特集 ●歴史は逆流するのか

「満額春闘」も吹き飛ぶ「世界インフレ」襲来

連合は「秋闘」を復活させ、生活防衛かけて一時金・諸課題実現を期せ!

グローバル総研所長 小林 良暢

2022年連合春闘は、トヨタの労使交渉で始まる異例のスタートになった。

トヨタ「満額回答」

春闘の賃上げ交渉が本格化する1ヶ月以上前の2月4日、トヨタ自動車の第1回労使交渉がおこなわれ、この交渉に卜ヨタ自動車の豊田章夫社長が自ら出席して、組合要求に満額で応える考えを早々と伝えたと、読売新聞が報じた。この団交の席で、豊田社長は「賃金、賞与について、会社と労働組合の間に認識の相違ないことを、このタイミングではっきり伝えたい」と述べ、組合要求の「満額回答」で事実上決着した。

このトヨタ「満額」の衝撃は大きく、3月16日の連合集中回答日には、自動車や電機の主要大手組合で満額回答が相次ぐ「満額春闘」に相成った。

22春闘について、筆者は3つの特徴があったと考える。

①大手組合の満額回答

②低過ぎた賃上げ要求

③中小・非正規の格差賃金の底上げ

大手の「満額回答」相次ぐ

3月16日の集中回答日に連合が発表した第1回回答集計結果によると、「定昇・ベア」込みの平均引上げ額は6581円、率では2.14%だった。連合が公表しているプレスリリースによると、「1回集計時点で2%台に達したのは3年ぶりだ」と、その成果を記しているのが、今年の特徴だ。

これは、主要大手組合からは「満額回答」が相次いだからである。

ただ、連合の第1回集計のプレスリリースでも、ベアと定昇を明確に区別できる組合に限定して細かく見ると、ベアの引き上げ率は0.05ポイント低下して0.50%だったという。21年春闘よりもベア実施を獲得した組合が大幅に増えたことが影響して、その分賃上げが小幅になったとのことで、そのため全体としては「引き上げ率が下がった」と説明されている。

確かにそういう側面があることは確かだが、逆に主要大手組合については「満額回答」が多く、このことが賃上げ相場を引き上げたということでもある。

では、どうして「満額回答」の連発になったのか。

筆者は「もともと労働組合の要求が低すぎたからだ」と答えている。

ポストコロナ経済「絶好調」

少しばかり古い話になるが、日本経済新聞社が、昨年11月までに中間決算を発表した上場企業1689社を集計したところ、対象企業の全社の純利益が20兆2973億円と、コロナ前に比べた純利益を上回り、過去最高を更新したことを明らかにした。とりわけ、自動車や電気機器においては海外需要が急回復してきており、先行き明るい見通しだと報じている。

昨年秋にこの記事を目にしたときに、筆者は来る22春闘への期待が高まると思った。だか、実際はそうはならなかった。

12月2日、連合が中央委員会を開催して、2022春季労使交渉の闘争方針を討議し、ベアと定期昇給相当分と合わせて「4%程度」にするという、それまでと変わらない要求を決定したのである。

この定昇+ベア「4%程度」の要求は、連合が「官製春闘」の9年間のうちこの7年間掲げてきたもので、これでは昨春闘までと同じ結果になると直感したのである。

官製春闘9年の停滞

官製春闘とは、言うまでなく、2013年9月に第二次安倍内閣が、政府・経済界・労働界の合意形成を図る、経済の好循環実現に向けた場として「政労使会議」を創設した会議体で、第1回は14年春闘の賃上げ率について15年ぶりに2%の大幅なベースアップをはかり、以降安倍内閣が7回、次いで菅内閣が21春闘、岸田内閣が22春闘と、9年間にわたって引き継がれてている。

この政労使会議については、筆者も少しばかり関わりを持った。2013年夏の参議院選挙の暑い中、内閣府から呼びだされた。参院選後の9月に政労使構成の新しい会議体を発足させるについて、連合に参画してもらうのに、雇用労働関係の複数の識者と共に、労働組合のことは小林に聞けと最後にお鉢が回ってきて意見を述べ、政労使会議は予定通り9月にスタートした。

こうして始まった政労使会議だが、2014年の春闘は、主に政労使会議を舞台に展開することになり、その経過をまとめてみた。いちいち説明するのは煩瑣になるので、ポイントだけ述べることにする。

