連載●池明観日記─第19回

韓国の現代史とは何か―終末に向けての政治ノート

池 明観 (チ・ミョンクヮン)

≫ラスキのアメリカ論を読みながら≪

ラスキの『アメリカ・デモクラシー』を読んでいる。堀真清氏が送って下さった本である。ラスキはアメリカが持っているよき点をアメリカを軽蔑の目でながめるイギリス人たちに説明してやろうとした。私は一方日本に対して無条件に反発する韓国人に対して日本人について説明してやろうとし、また一方で韓国人を軽蔑しようとする日本人に対して韓国人について説明してやろうとしたといえようか。ラスキはアメリカは政治的に、宗教的に虐待されていた人びとの隠れ家であると言った。アメリカ人は「実験主義的であり、世に出るということに情熱的で、自分を主張することに躍起となる」ともいった。

私が日本についてなしたいと思った役割をこれからアメリカに対してもなしうればという思いもあるのだが、それにはあまりに歳を取ったといえよう。またいまはそのようなことをのせてくれるメディアもないことを思って一人で苦笑いをせざるをえない。

ラスキは18世紀にアメリカのワシントンやアダムズが考えたことをイギリスやフランスでは19世紀になってようやく考えることができたといった。ここに興起しているアメリカと衰退していくヨーロッパという対照がすでに描き出されているといえよう。アメリカの伝統にはつぎのような傾向があるとラスキは書いた。

 「アメリカの伝統には希望の限りなさと、その希望に含まれるうきうきした快さがある」

 「国家を見る眼は、ともすれば、疑惑や嫌疑の眼でありがちだった」

このような点は韓国の場合とも比較しうるのではなかろうか。彼らは伝統的に政府を「防衛と秩序の機関」として見るという。韓国でも大統領の権限縮小の問題がいま盛んに話題になっている。大統領のあのような巨大な権限というものは軍事政権が残してくれた悪しき遺産であるといわねばならない。

アメリカにはヨーロッパの遺産にたよる傾向があるが、このことは上層にある考え方で、アメリカの大衆には彼ら自身の目で事態をながめ、アメリカの権利を主張しなければならないという考えがあった。このような状況の中で妥協が成立したのであるが、それはアメリカの将来に対する約束にみんなが信頼を寄せていたからであるという。

このことは韓国の政治風土について考える時、参考になるのではなかろうか。この二つの考え方の間には分裂がありえたが、アメリカの場合は統一できたということはとても重要なことではなかろうか。その二つの考え方の間に権力の移動があっても国民は動揺しないで待つことができなければならない。そしていったん権力を握るとこの両者の間における均衡を考えなければならない。ラスキによれば、アメリカはヨーロッパが提供しうるすべてのものを受け入れながらも、それにしばられることがなかった。韓国が近代的なすべてを受け入れながらも、それに束縛されることなく前進することができればと思う。他人の国とは異なるわれわれ固有の文化を保っていかなければならない。

ラスキは、アメリカ人は日本人のように、世評に敏感であるといった。それは後進国としておくれて世界の舞台に登場する時には常に現れる現象であるといわねばなるまい。韓国もそうではなかろうか。しかしアメリカ人はひとがうかがい知ることのできない「神秘のヴェイルで身を包む芸当」を持たないという。日本人には自己を包む保身本能のようなものがあるように見えるが、それは武士社会の伝統から来たものといえるのではないか。その社会ではそうでなければ生きられなかった。この二つの点から見れば韓国人はアメリカ人の方に近いのではなかろうかと思われる。

ラスキはアメリカのキリスト教はアメリカの環境を造って来たというよりは「環境の必要にあわせてこの伝統的宗教を形造っていった面」が大きいといった。彼は「アメリカの伝統の基盤」として「一心に励むこと、秩序のある生活を送ること、実直と公正の評判を得ること、向こう見ずな虚飾のために自分の資産を浪費しないこと、やろうとおもった目的はどこまでもやりぬく決意を持つこと」などの倫理を提示し、キリスト教がそれと一つになったといった。韓国はアメリカ人宣教師によってキリスト教を受け入れたのだからこのような近代倫理によって自己形成をしてきた面があるのではないだろうか。

