特集●どこへ向かうか2019

ポスト安倍政権選択はグローバルな視点から

問われる政権構想力―良質な“保守主義”は大胆かつ知性豊かな進歩主義

なしには存続できない

日本女子大学名誉教授・本誌代表編集委員 住沢 博紀

1.何から始めるべきかー日本の悲喜劇

2019年は、世界的に大波乱の年になりそうである。就任3年目を迎え、下院中間選挙で敗北したトランプ大統領は、政府機関一部閉鎖に追い込まれている。中国との貿易戦争は激化し、自由社会の「盟主」の地位からの撤退は、世界の各地に外交・軍事上の混乱と動揺を与えている。EU改革を掲げたマクロン仏大統領も、EU離脱を交渉する英メイ首相も、国内に反対派を抱え混迷している。

一人、日本の安倍政権だけは選挙に勝ち続け、衆参3分の2を超える安定政権を誇っている。しかし内情は、森友・加計学園問題や、財務省・厚生省の文書偽造・不正基幹統計問題など、官邸と行政の劣化は留まるところを知らず、アベノミクスも安倍外交も行き詰まっている。与党も野党も選挙民も、賞味期限が過ぎた首相を交代させるパワーすらないという衰退モードに日本はある。その結果、「日本憲政史上最長の首相」が政権の存在目的となる、悲喜劇を招いている。

野党に目を向けると、7月の参議院選挙を控えて野党の再編が始まっている。玉木国民民主党と小沢自由党との合流を前提とした統一会派形成、さらにはこれに対して、参議院でも野党第1党の地位を維持しようとする、立憲民主党と社民党系との統一会派結成が進行している。小選挙区制が導入されて以後、政党の合従連衡はもはや見慣れた光景となっている。参議院選も32の一人区が勝敗を大きく左右するので、野党の統一候補が不可欠になっている。さらにいえば、もともと1993年の衆議院選挙制度改革は、人為的に二大政党制を作り出そうという制度設計に立っているので、小選挙区制のために野党が再編されることは制度の趣旨にあっている。

とはいえこの趣旨が生かされた例は、鳩山民主党が自民党に圧勝した2009年衆議院選挙が最後である。2012年総選挙は与党、民主党の分裂の下で行われ、2014年選挙では維新の党が躍進した。その後2016年に、分裂後の民主党と、大阪維新の会のグループが抜けた維新の党とが合併し、民進党ができる。ところが都議選で「都民ファースト」を掲げブームを作った小池都知事が、2017年総選挙の直前に「希望の党」を結成すると、前原民進党執行部は希望の党への合流を唱え、混乱の中で枝野立憲民主党、希望の党、無所属の会、参議院民進党などに枝分かれした。その後、小池新党は失速して、現在の枝野立憲民主党、玉木(小沢)国民民主党という野党の構成となる。

この過程を理解できる人は少ない。結局、立憲民主党と国民民主党の、「自民党に対抗できる野党」や「野党の大きなかたまり」とは何であるのか。選挙のたびに政党再編が生じるなら、政党から出発してもこの答えは見いだせないだろう。また突然、有力なポピュリズム政党が出現する可能性もある。最後の「まともな政党選挙」が行われた2009年は、奇しくもリーマンショックの翌年であり、それを契機に世界は大きく変わっている。この変容した世界の中での日本政治の課題を確かめることから、逆にそれぞれの政党のポジションを検討したい。

2.世界は過去10年でどう変わったのか

リーマンショック後のグローバルなレベルでの経済成長の急落と失業者の増大、成長をけん引した中国の台頭、金融機関の救済とその後の社会格差の拡大、ブルーカラー労働者や中産階級の衰退、ポピュリズム政党の躍進やいくつかの国での権威主義体制の復活など、数多くのことがメディアで報道されている。ハンガリーのオルバン首相の移民排除政策、ポーランドの保守政権の司法への介入、トルコの大統領に就任したエルドアンの自由なメディアや反対派への弾圧など、民主主義のもとで選出された政治家による、権威主義的な政治がその事例である。 