ポイントは連合の回答額(定昇+ベア)だ。官製春闘最初の14春闘は5928円、これは実に2008年春闘以来の6000円台までもう一歩に迫る回答で、6年ぶりのベア復活となった。

だが、次いで15春闘は、前年14年4月から消費税8%実施と11月から10%(実施延期)による消費減退、とりわけ自動車販売の売行き不振に陥り、トヨタ労連でも秋からの16春闘要求の目途が立たず、連合もそれまでの「4%以上」から「4%程度」に要求基準をダウンした。

「以上」が「程度」に代わってもピンと来ない向きが多かったが、金属労協の6000円から3000円への引き下げが公表されて、狙いがはっきりした。筆者は、要求が半額なら回答も半額になると書いたり言って回たりしたが、その通り16春闘は「半額春闘」となった。

それ以降、16~21春闘まで6年間は、連合の要求は「4%程度」に張り付いたままで、5000円台の前年マイナスが続き、トヨタが18春闘で回答結果を公表せず、19春闘は要求すら非表示、20年以降はベアゼロ・要求見送りと戦線を離脱した。

それでも冒頭で述べた通り、22春闘は7年ぶりに賃上げ6000円台を回復、率で2.14%アップも3年ぶりと健闘した。

この統一回答を受けた芳野友子会長は、記者会見で「取り巻く状況は明らかに昨年よりもよかった。満額回答を得た組合が多かったのが一つの特徴だ。主要製造業で前年を上回る賃上げが相次いだ」とコメントした。

だかしかし、この芳野連合の健闘もいつまでその覇気を保持できるだろうか。なにせ2.14%のベアでは、これから押し寄せる世界インフレの波にはひとたまりもない。

世界インフレ襲来

日銀が3月に発表した国内企業物価指数(企業が卸取引きした価格)は、前年同月比で9.3%と12カ月連続で前年を上回り、過去最大となっている。また、小麦の政府の売り渡し価格は、昨年4月は前年同月比で5%の上昇だった。卸売物価や先物価格の上昇は、通常だと約6ヶ月先の消費者物価で顕在化するというが、今回はロシア・ウクライナ危機が重なって早まる公算が大で、既に海外市場では、先行してインフレが昂進している。

アメリカでは、ガソリン高による輸送費の上昇など、あらゆる製品の値上がりにつながっており、歴史的なインフレが懸念されている。米労働省が4月12日発表した3月の消費者物価指数(CPI)は前年同月比の伸び率が8.5%となり、約40年ぶりの高い水準となっている。

とりわけ、コロナ禍の供給への制約にロシアのウクライナ侵攻による原油・穀物市場の騰勢が加わり、食品とエネルギー価格においての激しい上昇が顕著だ。

全米自動車協会(AAA)によると、直近の全米平均のレギュラーガソリン価格は1ガロン(約4リットル)あたり4.1ドルと、1年前の2.9ドルより4割高い。

さらに、生活必需品まで広がる値上げの波は、半年前まで上昇率が1%で安定していた朝食用のシリアルは2月になって7.5%と30年ぶりの値上がりに達し、「苦しむのは私たちみたいな中間層だ」と嘆きの声が聞こえる。

連邦準備制度理事会(FRB)は、インフレ昂進に歯止めがきかなくなる事態を、最も警戒している。3月の平均時給は前年同月比で5.6%増、高い賃金を求めて自発的な離職が大規模に起きる「大離職(グレート・レジグネーション)」の兆しが見え始めると、賃金上昇に弾みがつき、スバイラル化するのをFRBは恐れているのだ。

ニューヨーク連銀による消費者への聞き取り調査でも、これまでは3%程度で安定していた1年後の期待インフレ率が、この3月には6.6%まで急上昇し、その先行きに予断は許されない。

4月1日、欧州連合(EU)統計局が発表した3月のユーロ圏消費者物価指数の速報値は、前年同月比7.5%に上昇し、過去最高を更新した。ウクライナ戦争と対ロシア制裁を背景に、燃料や天然ガスの価格が過去最高水準にまで上昇している。

キャピタル・エコノミストは、「今回の結果は物価上昇圧力が極めて強いことを示している。コアインフレ率が上昇し続ける可能性は十分にある」との見方だ。

とりわけインフレ進行が著しい上位3ヶ国は、リトアニア(14%)、エストニア(11.6%)、チェコ(10%)の東欧諸国、また西欧でも上位3ヶ国のベルギー(9.5%)、ルクセンブルク(7.8%)、スペイン(7.8%)とかなり過熱している。