ラスキは『アメリカ・デモクラシー』の第一章「アメリカの伝統」においてアメリカが担っている特異な歴史的特徴をあげながら、今日のアメリカが不可避的に担うようになってきた世界史的な使命をどのように遂行しうるかについて問題を提起した。その後、60年も過ぎてソ連も崩壊した今日、アメリカは確かに歴史的必然というべきこのような使命の前に立たされて考えなければならないようになってきたのではないだろうか。ラスキはアメリカはまだ黒人問題を解決していないが、つぎのような歴史的長所を備えているのではないかといった。今日においては黒人大統領の下で黒人のかなり華麗な進出も現れているのであるが。

アメリカには「旧世界の障碍」がない。他の国では見られない十分な「自然資源」とそれを利用するための発明と国民の積極性がある。門閥のようなことは考えないで生産的な勤労に熱中し、それを栄誉と考える国民は今までなかった。「知識達成の道」がそれほどたやすく誰にも開かれている国も今までなかったではないか。「進歩に対する信念」があれほど深くまた広く国民の間に普遍化されたこともなかった。問題を自分の力で解決する能力をあれほど「永続的に確信してきた国民」も今までなかったのではないか。このようにラスキはアメリカの優位性を提示した。

私は6・25動乱によって廃墟と化していたところから立ち上がった韓国の場合をアメリカに照らして見ようとした。戦乱は悲劇であるが、優れた民族であればそれとともに今までの時代を超える可能性を開いて行くものだといえば言い過ぎであろうか。

ラスキは「アメリカ精神」とは大体において「俗化したピューリタニズムの精髄」だといった。そして「アメリカ精神は、ちょうど著者というものが、批評家を疑いの目で見るのとちかい見方で、政治家を見る」といった。「アメリカ精神は実に政治に対して疑いぶかい」。アメリカ精神は政治に対して「暴政と圧迫を結び付けて」考え、誰でも思う存分のことができる「自由を、深く尊敬している」というのであった。政治的圧迫を避けて祖国を離れることを決意してアメリカを選び、流浪の道に入らなければならなかったあの多くのアメリカの創始者を考えればこのような傾向は当然であるといわねばならないであろう。このような姿勢は韓国国民と政治権力との関係を考える時、そのまま適用できるのではないか。韓国の長い政治史のなかで、われわれは政治家たちの絶え間なき背反を経験したのだから政治に対する憎悪まではぐくんできたといえるのではなかろうか。(2012年12月15日)

 

アメリカの人口が 1790年から1860年の間に400万台から 3200万台に至ったとラスキは語りながら、大学は1800年に24校程度あったのが 1860年には少なくともその十倍にはなっていたであろうといった。こうしてその広い国土に、行動基準に画一性が生まれたのであるが、急進的運動が起こっても部分的に成功した場合はあっても、大体においてそれはとても弱いものであったという。このようなことを今日においては国内的にも国際的にも考えることができるであろう。ソ連式強制による画一性ではなく、社会的発展段階がそのような状況を生み出したことを待つのだった。ここにおいてもアメリカの先進性が世界的に問題にされていいだろう。歴史的にアメリカが先立って行った道を世界がついていくといえるのではなかろうか。

「一人の人間が選ばれるのは、この人の為るべき特殊な仕事に役に立つ……」とラスキはアメリカの「プラグマティックな精神」をあげた。イギリスであればその地位に対する適当な人物を探すとき、「門地や教育」を問題にする。しかしアメリカは今日多くの分野において人種を問題にしないで人を採用するようになった。これはひたすら人をさがし求めてきたフロンティア時代からの伝統によるものではなかっただろうか。

アメリカの南北戦争に対してヨーロッパの国々がとても懐疑的な目でながめたというのは驚くべきことである。新興国に対する恐れもあった。アメリカがそのことを無視しえたのは何よりも海によってユーラシア大陸から遠く離れていたからであった。アメリカの思想的営為はだんだんと「視野の広さと精神の円熟」を備えるようになった。そのような傾向は特に第一次世界大戦後はっきりと現れた。19世紀の90 年代に至ってようやく「アメリカ精神」がアメリカに根を下ろすようになったとラスキは考えた。第一次世界大戦以前においては「アメリカの文化的中心はヨーロッパにあった」。ヨーロッパに認められてこそアメリカにおいても認められたというのであった。