しかし日本との関連では、西欧自由主義の中心となる国々での近年の政党政治の変化のほうが大事である。今、ドイツ、オランダ、フランス、イタリア、スウェーデン、イギリスを見てみよう(表1参照)。

単純化していえば、北欧、ドイツなど欧州大陸諸国の比例代表制をとる国では、それまでの中道左派(社会民主主義政党)、あるいは中道右派(キリスト教系保守主義)という「国民政党」が存在しており、安定した政権作りが可能であった。しかし2017年、2018年には、ドイツでも、スウェーデンでも、基軸となる政党が、20~30%台の得票率となり、選挙後の連立政権樹立がしばしば困難になっている。その背景には、左派社会主義政党や右翼ポピュリズム政党が台頭した結果、この「体制外」の両党を除外した連立政権が困難になっていることがある。

その中でも、フランスとイタリアでは、それまでの政党システム自体が大きく変容した。フランスでは、マクロン大統領の「共和国前進」が、既成政党を解体に近い状態に追い込んだ。イタリアでは、左翼ポピュリズムといわれるEU懐疑派の「5つ星運動」が、32.7%を獲得して第1党に躍り出た。さらに両国では以前から、右翼ポピュリズム政党として、ル・ペン党首の国民連合(旧国民戦線FN)や地域政党の北部同盟などが力も持っており、政権を窺っている。


イギリスは小選挙区制なので一見して、政党政治は安定しているように見える。それは多様で複雑な対立を2大陣営に単純化し、勝者が総取りを行うシステムだからである。デモクラシーの担保は、次回の選挙による政権交代の可能性によって保障されている。しかし強制された民意の集約は、政党内部での亀裂を生んでいる。現在のBrexitをめぐり、与党保守党も、野党労働党も分裂しており、両者とも政権担当能力があるとは思えない。グローバル化のもと社会格差や地域格差が進行し、国民や地域が分裂しているとき、政党による国民統合能力には限界があり、選挙制度は現実を一時的に覆い隠しているに過ぎない。このことは現在の日本政治や、安倍政権を考える場合、重要な視点となる。

要約すると、西欧自由主義諸国において、これまで周辺であった左右のポピュリズム政党が大きく躍進し、これまでの中道多数派政治が大きな挑戦を受けている。国境という境界線(共和国)のなかでは、自由・平等(社会的公正)・連帯が基本的価値となり、多元主義(Pluralism)とは、そうした西欧自由社会の枠組みの中での、多様な価値観を持つ自立した個人や組織の相互承認を意味していた。今問われているのは、多様性(Diversity)であり、階層、年齢、性別、国籍、障害の有無や性的少数派など、様々な「違い」をもつ者の間での共生や共存が課題となっている。その理解には個人差や地域差が大きく、ここにとりわけ右翼ポピュリズム政党は、分断のくさびを打ち込む。 

3.ゾンビ化した安倍政権、ポスト安倍の政党配置は?

小選挙区比例並立制という独特の選挙制度を実施する日本も、この小選挙区制の国々のバリエーションともいえる。自民党政権(ガバメント)は安定しているように見えるが、日本が抱える課題の解決(ガバナンス)能力は貧弱である。日本の大企業と同じで、巨大で堅牢な本社ビルの足元で解体の危機が進行している。

この点では、本誌で何度も登場した金子勝が、早い時期から「衰退国家日本」や経団連の大企業をゾンビ企業と呼んできたことが思い出される。アベノミクスも、その実質的な部分、つまり円安と株高誘導すら限界に達し、ゼロ金利による地方銀行の疲弊と淘汰、日銀の自己資産の食い潰し、公的年金の運用を管理するGPIFの世界的な株安による15兆円損失の可能性、円高への転換など、結局、大企業の内部留保を増加させ、財政規律を緩め、累積赤字を上乗せしただけで終わりそうである。

