『50年』(1972)242頁 | 『60年』(1982)502頁 | 『70年』(1994) 上474頁 下446頁 | 『80年』(2002)326頁 | 『100年』(2023) 325頁 | ||
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45.11 | 4大会 | 徳田書記長 | 天皇制打倒、軍事的警察的帝国主義 | |||
46.02 | 5大会 | 野坂帰国、中央委員に | ポ宣言の完全実施、日本の完全独立 民主民族戦線 | 野坂、訪ソ中に内通 | 野坂理論と徳田の家父長制的指導 | 天皇制廃止、占領の明確な分析欠如 |
47.12 | 6大会 | ポ宣言の完全実施、人民による経済復興と日本の完全独立 | ポ宣言の完全実施、人民による経済復興と日本の完全独立、徳田の指導 | 天皇制廃止、日本の完全独立 | ポ宣言完全実施、日本の完全独立 | 左記二大課題 |
48.08 | ユーゴ党非難の誤り、抑留批判せず | ユーゴ党非難の誤り | ユーゴ批判の誤りは72年に正す | |||
49.06 | 14拡中 | 講和問題に対する態度 | ||||
50.01 | Co批判 | 占領下平和革命論批判正しいが、兄弟党に乱暴、スターリンの大国主義 | ソ共、中共による干渉の第一歩 徳田の家父長的個人指導を促進 徳田の綱領草案、中委の解体 | 民主民族戦線綱領、徳田・野坂分派 | 徳田・野坂分派、臨中、北京機関、 クーデタ的手法、伊藤除名 | 野坂の内通、クーデタ的中央解体 |
50.06 | 中央委員公職追放 | 同左 | 同左 | |||
50.08 | 北京機関発足→ソ連資金 | 同左 | 同左 | |||
50.09 | 「人民日報」社説→全国統一委員会 | 同左 | 同左 | |||
51.02 | 四全協 | 極左冒険主義方針 | 極左冒険主義方針:山村工作隊等 | 軍事方針 | 軍事方針、スパイ分派の粉砕 | |
51.10 | 五全協 | 「51年綱領」、暴力革命唯一論 | 同左、Comの四全協支持 | 51年「文書」 | 51年「文書」 | 米軍への後方攪乱 |
55.07 | 六全協 | 極左冒険主義・セクト主義批判 51年綱領「完全に正しい」 | 党組織の全国的破壊、清算主義等の傾向 スターリン介入 | 極左冒険主義・セクト主義批判 同左、それでも党再建の道へ | 同左 | 統一回復と50年問題解決への過渡 |
56.11 | 9中総 | 綱領問題委員会(宮本ら12人) | 同左 | 同左 | ||
57.09 | 14拡中 | 党章草案:人民民主主義、敵の出方 | この用語、23回大会以降不使用 | |||
57.10 | 15拡中 | 「50年問題について」 | 「50年問題について」 | 「50年問題について」 政治局多数の分派活動、野坂の役割 | 「50年問題について」 徳田・野坂の分派 | 「50年問題について」 党の統一と民主集中制の重要性 |
58.07-08 | 7大会 | 党分裂「五つの教訓」、伊藤除名 51年綱領廃止、野坂議長・宮本書記長/『団結と前進』 | 同左 | 同左 | 同左 | 同左 |
58.08 | 綱領問題小委員会設置(計29回) | 同左(メンバーも) | 同左(メンバーも) | 同左 | 同左 | |
59.01 | 4中総 | 日本の中立化 | 同左 | 同左 | 同左 | 同左 |
59.06-07 | 6中総 | 選挙総括、安保方針、「現代の理論」 | 春日らが「党勢拡大」に反対 | 同左 | 同左 | 同左 |
60.04-06 | 安保条約改定阻止闘争ピークに | |||||
61.03 | 16中総 | 綱領草案決定 | 同左、6中央委員、2同候補が反対 | 同左 | 同左、5中央委員、2同候補が反対 | 同左、彼らは反論不能に陥った |
61.07 | 8大会 | 綱領採択 「二つの敵」、民族民主統一戦線 「反独占構造改革」は改良主義 | 同左、 春日ら批判の決議 | 同左、「科学的社会主義」 大会直前に春日、山田、西川、亀山、内藤、内野、原除名 | 「二つの敵」、人民民主主義革命 | 天皇制の評価は将来に持ち越し |