それで南北戦争以後の「アメリカ精神」と第一次大戦後の「アメリカ精神」とを分けたから、ラスキはアメリカがあまりにも早く「世界問題の舞台」に立つようになったと考えた。「大衆の教育をもって、少数者の特権を脅かすものとする」というヨーロッパの一般的な恐怖をアメリカは克服したといった。こういう考え方からすれば韓国の今日の急速な高等教育の普及をどのように見るべきであろうか。いわば高級失業者の問題は一つの社会的な挑戦であり、そのためには産業の高度化を図らねばならないのではないか。

アメリカは「普選に基礎を置いた政治的民主国」に世界のどの国よりも先に進み出た。軍隊においてすら「世襲的貴族階級」出身の「特別士官階級」が存在していたヨーロッパではこの普選に対して、恐怖を感じていた。1947年にはまだアメリカの黒人の状況に対して、ラスキは絶望するほどであったが、今日においては黒人大統領の時代にまでなっているではないか。黒人大統領を民主的に選択することのできる国家であり、今ではそのような大統領であっても狙撃されることのない社会までにアメリカが成長したということはほんとうに驚くべき歴史の変化であるといわざるをえない。

それだからアメリカは世界史の進行を代表するといえるであろう。われわれはアメリカ史の世界史的進行に注目しなければならない。シリアの問題、北朝鮮の問題はどうなるのだろうか。それは古い世界史の残した残滓だと私は考えているのだが。

ラスキは特に第一次世界大戦後、伝統的なアメリカニズムと現実との間に現れた乖離を問題にした。今日の韓国においても大統領選挙の時に見られる選挙戦のやり方や候補たちの人物と姿勢、それと国民または社会の状況とを比較して見れば、恐ろしいほどの隔たりを感じないではいられない。社会状況の進歩を政治がとうてい追いつくことができない。そこで安哲秀のような人が突然出現せざるをえなかったといえよう。ほんとうに新しい時代に沿うことのできる国民と政治という課題を知識人たちは深く研究しなければならないのではなかろうか。

ラスキはそのような時代に見合うアピールのためにリンカーンやフランクリン・ルーズベルトの演説をあげた。それは「アメリカの民主主義の一新と転換とを同時に予言するかのごとくであった」という。韓国でも今度の大統領選挙でそのようなものが求められているのであるが、果たしてそのようなものが可能であろうか。

このような課題に対するラスキの説明は実に明快なものであった。彼はドイツからアメリカに来ていた文献学者イェーガーが引用したツキジデスの言葉をあげた。「それは死体解剖報告ではなく、国家の生命をもたせようとする最後のこころみである……」。ラスキはこの演説は「誇大な個人主義」に対する警告であったといった。この国においてはどのような大統領が選ばれて就任演説をなすようになるのだろうか。投票が進行しているという状況を遠くながめながら、そのようなことのできる人物が今の韓国の政治風土にありうるのだろうかという思いを繰り返している。(2012年12月18日)

 

池明観さん逝去

本誌に連載中の「池明観日記―終末に向けての政治ノート」の筆者、池明観さんが本年1月1日、韓国京畿道南楊州市の病院で死去された(97歳)。池さん本当に長い間ご苦労様でした。今はゆっくりとお休みください。

池明観(チ・ミョンクワン)

1924年平安北道定州(現北朝鮮)生まれ。ソウル大学で宗教哲学を専攻。朴正煕政権下で言論面から独裁に抵抗した月刊誌『思想界』編集主幹をつとめた。1972年来日。74年から東京女子大客員教授、その後同大現代文化学部教授をつとめるかたわら、『韓国からの通信』を執筆。93年に韓国に帰国し、翰林大学日本学研究所所長をつとめる。98年から金大中政権の下で韓日文化交流の礎を築く。主要著作『TK生の時代と「いま」―東アジアの平和と共存への道』(一葉社)、『韓国と韓国人―哲学者の歴史文化ノート』(アドニス書房)、『池明観自伝―境界線を超える旅』(岩波書店)、『韓国現代史―1905年から現代まで』『韓国文化史』(いずれも明石書店)、『「韓国からの通信」の時代―「危機の15年」を日韓のジャーナリズムはいかに戦ったか』(影書房)。

 2022年1月1日、死去。

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