福島原発事故のあとでも「原発立国」として産業政策の柱の一つに設定したが、東芝、三菱重工、日立とすべてが撤退した。安倍首相は、外交と海外の訪問に膨大な時間とエネルギーを費やしたが、韓国とは最悪の関係に陥り、突破口とした北方2島の変換もプーチンとの交渉は見込み違いであり、とりわけ韓国との関係は安倍首相個人の政治姿勢が、対立を激化させる要因となっている。そして太平洋の「公共財としての日米同盟」といわれた日米安保も、中国との覇権競争や軍事技術の高度化により、その真価が問われる時代が間もなくくるだろう。

先日、ドイツで「Friday for Future(未来のための金曜日行動)」という数千人規模での高校生のデモが放映されていた。アメリカから始まり世界に拡散しているらしいが、金曜日の授業を抜け出して、未来世代に、地球温暖化問題など負の遺産を残さないように訴える街頭デモである。安倍政権の施策や大企業の老人経営者などにより、今のままでは荒涼たる未来が残される日本の高校生こそ、「未来のための金曜日行動」を必要としているだろう。

このようにどの点からみても、日本は安倍政権からの決別を迫られており、安倍首相の退陣がもっともわかりやすい出発点となる。次に誰が政権をとっても、まずアベノミクスの敗戦処理内閣が出発点となるだろう。経済同友会代表幹事の小林喜光も、「平成30年、日本は敗北の時代であった」(「朝日新聞」2019.1.30)といっている。その認識から初めてリーマンショック以後の21世紀の日本政治が問われることになる。

政局を期待するメディアや安倍政権に距離を置く野党のベテラン政治家は、野党一本化により転機を期待しているが、それがどのような意味で転機となるのかだれも答えていない。ここで一つの思考実験として、ポスト安倍政権の政党配置と政策を検討してみよう。ここでは二つの仮定を設定している。一つはポスト安倍自民党であり、もう一つは、ポピュリズム新党の登場である。日韓問題、北方領土2島先行返還論に関しては、まだ各党の原則論しかわからず、沖縄辺野古移転・新基地建設に関して、意外と控えめな表現が多いのでここでは掲げない。また次世代デジタル・テクノロジーやバイオ・テクノロジーの開発、教育・研究投資の拡充、災害に対する「国土強靭化」政策など、どの政党も重点政策としているのでここでは言及しない。


(1) 脱アベノミクス

安倍政権の退陣後は、どの政党であれアベノミクスの総決算と、転換のための経済・金融政策を提示する必要がある。与党には厳しい敗戦処理の任務が待っており、野党もアベノミクス批判の段階から、ゼロ金利からの出口戦略や、成長のための経済政策を要求される。大事なことは、だれも責任を取らなかったバブル崩壊時の轍を踏まないことである。

責任の所在は明らかである。安倍政権であり、黒田日銀総裁であり、政府与党、自民党と公明党である。しかしこの6年間で社内留保をため込み、投資を怠った日本の大企業システムにも批判は及ぶだろうから、野党はきちんと問題を整理する必要がある。そのうえで責任を徹底的に追及するか(バブル崩壊後を考えるとこれも建設的である)、あるいは出口論を共に考えるか、二者択一を迫られるだろう。ここが混乱すると、「画期的な」と称する政策を演出するポピュリズム政党が出現して、一過性のブームを作る可能性もある。

(2) 脱原発とエネルギー転換

もっとも建設的な分野は、脱原発・再生エネルギーへの転換政策である。「原発立国」が失敗した以上、自民党も含めてこの選択をするしか未来はない。この点で野党はこれまで、運動面でも政策面でも経験を積んでおり、また新たな産業政策や地域活性化政策としても多くの可能性を秘めている。国民民主党が脱原発に関してこれまでの曖昧な立場から決別すれば、新しい展開も期待できる。

(3) 徹底した地方分権

また地方分権の徹底も、ポスト安倍時代の政党配置を構成する一つの論争の場となりうる。地方分権や地方再生の意義を軽く見る政党はないが、分散型統治機構の形成や財政の分権化など、中央省庁や巨大利益団体の中央集権型組織の既得権とぶつかるので、現実化においては政党がそれぞれの独自性やリアリティを提示することができる。この点でこそ、日本の「国のありかた」に関して、抜本的な議論が必要とされる。