日本経済への直撃

こうした米欧と並行して進行する日本への影響について、原油と穀物に絞って見ておくことにする。

第一生命経済研究所の首席エコノミスト 永濱利廣を中心とするグループは、ロシア産原油の禁輸措置の検討に入ったことから、原油価格の急上昇と穀物価格の国際的な高騰を分析している。

まず原油については、先物市場において今年に入ってからドバイ原油が1バレル=90ドル台で推移し始め、ロシアのウクライナ侵攻を契機に、先物市場ではさらに1バレル=130ドルに迫る場面もあった。2021年のころには、1バレル60ドルから70ドルあたりで推移していたことからすると、このまま高騰が続くと2倍に跳ね上がったことになる。

日本円に換算すると、円安で円は対ドルで減価していることもあって、円建てドバイ原油先物価格はさらに上昇している。原油価格の上昇は、企業の原価コストに波及し、そのすべてが製品価格に転嫁されるわけではないが、製品価格や売上高への影響をもたらすことになる。また、価格上昇が最終製品やサービスにまで転嫁されれば、家計消費に影響を及ぼすことになる。

永濱によれば、まずガソリン価格の上昇、レギュラーガソリンの全国平均価格は13年ぶりの高値となっており、ガソリンや軽油、灯油の価格に跳ね返り、電気やガスの料金も3~5カ月のタイムラグを伴って値上がりしてくると言う。

家計への影響についても、原油価格の上昇は消費財の価格を押し上げ、過去の原油価格と消費者物価の価格相関をみると、円建てドバイ原油価格のプラス1%上昇は7カ月後の消費者物価を約0.01%押し上げているという。

これが及ぼす家計への負担について、21年の2人以上世帯の年平均支出額約334.8万円を基に、22年~23年にかけての2年間で、家計負担は原油価格80㌦で2.5万円増、90㌦で3.0万円、100㌦になると3.5万円増加するとする。

他方、穀物については、シカゴ市場の大豆・トウモロコシの先物価格は2月に入って前年比でそれぞれ5割から4割以上、小麦先物価格も同1割以上の水準まで上昇している。

この原因は、ラニーニャ現象に伴う穀物の供給不安や、ロシアやアルゼンチンの穀物輸出制限など、また需要面では、中国のバイオエタノール精製に使うトウモロコシなどの輸入増がある。

穀物価格が上昇すれば企業の投入コストが上昇し、その一部が製品やサービス価格に転嫁されるため、消費者物価の上昇を通じて家計の実質購買力の低下をもたらし、大豆は2020年に比べ39.3%、トウモロコシも23.6%高くなっている。

日本の小麦輸入は、政府の手で一元的に管理され、政府が売り渡し価格を決めて国内メーカーに売り渡される。また、売り渡し価格の改定は4月と10月に行われ、これが食料品価格へ波及するには平均1年近くの時差を伴うが、2人以上世帯の家計支出を月337円(年換算4045円)程度押し上げることになると試算している。

円安・インフレの日本

マクロ経済から見ても、日本においては一方で「有事の円」に異変が起きている。2008年9月のリーマン・ショック時には、発生後約3カ月で20円近く円高になり、東日本大震災や2年前の新型コロナ禍でも円が買われた。しかし、今回のウクライナ危機では、3月に入り約4円も円が下落している。

米国連邦準備制度理事会(FRB)は、約3年ぶりの利上げに踏み切っているが、日銀は大規模緩和の維持を決め、ドル高・円安が進みやすい状況が続いている。

こうした異変の理由について、金融関係の為替担当者は「貿易赤字で日本企業のドルが不足しているためだ」と口をそろえる。

国際市場では、石油や食糧はドル取引が基本。資源価格の高騰で、1月に日本の経常収支が2ヶ月連続の赤字となり、2022年は通年で1980年以来の赤字になる可能性があるという。

経常赤字国では、かつてのブラジルやトルコのように、その通貨は売られやすくなる。ウクライナ危機で商品価格全般が上昇、金融・証券・商社等の為替関係者の間では「日本の経常赤字が定着すると、円安が円安を呼ぶ悪循環になりかねない」との見方が有力だ。

日銀の黒田東彦総裁は「悪い通貨安を止める」と言っているが、どこまで耐えられるかである。今のところ、日本の消費者物価指数は、携帯電話料金の値下げの効果が効いて2%以下に落ち着いているが、資源高と円安のダブルパンチによって富が海外に流出していく状況が加速すると、インフレ襲来に巻き込まれかねない。

