論壇

尖閣―漁業権解決し沈静化した台湾

中国の共闘呼びかけは拒否

共同通信外信部次長 太安 淳一

沖縄県・尖閣諸島の周辺海域に中国当局の船が頻繁に現れ、毎月5回程度は領海侵入する状態が続いている。こうしたニュースが急激に増えたのは2012年9月の日本政府による尖閣国有化以降のことだ。当初は、中国と同様に尖閣諸島の領有権を主張する台湾も、漁船団が尖閣周辺の領海に侵入するなど、ニュースにたびたび登場したが、最近はめっきり少なくなった。

台湾の外交部(外務省)によると、尖閣周辺の漁業権をめぐる日台漁業取り決め(協定)を2013年4月に調印するまでの1年間には、日台間の海域でのトラブルは17件あったが、調印後の1年間はたった1件に減ったという。この協定により、台湾の漁船が、尖閣周辺の日本の排他的経済水域(EEZ)内でも操業できることになったことが大きい。台湾の漁民らはこれまで、クロマグロを追いかけて、日本のEEZに入り込み、問題を起こしていたためだ。外交部によると、協定調印後の台湾側のクロマグロ漁獲量は3・6倍になったという。

漁業権がメイン

尖閣を巡る争いで、台湾が中国と異なるのは、領有権の主張よりも、こうした漁民らの漁業権を求める主張がたびたび日台間にトラブルを起こしていた点だ。そもそも台湾にとっては、領有権より漁業権の問題が、漁民らの生活にかかわる切実な問題だった。台湾の漁民は、尖閣周辺海域が「100年前からの伝統的漁場」と主張する。

1895年に日本が台湾の殖民統治を始めて以降、台湾の漁民は沖縄の漁民とともにこの海域で操業して来た歴史がある。こうした歴史を踏まえ、「尖閣は日本の領土」と明言する李登輝元総統も、この漁場を台湾の漁民に利用させるべきだと訴えてきた。李元総統は「戦前、尖閣周辺海域の管理は(日本の地方政府だった)台北州が行っていた。戦後、台湾と日本が別々になった際、(日本国民として操業してきた)台湾漁民の漁業権の問題をきちんと処理すべきだった」と指摘してきた。

戦後、尖閣諸島が米国の施政権下に置かれた時代にも台湾の漁民は自由に操業できた。ところが1972年の沖縄返還とともに、尖閣諸島の施政権が日本に返還されてから状況は一変。日本による取り締まりが強化され、取り締まり対象海域も尖閣周辺12㌋(約22㌔)の領海から次第に約20㌋まで拡大されて台湾の漁船は追い返されるようになった。

漁業権問題は日台関係を揺るがす火種となり、2005年には台湾漁船の操業に対する日本側の取り締まりに抗議するため、漁船約60隻が尖閣周辺海域に接近。漁民らの訴えを受けて当時の立法院長(国会議長)らが海軍のフリゲート艦に乗り、周辺海域を視察した。08年6月には、尖閣諸島沖で日本の巡視船と台湾の遊漁船が衝突、当時の行政院長(首相)が「開戦も辞さない」と発言するなど日台関係が一時ぎくしゃくした。

昨年9月の尖閣国有化後、日本と中国との対立が激化する中、台湾の漁船団約60隻が尖閣周辺の領海に侵入し、「台湾は親日的」と思ってきた日本人に衝撃を与えたが、その背景には「日本の国有化で、取り締まりがさらに強化されるのでは」との懸念があったと漁業関係者は説明する。

台湾では、尖閣の領有権を強く主張する人々はもともと少数派で、その主張を「民意」によって補強するため、漁民らの不満を利用してきた側面がある。日台漁業協定の調印で漁業権問題を解決したことによって、領有権の主張は大きな民意の支えを失うことになったといえる。

二つの顔

では、領有権を主張する少数派とはどのような人々か?それは、中国との関係では統一を求める「統一派」の人々だ。1949年に内戦に敗れて中国から台湾に敗走した国民党政権による「中華民国(台湾)」が今も中国大陸への領有権を持つとの立場から、将来的な統一を求める人々で、台湾の総人口の15%ほどを占め、「外省人(中国大陸出身者)」が多い。彼らは「大陸反攻」を唱えた蔣介石以来の国民党支配層の中枢を成してきた。現在の馬英九総統もその国民党の伝統の上に立つ。日本との関係では、台湾とともに尖閣諸島が戦後、「中華民国」に返還されたとの立場だ。馬総統は青年の頃、沖縄返還協定に尖閣諸島が入っていることに抗議し、領有権を主張した「保釣(尖閣防衛)運動」グループの一員だった。強硬な領土ナショナリズムを主張する「保釣青年」だったのだ。