(4) 財政再建

財政再建に関しては、かつて民主党が重要課題の一つに掲げ失敗しただけに、与党も野党も原則論の提起に留まっている。消費税も含めた税制改革や、再分配政策、社会保障政策などの一体的な改革の提起を待って、初めて具体的な政策論が展開されるだろうが、それはおそらく先送りされるだろう。安倍政権ができなかったプライマリーバランス(歳入・歳出から国債費などを除いた基礎的財政収支)の実現が当面の目標となり、人気につながるかどうかは疑問だが、国民民主党が存在感を示せる分野であろう。

(5) 憲法9条と日米安保の将来

最大の対立課題は、憲法9条の解釈をめぐる問題と日米同盟の将来像である。ポスト安倍では改憲問題ではなく、2015年の集団的自衛権を事実上認めた、いわゆる安保法制をめぐる対立となる。北朝鮮の核装備の段階では、集団的自衛権をめぐり議論はまだ「リスク回避」の側面もあったが、米中が、通商面で、軍事面で、さらには先端テクノロジーや宇宙の軍事的利用も含めて、覇権競争に突入するこれからの20年は、むしろ「リスク増加」の要因となる。イランの核装備をめぐる中東の緊張の増大は目に見えており、米・ロの軍拡競争も無視できない。

主要政党では、共産党以外は日米同盟の継続が掲げられているが、その場合、憲法9条はこれまで以上に、日本の相対的に独自な安全保障政策を担保する装置となりうる。極端な米軍との一元化(統合)が進行すれば、ポピュリスト政党による核装備も含む自主防衛論という選択肢も登場するかもしれない。この点では、立憲民主党の原点である、憲法9条を立憲主義の原点に戻って安保法制以前の状態に戻し、またドイツやイタリアなどに比べて「不平等条約」となっている、日米地位協定の改定から始めるべきであろう。9条擁護派は新しい論点を得たが、それだけ安全保障の結果責任も重くなる。

(6) 多国間経済連携

そして安全保障の問題は、次の多国間通商協定の締結と大きく関連する。

TPP(環太平洋パートナーシップ)、日本とEUの経済連携協定(EPA)、それに、中国やインドなども含めた東アジア地域包括経済連携(RCEP)など多国間経済連携は、とりわけトランプ、アメリカ大統領が保護主義的な通商政策を推進する中、重要な取り組みになっている。

TPPはもともとアメリカ発であり二つの側面があった。アメリカの諸制度をグローバルスタンダードとしてすべての参加国に認めさせること、さらには中国をけん制するために、アジア・太平洋にアメリカが主導する経済圏を作ろうとする、地政学的な要請であった。とりわけ前者の問題は日本では反対論も強く、このため現在でも、立憲民主党は反対であり、国民民主党も明確ではない。

しかしアメリカの不参加で、TPPの性格が変わった。この2月1日に発効したEUとの経済連携協定と、さらには中国、インド、韓国、アセアン諸国を含めたRCEPを、全体として戦略的に進めるなら、日本だけではなく、グローバルな共通財となる。立憲民主も国民民主も、野党の立場から政府を批判してきたが、保護主義が台頭する時代のこうした多国間協定の重要性は認めているので、これから本当の意味での、総合的な政策論争が望ましい。その成功は、米中の覇権競争に対して、それを緩和するもう一つの枠組みを提供することになる。

(7) 生活保障のための制度

あと残されたのは、社会経済構造改革や税制度と再分配政策、それに社会的保護立法などの、人々の仕事と生活に関する新しい制度作りである。一つの論点は、現在の安倍政権のように、根拠のあるデータではなく、企業や経営側の要請に立って立法化を進めるのか、それとも働く側にたって改革やさまざま社会的保護立法を進めるのかという対立軸である。この点では、現在の与党と野党の間には明確な分断線があり、これはポスト安倍時代も続くだろう。その場合に、外国人労働者の拡大政策がいい例となるが、経済界の要請にしたがい、なし崩し的に拡大していくのか、それともグローバルなスタンダードとなる法的な保護や制度を準備して、本格的な移民国家に向かうのか、大きな分岐点になる。