日本人の給与はこの30年間ほとんど変わらず、OECD加盟の35ヶ国の中で22番目である。こうなると、今年の春闘の賃上げではいまの物価上昇のスピードにはとても追いついていけず、吹き飛んでしまうことになる。

経済学者の野口悠紀夫は、迫りくる円安・インフレへの警告として「円安・インフレで日本は沈む」と題する論考を書いている(週刊ダイヤモンド2/5)。

野口によれば、輸入価格の上昇の要因は二つあり、原油価格の上昇と円安だと言う。振り返ると、昨21年11月の輸入物価は前年同月比で45.2%上昇、12月も41.9%と高騰し、それが続いている。

企業は、1ドル=120円直前まで進んでも、円安を武器に輸出拡大に前向きに向かおうとせず、アメリカNY市場の1000ドル安に付き合うように、日経平均株価も2万円台後半に止まり、1㌦=120円以下の水準に沈んだままである。輸入物価の上昇分を簡単には転嫁できないため、企業業績は悪化する。

輸入物価指数の変動は、約6ヶ月問のタイムラグを伴って諸物価指数の変動に反映され、その際、輸入物価の変動幅の10分の1が消費者物価の変動幅になるという経験則がある。だから、「これに従えば今年半ばには、消費者物価の上昇率が4%前後になる公算が大きい」と明言する。

だから、野口は「円安は日本経済の体力を消耗させ、日本を衰退させる」という。

1人当たりGDPや賃金が伸びないまま、世界経済における日本の地位が低下している。円安は国際的に見て賃金水準の切り下げだから、これが現在の日本経済の姿である。

インフレになれば預金の価値は目減りする。賃金が上昇しないままで、家計はこれから物価高に直面することになる。

連合は「世界インフレ襲来」秋闘を組織せよ

冒頭に取り上げたように「満額春闘」を獲得としたとは言っても、2.11%、額では6531円である。

4月に入ってからのテレビのワイドショーを見ていると、食パンや即席カップ麺、ビールなど、相次ぐ値上げの話題が多く扱われるようになっている。これからメーデーが終わると後は夏の参議院選挙に向かう。世界インフレ襲来に伴う日本の円安インフレが本格化すると、2.1%=6500円の賃上げは直ぐに吹き飛んでしまう。賃金が上昇しないままで、これから物価高に直面して、家計は実質的に貧しくなる

自民・公明両党は、「子ども1人あたり5万円の給付金をプッシュ型で支給し、生活を守るセーフティーネットを強化する」という政策を掲げているが、これも「低所得の子育て世帯」に限定したもので、対象が絞られている。

一般的な労働組合員や中間層には春闘賃上げ分こっきりで、これでは世界インフレ襲来に対抗できない。そこで連合に対しては、春闘で取れなかった分を、秋の闘いを組織して、「世界インフレ襲来」秋闘を組織することを提案したい。

連合が発足するまでは、秋に統一して闘う「秋闘」を組織していた。それまでは、ボーナス(一時金)は、冬夏型と夏冬型の二つに分かれて取り組まれてきたが、その冬夏型のボーナス要求をメインに据えて、これに労働協約改定や賃上げ以外の諸課題を改善する「秋闘」に取り組んできた歴史を有する。

連合になって、これも一本に集約されたが、春闘はやはり大幅賃上げで、それ以外の要求は日程的にも時間的制約から、なかなか焦点に上がりきらずにきていた。それ以外にも、働き方改革、ジェンダー・エクイティーなどの新たな課題についても、十分な内部討議を重ねることができず、話題には上がるが、実践的には見送られてきた。

こうした春闘にはなかなか収まり切れない課題を、いま一つの闘いの山場として、いま一つの統一闘争として、「秋闘」をつくることを提案したい。

こばやし・よしのぶ

1939年生まれ。法政大学経済学部・同大学院修了。1979年電機労連に入る。中央執行委員政策企画部長、連合総研主幹研究員、現代総研を経て、電機総研事務局長で退職。グローバル産業雇用総合研究所を設立。労働市場改革専門調査会委員、働き方改革の有識者ヒヤリングなどに参画。著書に『なぜ雇用格差はなくならないか』(日本経済新聞社)の他、共著に『IT時代の雇用システム』(日本評論社)、『21世紀グランドデザイン』(NTT出版)、『グローバル化のなかの企業文化』(中央大学出版部)など多数。

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