馬総統はもう一つの顔を持つ。領有権争いを棚上げして、漁業権などの資源問題の平和的解決を訴える理性的な側面だ。国際法の専門家である馬総統は、米ハーバード大学で「海底油田を含む海域の争い 東シナ海における海床境界と海外投資の法的問題」(1981年)と題する博士論文を書き、領土の主権問題と海域画定とを切り離し、国際法に則った海域画定により海洋資源開発を可能にするべきと主張した。この「国際法学者」と「領土ナショナリスト」の二つの顔が、台湾の尖閣問題に対する態度を複雑にさせてきた側面はあるが、最終的には「国際法学者」としての馬総統が、領有権問題を棚上げし、漁業権問題を解決する日台漁業協定の調印を可能にしたといえる。

その伏線は、尖閣国有化直前の2012年8月に敷かれていた。同月、馬総統は、尖閣問題を平和的に解決しようと「東シナ海平和イニシアチブ」という構想を発表し、「領有権争いの棚上げ」や「資源の共同開発」などを訴えたのだ。

馬政権は同9月には、イニシアチブの推進綱領を発表。①漁業②海底資源③海洋環境④海上安全⑤行動準則の策定―を主要テーマとして、台湾と日本、台湾と中国大陸、日本と中国の3組の2国間対話から始めて、日中台の3者対話へ持っていく構想を示した。日台漁業協定はこの構想の日台2国間対話に位置付けられている。

「平和イニシアチブ」は単純な平和主義ではない。台湾側には、日中関係が対立する中で台湾の利益を守り、できることなら台湾の立場を強化したいという狙いがある。馬総統は東シナ海などの領有権問題で「ピースメーカー」となりたいと表明しているが、これは国際的な問題で、台湾の存在感を高めたいとの狙いだ。

米国の圧力

ただ、漁業協定を巡る交渉が順調に進んだわけではない。国有化前後からの尖閣をめぐる一連の騒動の中で、馬総統は尖閣周辺での台湾漁民の漁業権問題解決を優先課題としつつ、「領有権なくして漁業権もない」とも発言し、領有権にこだわる「かつての保釣青年」の顔も時折のぞかせた。

日台漁業協定をめぐる日台協議の関係者によると、2012年秋ごろ、馬政権は「尖閣の領有権をめぐり争いがあることを協定に明記させる」との方針をいったん決めた。政権内には領有権の主張を犠牲にしてまで漁業権問題を解決する必要はないとの意見が出ていた。台湾紙、中国時報は同年11月に社説で「領有権争いの存在を認めない日本との漁業協議は、台湾の尖閣領有権を売り渡すに等しい」と批判。馬総統が「領有権なくして漁業権もない」と繰り返したのは、こうした強硬意見を抑える側面もあったようだ。

結局、漁業協定は尖閣周辺12㌋(約22㌔)の領海には適用されないものとなり、領有権問題は棚上げされた。台湾としては「領有権に関しては全く譲歩しなかった」(馬総統)と言える結果だ。

尖閣問題をめぐる騒動では、中国が連携して日本に対抗するよう台湾に呼び掛ける中、台湾の漁民らには中国当局の監視船に保護を求める動きも出ていた。日本政府としては、こうした中台連携が現実化するのを防ごうと、台湾漁民の不満を抑えるため、2012年秋から日台漁業協議を本格化させ、協定調印を急いだ。台湾の馬政権も国内問題で支持率が低迷する中、尖閣の漁業権問題で成果を得ることには前向きだった。だが、前述したように、馬総統は時折、「領土ナショナリスト」の顔を見せ、真意をはかりかねる局面もあった。

13年1月24日に、尖閣の台湾領有権を主張する台湾の団体「中華保釣(尖閣防衛)協会」の活動家らが乗った遊漁船が、尖閣周辺の接続水域に入った問題でも、出港を許した馬政権の意図に日本や米国から疑念が高まった。

だが、この半月後の2月8日、馬政権はこの遊漁船を3カ月間の出港禁止処分として、厳しく対応する態度を明確にした。12年9月の漁船団の領海侵入には何の処分もしないどころか、賞賛したことと比べると、明らかに馬政権の尖閣問題への対応に変化が生じたといえる。

その背景には米国の強い圧力があった。米国は、尖閣の領有権問題についてはどの国にも与しない立場だが、東アジアの安全保障情勢を不安定化させる動きには明確に反対している。馬政権による活動家らの遊漁船出港の容認は、東アジアの緊張を一層激化させる対応だとして、米オバマ政権が台湾に抗議したのだ。

遊漁船への処分をした2月8日、台湾の外交部が発表した声明は、米国の圧力を受けた馬政権の対応の変化をより明確に示している。「釣魚台をめぐる争いで、中国大陸と協力しないわが国の立場」と題した声明は、台湾の馬政権がなぜ、中国と連携しないのかについて詳しく説明した。声明は、中国が近年、海空軍力を強化し、沖縄、台湾、フィリピンを結ぶ第1列島線を突破しようとしていると指摘。台湾は日米と政治、経済、国防において「高度の共同利益」を有しているとして、もし尖閣問題で中台が協力すれば、「日米などが深刻な懸念を抱き、台湾と日米との協力関係だけでなく、東アジアの政治、軍事面でのバランスにも影響するので、慎重に対応しなければならない」と表明。中台連携を呼び掛ける中国に対して、明確に拒絶を示す態度を示したといえる。