多くの外国人労働者が入国し、社会のさまざまなところで軋轢が生まれると、欧州のようにここに特化したポピュリズム政党が生まれる可能性もある。要は、日本社会が新しい価値である多様性Diversity を、グローバルな21世紀を日本が生き抜くために変わらなければならないものとして受け入れることができるかどうかであり、法治国家として制度的にもそれを保障することができるかどうかである。

4.保守主義ではなくアーカイブに立脚する進歩への構想力

さて21世紀の国際社会における日本の立ち位置に関して、各党の理解はどうなるだろうか。幸いなことに、現段階ではこの点では共通の理解と価値観がある。その原則は簡単であり、グローバルな世界の自由民主主義体制の一翼を、アジアにおいて、周辺諸国と協働して担うということである。

右翼ポピュリズムの台頭や権威主義体制の成立に対して、法の支配と民主主義の危機を訴えるドイツ系アメリカ政治学者、ヤシャ・モンクの言葉を少し変えれば、Democracy with Right and Social Protectionの擁護、日本語に翻訳すれば、法治国家のもとで、人々の生活を保障するデモクラシーということになる。立憲主義を強調する枝野立憲民主党は当然だとしても、自民党も、「自主的憲法改正」を党是に据えても、1955年の結党からこの原則は変えていない。

この確認は非常に大事なことである。自国第一主義や、始まりつつある米中の覇権競争の中で、自らの立ち位置を見失わず、また共通する価値観や制度を持つ国々と協働できるからである。アジアでいえば、韓国、台湾、オーストラリア、ニュージーランド、インド、それにアセアンのいくつかの国々である。またEUとの関係も重要となる。これは、前に述べた地域経済圏、TPP、EUとのEPA、RCEPの総合的な構想と結びつく。

これらは日本の通産省や外務省の構想とも重なるが、政治の役割は官僚のそうした予定調和的な世界像ではなく、現実の利害対立や歴史上の負の遺産を踏まえて、リアルな対応をすることである。冷戦時代と異なり、ヒト、モノ、カネ、サービス、それに情報にはもはや国境はない。中国の「一帯一路」政策の多様な可能性とリスクを見極め、また自由民主主義体制と共産党一党支配国家という違いを確認したうえで、共存・共生の道を探ることになる。

法治国家と生活保障を基本原則として承認したうえで、日本が今直面するのは、「保守主義」が一人歩きをして、人々の思考や支配的な行動様式になっていることである。枝野幸男は昨年7月20日、内閣不信任案提出に際しての有名な長時間演説において、人間の限界を知ったうえで、先人の知恵や歴史的経験を活用することこそ真の保守主義であると、安倍ご都合保守を批判した。

確かに立憲民主党が唱える立憲主義も、歴史的には保守主義の一翼をなす。2015年の安保法制をめぐり、立憲主義の立場から決定的な批判を行ったのは、自民党が期待した京都学派の「保守的な」憲法学を継承する佐藤幸次名誉教授であった。枝野はその後、立憲民主党の有志政治家たちと、伊勢神宮を参拝している。

個人的な思考や行動はもちろん自由であるが、保守を自認する自民党に対して野党第1党の代表が、立憲民主党を「保守本流」として位置付けるのは間違っている。枝野も日本における保守主義の研究において(例えば、宇野重規『保守主義とは何か』中公新書 2016)、エドモンド・バーク以来の、進歩思想を体現するフランス革命への反動から保守主義が生まれたという背景は熟知していると思う。そうであれば宇野の言うように、保守主義は進歩思想と表裏一体であり、進歩思想が衰退している現在、保守思想も混迷していることが忘れられてはならない。

