトゥーをしていますか」と、その部位と大きさを身体図まで載せて全職員に回答を求めた「入れ墨調査」。この「調査」への回答拒否者は当初500名を越えた。「業務命令だ」「回答しなければ懲戒処分だ」と管理職は、執拗に圧力を加え続けた。最後まで圧力に屈しなかった拒否者6人が残った。その6人は、懲戒処分を受けた。勤務先は、病院、交通局、水道局、建設局、あるいは区役所と、それぞれ別々で、所属労組も一様ではなかったが、地方公務員法適応職場の者は人事委員会へ、そうでない者は裁判所に訴えて闘いを展開させてきた。

この12月17日に、「勝訴間違いなし」の安田原告の判決が大阪地裁で下される。その直前に、6人全員とその支援者・支援団体が共同で企画した統一集会である。

この集会の2日前、11月26日、大阪地裁中垣内裁判長は、大阪市(直接的には当該校の校長)が、労使関係適正化条例をたてに、大阪市教組が毎年開く教育研究集会に学校を貸さなかったことは不当であり、労使関係条例の「労組活動へ便利供与しない」という条文を適用すれば「職員の団結権を保障した憲法28条に反する」と明快な判決を下した。橋下が進めてきた一連の労組活動破壊攻撃について、大阪市側は、労働委員会でも裁判所でも連敗を重ねる結果となっている。(これらの点は、本号「論壇」欄の要宏輝さんの別稿に詳しい)

11月28日の集会は、他の労組関係団体の選挙に関する集会があったことが影響してか、参加人数が当初予定よりやや少なかった。もちろん、幾人かの活動家のところに「28日の集会は、事情で急遽取りやめになりました」というメールが、処分者の名前を語って送られてきたが、この妨害メールにはさして影響されなかったと思われる。妨害というより「いやがらせ」だが、こうした「いやがらせ」のメールが発信されるところにも、この集会の意味・意義の大きさを逆に証明している。

この「入れ墨調査」は、当初、重大な労組運動の課題であると市労連は考えなかった。「全職員への政治・組合活動アンケート調査」などに対しては、不当労働行為だとして地労委に提訴したが、「入れ墨調査」に対しては、重大な人権侵害として提訴したり、組織的に反対・抵抗運動を組織したりすることをしなかった。「政治・組合活動アンケート調査」を取りやめざるを得なかった大阪市が、次なる職員への恫喝・思想的踏み絵として、「入れ墨調査」を企画・実施したことは十分理解できたはずなのに・・・。この事態は、労組が、広く労働者の人権を守っていく砦としてではなく、組合員の狭い権益を守るものに追い込まれ、その「権益」さえも頑強に守る力をもぎ取られていたことを露呈していたのである。

6人の抵抗者は、橋下にひれ伏すかの如き労組や職場の気運に迎合せず、働くものとして譲れない一線を守る決意を日々固めていったことが、集会の発言でも明らかであった。「思想的踏み絵」を踏まなかったことの意義とそれによってもたらされた連帯の輪の広がりへの確信が話された。 昨年6月に緊急出版した「これでおしまい『橋下劇場』」(インパクト出版)で、私の担当の章の終わりに、「新自由主義は、『自由主義』といいながら、それは資本の絶対的自由を要求するもので、労働者・民衆の思想・信条・信教の自由、個人の尊厳には見向きもしません。橋下市政が行った『入れ墨調査』や労組・職員の政治活動の規制・禁止などは、労組の弾圧であるとともに、個人の尊厳、基本的人権の蹂躙であります」と書いた。

6人の闘いは、人々の魂を揺さぶる。橋下のやり方は、労働者をバラバラに分断し、相互に競争させてその上に君臨する支配のあり方だが、これらに鋭く対抗する運動の原点といえる。11・28集会は、橋下を追い込んでいく闘いの前線に、ようやく、本当にようやく、労働者の運動が、その位置にたどり着いたことを示した。

ところで、橋下・維新の会の凋落には、節目がある。①泉北高速鉄道の民間への売り渡しの失敗とそれに続く堺市長選挙での敗北、②昨年5月13日の「慰安婦問題」発言、③2014年1月31日、大阪都構想の法定協議会で「区割り・計画案」が否決され、出直し市長選挙で「一人芝居」に追い込まれたことである。それ以降、様々な世論を引き寄せる手を打つが、どれも効果的なものは打ち出せなかったばかりか、共同代表・石原慎太郎と日本維新の会の分党という事態へと進んだ。

マスコミ仕掛けのトリックスター・橋下徹は、都構想計画を住民投票によって決することを求める「プレ住民投票」なる珍案を思いつき、そのための住民署名を打ち出すが、衆議院解散の動きに便乗し、松井知事と組んで、公明党が立候補する選挙区に候補として乗り出すことを表明。しかし、公明党は脅しに乗らないし、府議・市議などの仲間内から反対され、11月23日に「出馬見送り」に追い込まれた。

関市長以来の関西財界の念願である地下鉄民営化も暗礁に乗り上げた。民営化の切り札として京阪資本傘下の京福電鉄副社長であった藤本昌信を引っ張ってきて大阪市交通局長に据えた。しかし、その局長の「お友達エコ贔屓入札」のわがままぶりが暴かれることになった。民営化する前から、局長の交通局私物化が行われていたのである。公募で区長に据えた区長や民間から求めた校長も、次々と降格・退職させなければならない事態が続いてきた。そして、弁護士仲間の中原大阪府教育長の女性教育委員へのパワハラ発言が飛び出した。橋下・維新の会の統治の道義性が崩れているのだ。徹ちゃんの大好きな「ガバナンスがもうだめ!」なのだ。 もはや、このドタバタ劇は収拾しようがない。ある大阪のおばちゃんが、「橋下はん、もう無茶苦茶やな、かっこ悪いわ」と。

衆議院選挙の「出馬見送り」には、公明党との「裏取引」があるのでは、という風評について一言。少なくとも大阪・近畿次元ではありえない。「区割り・計画案」に公明党も反対したことを橋下は、「裏切り」「人道に反する」と罵倒した。しかも、公明党だけではなく、その支持団体である創価学会をも同じように罵倒したのである。政策上の相違ではもはやない。学会の中では、とりわけ女性部からの批判は、昨年5月の慰安婦問題への発言以来強まっていた。あまり知られていないが、学会には選挙権をもたない在日韓国・朝鮮人と、その「帰化者」で熱心な信者多数が所属している。彼ら、彼女らの尊厳と魂を傷つけた橋下発言は、取り返しがつかない性格のものである。

人間の一人一人が大切にもつ尊厳やアイデンティティ、一言で言えば、魂の問題を馬鹿にする橋下は、これから人々の魂の叫びによって「舞台」から引きずり降ろされることになるであろう。反橋ズムは大きな流れになった。しかし、その先は、リベラル派、社会民主派の弱小化が続き、自民党の多数支配が待っているのか。次の時代の準備を私たちは開始しなければならない。

みずの・ひろみち

名古屋市出身。関西学院大学文学部退学、労組書記、団体職員、フリーランスのルポライター、部落解放同盟矢田支部書記などを経験しその後、社会福祉法人の設立にかかわり、特別養護老人ホームの施設長など福祉事業に従事。また、大阪市立大学大学院創造都市研究科を1期生として修了。現在、同研究科の特任准教授。大阪の小規模福祉施設や中国南京市の高齢者福祉事業との連携・交流事業を推進。また、2012年に「橋下現象」研究会を仲間と立ち上げた。近刊に『生きてきたようにしか死ねないのかー介護保険15年の軌跡』(明石書店)

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