63.02 | 五中総 | 袴田が志賀らとソ連「中心」決議 | 野坂・袴田は志賀らをソ連内通者に | ソ共、中共の干渉 | ||
64.04 | 4.17スト中止における誤り | 同左 | 聴濤が「反米愛国」に傾き「挑発阻止」を理由に(幹部会員解任) | 同左 | スト中止は「一部の幹部」の誤り | |
64.05 | 八中総 | 志賀、鈴木、核停条約賛成で除名 | 同左 | 同左 | 同左 | 同左 |
64.11 | 9大会 | 「(教・修)二つの戦線での闘争」 | 同左 | 同左 | 9回党大会に言及なし | ソ連の干渉を批判 |
66.2-3 | 日中両党決裂→中国派の台頭 | 同左 | 同左 | 同左 | 同左 | |
66.10 | 10大会 | 「二つの戦線での闘争」 | M・L主義(科学的社会主義) | 戦後党史の教訓 | 中共との決裂は非公表(翌年公然) | 10回大会に言及なし |
68.08 | チェコ軍事介入批判 | 同左/金日成と会談 | ||||
70.07 | 11大会 | 「人民的議会主義」(発達した資本主義国の革命)、細胞→支部 | 同左 | 同左、軍国主義は一定の本質的復活 | 複数政党制、政権交代制 | 「人民的議会主義」 |
72.05 | 新日和見主義分派を摘発 | 同左(粉砕) | 言及せず | 同左 | ||
73.09 | チリ軍部クーデタ、伊共 | チリ言及せず | 同左 | |||
73.11 | 12大会 | 民主連合政府綱領について | 同左 | 同左 | ||
74.06 | 宮本「三つの自由」 | 同左 | 同左 | |||
75.12 | 立花「日本共産党の研究」 | 立花は名指しせず | ||||
76.07 | 13大会 | 「自由と民主主義」宣言 「M.L主義」、「プロ執権」削除 | 同左 | 同左 | 同左 | |
77.10/ | 14大会 | ソ連の社会主義は「生成期」 | 同左、大衆的前衛党「三つの特質」 | 国政選挙での交代と今後の活動 | 同左、民主集中制攻撃を批判 | |
78.01 | 袴田の転落、除名 | 袴田除名(ソ連との内通) | (袴田触れず) | 同左 | ||
79.12 | 日ソ両党会談:千島、「発達した社会主義」論の押し付け | アフガン侵略 | 同左 | |||
80.02 | 15大会 | ソ中覇権主義の逆流、社党の右転落 | 同左、宮本「個性の尊重」 アフガン侵攻批判 | 同左(「個性の尊重」外し) | 同左 | |
82.07 | 16大会 | 核戦争阻止・核廃絶、社会主義「完全変質」論を批判 | 同左、伊共の社民への転落批判 | 核戦争阻止・核廃絶、反「行革」 | 反「行革」、経済再建 | |
85.11 | 17大会 | 「覇権主義の克服」(北朝鮮も)、「全般的危機」削除 | 同左 | 「戦後政治の総決算」と対決 | ||
87.11 | 18大会 | ゴルバチョフ「新しい思考」を対米協調と批判 | 同左、「大企業の民主的規制」、宮本議長、不破副議長、村上委員長、金子書記局長 | |||
89.06 | 五中総 | 「天安門事件」批判、社会主義の持つべき四基準 | 同左 | 同左 | ||
90.07 | 19大会 | 「社会主義崩壊」論に反撃、スターリンが歪曲/「日本共産党への手紙」(加藤ら) | ソ連体制批判/宮本議長、不破委員長、志位書記局長/「手紙」なし | 大国主義・覇権主義、官僚主義・命令主義/ソ連干渉の機密文書入手 | ||
91.09 | 常任幹部会声明「ソ共解体を歓迎」 | 同左 | ||||
92.12 | 八中総 | 野坂除名 | 同左 | 「50年問題」で言及 | ||
94.07 | 20大会 | 「自民党政治からの転換」/ソ連社会批判(社会主義とは無縁) | ソ連解体後の米「一国覇権主義」 | |||
97.09 | 21大会 | 自共対決、早期に民主連合政府 | 「新しい国づくり」 | |||
00.11 | 22大会 | 「前衛」削除 不破「社会主義の三大指標」、不破議長、志位委員長、市田書記局長 | 同左、「党内民主主義」(民主集中制に代え)、不破「日本改革の提案」(憲法9条、自衛隊含む) | |||
04.01 | 23大会 | 綱領改定:真の独立と民主主義革命 社会主義・共産主義の定義 |