いいかえれば、真の良質な保守を期待するのであれば、大胆な進歩主義の存在が不可欠であるという歴史的事実である。野党第1党の立憲民主党が、この大胆な進歩主義を体現しなければ、日本に良質な保守が生まれることはあり得ない。まさに安倍政権の何でもありの漂流する政治がそれを示している。

平成の30年は、失われた「繁栄の時代=昭和」の影を追ってきた。考えてみれば、日本社会全体がそうした偶像化された自画像、レジェンド伝説で満ち溢れている。しかしクールジャパンの多くは、日本古来のものでも伝統でもない。明治以降の近代化の中で、また戦後のアメリカ文明の流入の中で、そうした近代の進歩主義と結びつく形で再構成されたものである。里山の風景は、明治時代の外国人にとっても美しいものであったが、農村住民の生活は貧しく悲惨であった。高度経済成長の過程でこうした旧い里山は破壊され、現在の美しい里山となった。NHKの「プロジェクトX」は、日本のすさまじい企業活動の時代、進歩と成長への渇望の時代のアーカイブである。

平成の時代では、それは好ましい日本の自画像として消費され、文字通りNHKのアーカイブ映像として収蔵されている。こうして成熟した日本は多くのアーカイブをもち、自らの好む自画像を再生産できるようになった。しかし同時に進歩や変革へのエネルギーも失われてしまった。

もちろんNHKのアーカイブの中には、戦争責任や公害問題など、悲惨な歴史的アーカイブも多く含まれている。しかし日本では戦時の公文書の多くは破棄・焼却され、現在もまた公文書偽造や破棄、データの改ざんが行われている。明治維新や1945年のように、私たちはゼロ地点からの出発ではなく、成熟した社会として多くのアーカイブの上に成立している。その中で、美しいものも悲惨なものも、すべて冷静に見つめることから、良質の保守主義も知性豊かな進歩主義も生まれる。

20世紀後半の進歩主義の一つの象徴であった「68年世代の反乱」は、欧米では旧来の権威を大きく変える文化革命となった。中国の文化革命は、毛沢東の個人崇拝に帰着し、日本の68年世代の学生反乱は、企業社会に吸収され、バブルの崩壊とともに消滅した。いま社会の発展、進歩主義のダイナミズムを日本に再建しようとするなら、多様性Diversityの展開が大きな要因となるだろう。

若者の多様な生き方とそれを保障する公的・社会的支援、女性の活躍する社会、移民労働者が正当な賃金と法治国家のもとで働ける環境、高齢者が第2、第3の人生を発見できる社会、地域の自立した再生など、数多くの政策課題がある。「未来のための金曜日行動」のような、高校生に学校教育とは離れた自由な思考と行動を勧める発想も必要となる。

この1月に逝去された「哲学者」梅原猛が、1980年代半ばに国際日本文化センター設立のために、ドイツの日本学の講座にヒアリング調査に来た折りに、同行したことがある。日本の緻密な文献考証学や個別の研究成果に対して、梅原猛は、日本文化全体を構想する大きな骨組みや論理的な構想力を持っていないと、不満を口にしていた。

アメリカやヨーロッパの日本学の講座を回り、粗削りではあるがそうした大きな研究の骨組みや構想に、彼は感銘を受けたと話していた。仮説や構想を設定し、そのために一貫性のある論理体系や戦略を構築し、検証すること、これこそ近代の進歩主義の思想と行動そのものである。保守・自民党に対して、立憲民主党であれ国民民主党であれ、この意味での進歩主義に立つ政権の構想力が問われている。

すみざわ・ひろき

1948年生まれ。京都大学法学部卒業後、フランクフルト大学で博士号取得。日本女子大学教授を経て名誉教授。本誌代表編集委員。専攻は社会民主主義論、地域政党論、生活公共論。主な著作に『グローバル化と政治のイノベーション』(編著、ミネルヴァ書房、2003)、『組合―その力を地域社会の資源へ』(編著、イマジン出版 2013年)など。

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