2008年までの民主進歩党の陳水扁政権時代には、台湾が日米同盟と準同盟的な関係にあることは自明の理とされてきたが、08年5月に発足した馬政権は、中国との関係改善を重視し、日米との準同盟関係についてはあまり明確に触れてこなかった。このため、米国も懸念を強めており、米議会調査局が13年1月23日付で発表した報告書「東アジアの海上領有権争い」は、「08年以来の中台関係改善により、台湾が東シナ海などでの中台連携を望むようになっているのかどうかが米国にとって懸念の一つとなっている」と指摘した。台湾としては、安全保障上、最大の後ろ盾である米国から懸念が強まっている状況を踏まえ、外交部声明で懸念解消を図る狙いがあった。こうした米国の懸念への配慮による馬政権の対応の変化が、日台漁業協定調印に結実した一面もある。

中華民国

ただ台湾としては経済的に依存を強める中国を敵に回すことはできない。米国の中台連携への懸念を解消しつつ、中国との関係改善を継続するためには、東アジアの安定に貢献するピースメーカーとしての役割を高めるのがベストの選択だ。今後も日米と中国との間で微妙なバランスを保ちながら、自らの存在感を高めていく戦略をとる見通しだ。

だが中国は、尖閣問題や歴史問題に絡めて、台湾と連携強化を図り日本に対抗しようとする戦略をあきらめてはいない。台湾にも「統一派」の間に、尖閣問題での中国との共闘を望む声が今も絶えない。今年6月には、台湾メディアが、尖閣問題での中台連携を呼びかける声を取り上げたことを受け、台湾外交部は「連携は難しい」とする声明を再び発表した。「中華民国の存在を正視しなければ、両岸(中台)が保釣(尖閣防衛)で連携するのは難しい」というタイトルの声明は、中国に対して「中華民国が存在している」という事実を認めろと要求する内容だ。1949年に国民党政権が台湾に敗走して以来、その「中華民国」は消滅したとの立場をとり、台湾を中国の一部である「台湾省」と呼ぶ中国にはすぐには受け入れられない要求だ。

だが、馬総統は自身の歴史的評価を勝ち取るために、「中華民国」の存在を中国に認めさせることに全力を傾けようとしている。2008年5月から2期8年の総統任期終了まで、あと2年弱となった中、中国との接近を強めていくことも考えられる。

その一つが、今年2月に中国の南京で行われた中台の主管官庁トップ同士の公式会談だ。1949年の中台分断以来初めての出来事だ。お互いを国家として認めていない中国と台湾はこれまで当局間の直接対話を厳しく制限し、民間団体の形をとった対話にとどめていた。当局間対話は、お互いが国家であると認めることにもつながりかねないからだ。

当局間対話は、台湾の中国政策を主管する大陸委員会の王郁琦主任委員(閣僚)が南京を訪れ、中国国務院(政府)台湾事務弁公室の張志軍主任(閣僚級)との公式会談という形で行われた。会談では、「中華民国」という国家名ではなく、「台湾」という中国からすれば、地方政府の呼称が使われたので、中国が「中華民国」を認めたわけではない。だが中国側の張主任は、台湾の王主任に「大陸委員会の王主任」と正式な肩書で呼びかけた。馬総統としては、「中華民国」の官僚機構が認められたと誇れる結果だった。この会談の後、6月には中国側の張主任が台湾を訪れ、王主任と2回目の公式会談を実施。相互訪問による当局間公式対話が定期化し、中台関係は新たなステージに入った。

馬総統は、その先の構想として、「中華民国総統」として中国を訪問し、習近平国家主席と対等の立場で会談したいとの意向だ。そうすることで、中国に「中華民国」を認めさせるだけでなく、中台の歴史的な和解という功績も手にして、歴史的評価を高めることができるからだ。

現状では、中国が対等の立場で馬総統の訪問を受け入れる可能性はない。台湾内部でも、中国との急接近に反発する学生らが今春、中国とのサービス貿易協定をめぐる審議を行っていた立法院(国会)の議場を3週間にわたり占拠した。中台の情勢は、中台首脳会談実現にはほど遠い環境にある。馬総統自身、支持率は10%前後と低迷を続けており、すでにレームダック化しているとの指摘も出ている。唯一あるとすれば、馬総統がこうした苦境を打破しようと、中国への接近を大胆に強め、対日関係とのバランスが崩れる可能性だ。万が一、こうした事態になれば、尖閣問題をめぐる中台の共闘が実現することになるかもしれない。日本としては、そのような悪夢が現実となる前に、馬総統が唱えてきた「東シナ海平和イニシアチブ」を積極的に利用して、中国との対話のきっかけをつかみ、尖閣問題をめぐる緊張の緩和を図るべきだろう。

たやす・じゅんいち

1963年大阪生まれ。京都大学法学部卒、共同通信入社。高松支局、大阪支社社会部、奈良支局、本社社会部をへて外信部。98年北京特派員、上海支局長、外信部次長を経て09年12月より台北支局長。13年4月より外信部次長。

論壇

第2号 記事一覧

ページの
トップへ